かけがえのない君へ




 俺は、ひとつの答えを、出した。


「深鏡さん、俺は―――、やっぱり、俺には、わからない」


 息を吸って、そして深鏡さんを見据える。


「なんで深鏡さんが自分が間違いとか言うのか、それがどーしてもわかんない! ごめん!」


「は、はあ?」


 深鏡さんが「急に何言ってんだこいつ」みたいな目で俺を見てくる。


「なに、わからないって、深鏡の説明が理解できなかったの?」


「いやだって……御伽々の家のことは俺にはわかんないよ。想像もできないし……」


 父親に妾がたくさんいて、さらには半分血のつながらない姉と妹?

 生まれた時から求められるものがあって、自分ではなく妹の幸せのため、19歳で大学にもいかずメイドをしてる?


 うん、ダメ、ぜーんぜん想像できない。


「申し訳ない」


「こういう時、嘘でも気持ちはわかるとか想像できるくらい言うんじゃないかしら……」


 そうは言われても、こんなところで強がって「深鏡さんの気持ちわかるよ」とか言う方がなんか失礼な気もするんだよなぁ。


 だってそれはやっぱり深鏡さんしかわからない感情だ。

 怒りも、悔しさも、諦めも、決意も、優しさも、全ては深鏡さんのものだから、それを俺がおいそれと「わかる」なんて言いたくない。


「でも、ひとつ納得のいったこともあったかな」


「納得?」


「なんでお嬢が、深鏡さんを信頼してるかってこと」


 深鏡さんの表情が僅かに揺らいだ。


「それは、私が、姉だから……」


 何かを言い淀むように深鏡さんが目を俺から逸らした。

 もしかしたらそれは、正確には俺の背にいるお嬢から目を逸らしたのかもしれなかった。


「ずっと深鏡さんはお嬢のそばにいたんだよね。生まれた時から、ずっとさ」


「それは、深鏡がそうしたくて……」


「うん。お嬢は深鏡さんを信頼してる。仕事じゃなくて、自分で選んで側にいてくれる人を」


 金じゃなくて、見返りじゃなくて、自分で選んで側にいる人。それが深鏡さんだ。

 金やら見返りを理由にお嬢をかくまっている俺としては、少しまぶしいくらいだ。


 でも、そんな深鏡さんだからこそ、お嬢は深鏡さんに寄りかかって、甘えてる。


 寄りかかって眠っても大丈夫だって信じて。

 一か月の時間で自分を助けてくれると信じて。


「深鏡さんはずっと、お嬢にとって『かけがえのないお姉さん』だったんだね」


「―――」


 ぽろり、と深鏡さんの目から滴がこぼれていた。


「え、これ……ちが、こんなの……」


 最初は自分の頬が何故か濡れていることに不思議そうにしていた深鏡さんだったが、それ自分の目からものだと気づくと、慌てて目を擦った。

 すぐに涙は止まったけど、でも深鏡さんの表情は今までで見たことがないくらい、揺らいでいた。


「深鏡さんはずっと、かけがえのない人だったんじゃないかな。お嬢はきっと、そう思っていたはずだよ」


 だって、深鏡さんは知らないだろうけどさ。


「お嬢は深鏡さんのことすげー自慢げに話すんだぜ。深鏡さんのこと話せるのが嬉しくてたまらないって感じでさ」



 ―――かけがえさんは自分の髪もそれはそれは丁寧に手入れされていて、いつ見ても濡れ羽色の美しい髪で。

 ―――ふふ、あの綺麗な髪は、昔からずっと変わらないんですよ。



