かけがえのない夕日
買い物を終えて、帰路に就く。
「まさか電車でまほろが寝てしまうとはね」
「今日まあまあ歩いたもんなぁ。それに、深鏡さんがいたからか結構はしゃいでたし」
「フッ、それは姉冥利に尽きるわね」
一通り買い物を終えて電車に乗ったはいいものの、俺の家に帰る途中でお嬢は深鏡さんの肩に寄りかかって寝落ちしてしまった。
そしていまそんなお嬢を深鏡さんはおんぶして歩いていた。俺はその隣で荷物を持っている。
うむ、ちゃんと容姿と役目が釣り合いが取れたな。
時刻は夕暮れ。
近くの民家か、どこかの店からか五時になったことを知らせるメロディが風に乗って届く。
大きな橙の火の玉は俺たちの影を色濃く浮き上がらせ、規則正しく俺たちについてくる。
「なんかこうして歩いていると、子どもの頃の帰り道とか思い出すね」
「帰り道」
「遊んだ帰りとかさ。友だちとかが走るから俺も走らないといけなくなったりさ。ちょっとくらい待ってくれてもいいのにさ」
「それはついてこれない空木に問題があるわね。自分より強い者に同行するなら覚悟を持つことね」
「支配者みたいなセリフだな……。友だち少なそう……」
「フッ、馬鹿ね空木。今まで深鏡に勝負を挑んできた数多の人物たち、彼らは『友』と呼ぶに相応しかったわ。
血で血を洗う闘争。魂を削るような舌戦。死闘……その言葉で表すにも生ぬるい戦いの記憶よ」
「そのレベルの勝負を挑んで来たのならそれは友じゃなくて敵だと思うけど……」
「……」
あ、深鏡さんがめっちゃ不満そうな顔になった。
「……フッ、深鏡の負けね。ええ、それはそれとして空木、少し脛を出しなさい。深鏡はキックボクシングで磨いたこの蹴りの威力を試したくなってきたわ」
「めっちゃ復讐されそうになっている!? ごめんなさい!」
「あまりうるさくしないで。まほろが起きるわ」
建物の隙間を通り抜けて、夕日の光が深鏡さんを照らす。
強く、強く、彼女の黒の美しさを引き立てるように。
強く、強く、彼女の黒を影に溶かしてしまうように。
深鏡さんは顔を少し逸らして自分の背中で眠るお嬢に目を向けて、表情を緩めた。
「重くなったのね。もう中学生だものね」
やさしい顔だった。慈愛に満ちた、妹を思う姉の顔だった。
メイドとか、忠誠とか、そういうものにはくくれない大きな庇護の感情がそこには見えていた。
「空木、見過ぎ。視線で深鏡とまほろに穴をあけたいのかしら?」
呆れたように深鏡さんが息を吐いた。
「考えていたのは、深鏡とまほろの関係のことね」
どうやらそこまでバレバレだったらしい。
「……あー、ごめん。どうしても気になっちゃって」
「よくそこまで他人のことに首突っ込めるものね。貴方が気にするほどのことじゃないでしょう」
ぴしゃり、と叱るような声音の深鏡さんの言葉。
深鏡さんは目だけを動かすと、そのツリ目がちな目を少し細めた。
「空木、あまり無用な詮索は貴方のためにはならないわよ。
一か月後、深鏡との約束をした報酬を貰えない、という事態になりたくなかったらね」
翠の瞳が、俺に釘を刺していた。
これ以上の余計な詮索は、俺にとっていい影響はないぞ、と。
それはわかる。伝わっている。……でも、それでも。
「……しょうがないだろ、やっぱり気になっちゃうよ」
「野次馬根性ね。褒められた精神性じゃないわ」
「他人じゃなくて、お嬢と深鏡さんのことなんだから気になるのは仕方ないでしょ。
俺にとっても、特別な人たちなんだから」
今の俺はお嬢をかくまっていて、深鏡さんと一緒にお嬢の平穏を守ろうとしている。
俺は深鏡さんとお嬢の秘密を知っているし、深鏡さんは俺の将来の可能性を握っている。
それなのに野次馬とか、他人とか、なんか違う気がする。
深鏡さんは違うのだろうか。
「……何それ。馬鹿ね、空木」
少しだけ、深鏡さんが身に纏う空気が軟化した気がした。
「かけがえってね、ほんとうは掛け違えって意味なのよ」
「え?」
急に深鏡さんがそう切り出した。
その言葉に引かれるように深鏡さんの横顔へと目を向けようとしたけど、ちょうど夕日が目に入ってよく見えなかった。
「笑えるでしょう。言葉だけを捉えるなら『唯一無二』だけど、本当の意味は全然違う。
掛け違えてて、間違っている。生まれた時から欠けている。それが、深鏡の『かけがえ』なの」
夕陽に目が慣れて深鏡さんの顔が見えるようになったころ、彼女はいつの間にか微笑んでいた。
なんて事のない笑い話を語る様に、昨日料理に失敗しちゃったのよ、くらいの失敗談を語る様に、すっかりその話をすることに慣れ切ったように、微笑んでいた。
「深鏡はかけがえがない一人ではないの。生まれた時からそれが定められていた。そういう生き方をずっとしてた。
でもね、まほろは違うの」
深鏡さんがお嬢を見て、そしてまた優しく頬を緩めた。
「深鏡にとってかけがえがないのはまほろだけなの」
深鏡さんの語り口は凪いでいた。
「この子はみんなから望まれた唯一無二のお嬢様。かけがえのないただ一人。
姉様にも、深鏡にも負えない責任を生まれた時から背負ってる。
だから、この子にはうんと幸せになってほしい。深鏡と、姉様が果たせなかった責任を背負った分まで、心の底から幸せに」
静かで、やさしくて、いつもの厚顔不遜な物言いからは程遠い、どこか祈りが混じった言葉だった。
「だから深鏡は、『深鏡』でいいのよ。この子の幸せのために生きたいって思ったの。
お父様に言われたわけじゃない。それを深鏡が選んだの」
御伽々まほろのかけがえのない唯一無二のメイド。深鏡かけがえは、そう言ってまた笑った。
「さて、着いたわね。空木、さっさとまほろを受け取りなさい」
「え、ちょ、お、ぶねっ!」
いつの間にか家の前についていた俺は、これまたいつの間にか傍に寄っていた深鏡さんから、お嬢を受け渡されいつの間にかおんぶをさせられていた。
魔法みたいだ。どうやったのだろうか。
お嬢のふわふわした髪の感触と柔らかい体の温かさを背中越しに感じる。
無事俺にお嬢を受け渡せたことに満足したようにフッといつもように胸を張った。
「深鏡のお話サービスタイムはおしまいよ。どう? 知りたいことは知れたかしら、空木。これで満足?」
「それは……」
深鏡さんは俺にすべてを語ってくれた。
自分の生まれ。お嬢への思い。そして、ほんとうにかけがえのないお嬢様は誰なのか。
そこまで聞いて。俺は、ひとつの答えを、出した。
「深鏡さん、俺は―――」
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