ほのかに君と約束を




「少年くん、今日私はアドバイスをしに来たの」


 ほのかさんの言葉に、俺の背筋も伸びた。


「まず、まほちゃんの身の回りのことを確認しておきたいんだけど、古郡さん、知ってるかな?」


「はい。かけがえさんに色々と」


 古郡琢磨。

 さっき風野もスマホで見ていた、御伽々グループの幹部で分家筋の、ほのかさんたちの従兄弟の男性。


「その古郡さんが少しまほちゃんのことを力を入れていて探していて、私も匿っていないか疑われているのです」


「困っちゃいますね」とほのかさんは肩をすくめる。


「まあ、私はこういう身体なので『知りません~』と言ったら警戒は緩めてくださいましたが、それでも完全に白と見られてはなさそうです」


「それって、俺と話してるのまずくないんですか?」


「うん。だから、私もこのあとはあんまり道草せずに帰るつもりなの。

 もともとこの辺にはお仕事の都合で来ることになってたからあんまり警戒されてはないけど、あんまり疑わしいことをすると君の存在がバレちゃうかもだしね」


「仕事、ですか」


「ふふ、なんのお仕事をしているかはまた今度、機会があれば教えてあげるね」


 ぱちり、と俺へと目配せをするほのかさん。


「今会社は二つに割れようとしています。

 一つはお父様からの恩を忘れずに、あくまでも御伽々の本家の後継者の意見に重きを置くべきだという保守派。

 もう一つは、御伽々の後継者が満足に育っていない現状を見て、もう財閥の流れを組む一族経営をやめるべきだという革新派。今よく表に出ている古郡さんはこちらですね」


「保守派と、革新派ですか」


「はい。古郡さんは保守派の人々に手を焼いていて、だからまほちゃんが欲しいのですね」


「お嬢、そんなに、追われなきゃいけないほどですか?」


「まあ、お父様が認めていた唯一の後継者ですからね~。他の重役の方も私やかけちゃんの言うことは聞かなくても、まほちゃんは別なのですよ」


 かけがえさんは、「まほろこそが唯一無二の御伽々のお嬢様なの」と言っていたけど、本当にかけがえさんやほのかさんとは扱いが違うのか。


 なんで未成年の、しかも末娘のお嬢にこんなに責任を乗っけるんだろう。

 大人ならお嬢なんかに頼らずに自分たちで決めて、さっさと会社を立て直すなりなんなりしたらいいのに。


 なんで、そこまでお嬢に頼るっていうんだろう。


 そんな気持ちを表に出さないように拳を握っていたけど、どうやら隠しきれずに表情が険しくなっていたらしい。俺の表情を見て、ほのかさんが困ったように眉を寄せてしまった。