 自慢げに胸を張って、自分の髪が褒められるよりも嬉しそうに深鏡さんのことを語るお嬢の言葉が、嘘であったはずがない。


「そんなの、空木の勝手な推測だわ」


 だが俺の言葉を聞いても深鏡さんは納得できないようにふるふると力なく首を振った。


「だって、根拠がないわ。全部空木の主観で、勝手な推理で、まほろの本当の気持ちなんてわからないわ」


「根拠ならあるよ」


「何があるっていうのよ、この深鏡の―――」


「だって、俺にとってもかけがえのない人だよ、深鏡さん」


「へ?」


 深鏡さんが今まで聞いたことのないくらい間抜けな声を出した。


「メイド服で仕事をする深鏡さんは、誰よりも頼りになった。

 たまにお嬢に出す前に試食させてくれた料理は美味かった。

 お嬢のことを考えて俺のところまで連れてくるのが早かった。そのおかげでお嬢は俺の家でそれなりに楽しそうだ。

 お嬢のことを誰よりも考えてて、今日だって買い物について来てくれた。

 厚顔不遜な自信家で、物知りだけどWikipedia丸写しみたいな知識の時もあって、口喧嘩が強いのか弱いのかわからなくて、知らないものには興味津々」


「な、なにを」


「ああ、それに深鏡さんの名前も好きだな。響きがすごく個性的で、一発で覚えられる。

 高貴な響きがするけど、深鏡さん自身がすごく背筋が伸びてる美人だから名前と釣り合ってるんだよね」


「や、やめ、やめなさい! 急に口説いてるのかしら貴方は!? 撥ねるわよ、クビを!」


「俺はお嬢に何もしてないのに!?」


「深鏡はまほろのメイドなのだから深鏡への不敬はまほろへの不敬よ!」


「ものすげえこと言ってる! ごめんなさい!」


 がう、と吠えるように目を吊り上げる深鏡さんに反射的に謝ってしまう。

 でもよく見れば、夜より黒い濡れ羽の髪の隙間から見える耳が僅かに赤い。もしかして、褒められ慣れてないせいで恥ずかしくなっちゃったのだろうか。


 まあ、でもとにかくさ。


「俺にとっても、深鏡さんはかけがえのない唯一無二だよ。

 だって、深鏡さんくらい自信家で、苛烈で、賢くて、きれいな人なんて、他にはいないよ」


 少し臭いことを言ってるのはわかる。でもこれは俺の本心だ。

 これが俺の『深鏡かけがえ』と名乗る彼女への、尊敬と、信頼と、見惚れる気持ちの全てだ。


 ……いや、でもそれにしても臭いな。

 うわー、俺初めて女の人に面と向かって「きれい」とか言っちまった。


 深鏡さんにとってはちょっとありきたりすぎる評価だったか?


「―――――」


 けれど、そんな俺の意に反して、しばらく深鏡さんは何も言わなかった。

 でもまるで何かを噛み締めるように静かに目を閉じて、そしてしばらくして目を開けると、どこか遠くへと目を向けた。


 いつの間にか、民家の隙間から見えていた夕日が、随分と沈んでいた。


「……馬鹿ね。こんな言葉で、報われた気持ちになるなんて」


 何かを深鏡さんが囁いたけれど、それは俺に伝える言葉ではなく、深鏡さん自身が自らへと投げかけたものだったらしく、なんと言ったかはわからなかった。


 でもその代わりに、深鏡さんは俺に笑って見せた。

 いつものように苛烈に、厚顔不遜に、自信満々で。


「三人目よ。深鏡が自分の名前を呼ぶことを許すのは」


 え?


「三人目よ」


「そうなんだ」


「三人目なの」


「そっか」


「……」


「……」


 何、この沈黙。


 深鏡さんが不満をあらわにする様に腕を組んで俺をしばらく睨んでくる。

 しかし、数秒後には「こいつに期待したのが悪かった」とでも言いたげな様子で、大仰に息を吐いた。


「空木には特別に、この深鏡の名を呼ぶ権利を与える、そう言ってるのよ」


 腕を組んだままの深鏡さんが、何かを待つようにちらちらとこちらを伺う。


 これは、その、つまり、そういうことでよいのだろうか。


「あー、ええと……かけがえ、さん?」


「それでいいわ。最初からそうすればいいのよ」


 フッ、と深鏡さんが満足したように吐息混じりの笑みを見せる。


 深鏡さんはそのまま右腕を伸ばして俺の方を―――正確には、俺が手に持つ荷物の一つを指さした。

 まるで悪戯が親にバレた子どものように、胸がどきりと跳ねる。


「ここまで来たらそこの袋に入れてるものも大人しく出しなさい」


「バレてたのかよ……」


「深鏡にかかればお見通しよ」


 俺の言葉を肯定ととらえたのか、深鏡さんはあっという間に俺との距離を縮める。

 そして、背中に眠るお嬢がいて手を動かせない俺からあっという間に先ほど指差した荷物を奪い去った。


 深鏡さんはそのままの勢いで迷いなく袋を開ける。


 するとその中からは、細身のバレッタが出て来た。淡い赤と、小さな花があしらわれた華やかだけど、すっきりと纏まった大人っぽい感じのやつ。


「ふうん、深鏡がまほろと会計しているときに何かもう一人の店員とごそごそしてるのは見えていたけど、なるほどねえ。

 まほろにはちょっと似合わなさそうよね? まほろの金の髪につけるには控えめすぎるもの。これが似合うのは、もっと日本人らしい髪色でしょうね」


「ああもうなんだよその顔は!」


「いえいえ、でも深鏡はアクセサリをつけない主義なの。それを聞いていても、ねえ?」


「あーもう仕方ないだろ! だって似合いそうだって思ったんだよ! 言っとくけど本当に渡すつもりじゃなかったって言うか、念のために買ったって言うか……」


「ふ~ん?」


 深鏡さんはアクセサリをつけない主義なのは聞いていた。店員さんの前で言ったものだから肝が冷えた。忘れたわけではない。


 でも、それを言ったときの深鏡さんの顔が一瞬うらやましそうだった気がして、つい俺は深鏡さんの目線の先に合ったこれを買ってしまったのだ。


「……これなら、ええ、悪くないわね」


 深鏡さんが小さく呟いて、濡れ羽色の髪を解くと袋から出したばかりのバレッタで手早く髪を纏めた。


 その場でくるりと回り、俺に背後、結んだ髪の中で存在感を放つ赤い色を見せつける。


「似合うでしょう?」


「……そこ普通は、似合うって聞いてくるところじゃない?」


「空木にとっての『かけがえのないきれいな人』の深鏡が、ポリシーを曲げて髪を飾り立てたのに、似合わないなんてことがあると思うのかしら?」


「ちょ、それ、かけがえのないって、いや」


「あら? もしかして口から出任せだったのかしら」


「ぐ……」


 言い負かされた俺がかろうじてぐうの音を絞り出すと、深鏡さんは楽し気にからからと笑った。


「聞かせてくださいな。深鏡に、このバレッタは似合わないかしら?」


 沈みかけた夕日の光の残滓が深鏡さんの姿を浮かびあらせる。光に反射したバレッタがきらきらと光る。


 これ以上言い負かされるのも業腹なので、頬に集まる熱を必死に押さえつけて、俺は息を吸って言葉を絞り出した。


「似合ってるよ……かけがえさん」


 くすり、と笑んだ深鏡さんは―――かけがえさんは僅かにかがんで見せると、下から俺を見上げた。

 その顔には楽し気で、ひどく悪戯っぽい、年相応な色が浮かんでいる。


「あら、顔が赤いわよ?」


「だ、誰のせいだ! 誰の! 全部かけがえさんのせいでしょ」


「負け惜しみね」


「……ああ、そうだよ。まったく、その通りだ」


 負け惜しみ。その言葉を口の中で転がして、かけがえさんは踊る様に俺へと一歩踏み込んだ。



「ふふっ、それなら今日はわたしの勝ちみたいね。陸人」



 そうして俺は、『深鏡さん』には最後まで負けなかったのに、『かけがえさん』には早速一敗したのだった。


 ……これには、ちょっと勝てない。


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