「あんまり、古郡さんや幹部の人を恨まないであげてね。

 もとはと言えばお父様と……あと、私がこんなのだから悪いんだから」


 そう言ってほのかさんは傍らにあった杖に目を向けて、ほにゃりと表情を崩した。


「私が役立たずだったから、かけちゃんにも、まほちゃんにも面倒をかけちゃっているんだー」


「ほのかさんは、悪くないでしょ。そういうのは……」


「あはは、だからほのかじゃなくてカムパネルラさんね~、少年くん」


 俺の言葉を遮るようにほのかさんは笑って、紅茶に口をつけようとして、ちょっと困った顔をした。

 おそらくもう中身がなかったのだろう。


 その代わりに、ほのかさんは間を持たせるように小さく息をついた。

 そして眠たげな眼に真剣な光を宿らせて、俺を見つめる。


「まほちゃんを匿うときに、かけちゃんにはどういう説明をされたのかな?」


「いまは会社でお嬢を利用しようとしている人たちがいて、そういう人たちのところにお嬢が行くといい扱いはされないって。

 だからかけがえさんが幹部の人たちと交渉して、お嬢がそういう面倒ごとに関わらなくていいってなるまで、俺に匿っていてほしいって、そう頼まれました」


 あとは俺にいろいろ報酬もくれるって約束をしている、とまで話すと、ほのかさんは「なるほど」と小さく呟いた。


「じゃあ、少年くんは匿っていることをどう思っているのかな?」


「どう、ですか?」


「うん。まあ、まほちゃんのことをどう思ってる? って言い換えてもいいんだけど」


 お嬢を匿うこと。ひいては、お嬢のことを俺がどう思っているか。


 脳裏に、お嬢と同棲を始めてから今日までの記憶が思い起こされる。


 なんて言うか、彼女との距離感とか、そういう気持ちを俺は上手く表せなくて、でもなんとか言葉にしようと、ゆっくりとひとつずつ、適している言葉を選んでいく。


「お嬢は、なんていうか『普通』を知らない子で、俺なんかを頼ってくれる子で」


 いろんなものを我慢してきた子で、いろんなものを背負わされてきた子で、だからこそ俺はあの子に『普通』ってやつの中に幸せとか、楽しいことを見つけてほしかった。

 いまあの家にいて「おかえり」とか「いただきます」とか「いってらっしゃい」とか言ってくれることは本当ならありえないことだ。

 だからこそ、いまの夢みたいなこの時間くらいは、あの子に気負わずに楽しいことを見つけてほしかった。


「上手くは言えないです。

 でも俺はお嬢には幸せでいてほしくて、そのために今できることは何でもしてやりたいって、そういう風には思ってます」


 お嬢はいつか俺のもとから去っていく。

 ずっと一緒に住んでるなんてありえないし、お嬢にはいるべき場所が他にある。


 でも、せめて今くらいは、彼女のために何かがしたい。俺の気持ちはそんな感じだ。


「……そうですか。そっか。そういうことか」


 ふ、とほのかさんが微笑んだ。


「少年くんは、まほちゃんは大好きだから、世界で一番幸せでいてほしいんだねえ」


「え、いやそんなことは」


「あれ、違うのかな?」


 いや、大好きとかそういうことは―――ない、だろうか。


 ううん、いやそりゃお嬢のことは好きだ。

 でも、俺の心の中はそれほど簡単なものではないんだ。


 笑ってくれればかわいいって思うし、お嬢が楽しそうにしてるだけで満たされる。

 お嬢がこれからも幸せでいてくれるなら、ある程度の無茶くらいはしてもいいと思ってる。


 でもそれはもっとめんどくさい俺の昔の記憶とかもあって……いや、でもそれはお嬢が人として好ましいからって理由に起因していて……。


 ……参った。これは否定できないぞ。


 ポリポリと頭をかく。


「あー、どうやらそうみたいですね。

 俺はお嬢のことが人として好きで、だからこそあの子に幸せでいてもらいたいみたいです」

「正直でえらい子だね。

 ふふ、かけちゃんもまほちゃんも、君のことを気に入ってる理由が何となくわかるよ~」


 俺の言葉に小さく笑ってから、ほのかさんは再び俺のことをまっすぐ見つめた。

 硝子のような澄んだ光を宿した瞳は、俺のことを腹の奥まで見透かすようだった。


「ねえ少年くん、ひとつだけお願いをしてもいいかな」


「お願い?」


 うん、とほのかさんが頷いた。


「どうか、まほちゃんの気持ちを尊重してあげてください。例え、何が起きても」


 お嬢の、気持ちを?


「まほちゃんは私が出来損ないだったせいでいろんなものを背負った子。

 たくさん我慢していて、それを笑顔の仮面で隠してきた子なの。

 だから、少年くんには、まほちゃんのに応えてほしい」


 ほのかさんの言葉はすごく重みがあった。心から、お嬢のことを思って話しているのを肌で感じた。


「お願い、できますか?」


 ……俺に、お嬢の『本当の気持ち』とやらに、向き合う覚悟があるのか。

 それを問われているのがわかった。


 でも悪いなほのかさん、そんなの答えはもう決まっているんだ。


「俺はお嬢を匿うって決めた時からお嬢の味方です。

 それはお嬢の身体を守るってことだけではなくて、お嬢がやりたいことの手助けもするってことです」


 だから俺は、お嬢の気持ちだって守る。当たり前だ。


「……ありがとう、少年くん」


 俺の言葉を聞いたほのかさんは満足したように目を細めた。

 そしてうーんと体を伸ばして、俺の頭に手を置いてゆっくりと撫でてくれた。


「ちょ、ほのかさん!?」


「お姉さんと約束してくれたえらい子にはなでなでをあげましょう。

 ふふ、かけちゃんもまほちゃんも大好きだった、私の自慢のなでなでですよ~?」


「いや、大学生にもなってそれはきついって言うか―――」


「なでなで~」


「ああもう、ちょっと聞いてますかほのかさん!? カムパネルラさん!?」


「え? 誰? 私はほのかだよ~?」


「貴方が! そう呼べって! 言ったんですよねェ!?」


 優しい手つきで撫でてくる手を押しのけながら、俺とお嬢のお姉さん、御伽々ほのかは一つの約束を交わしたのだった。

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