はじめての買い食い
家を出て10分ほど歩くと、やや懐かしい雰囲気の商店街にたどり着く。
立ち並ぶ店の名前はこじゃれた英語やカタカナではなくて、名字から取ったのだとわかる「すずきや」みたいな感じで。
たまーに新しめの喫茶店もあるけど値段は程よく、特筆して高くも安くもない。
定食屋や100円ショップが並ぶ店々をかき分けるように、どでんと真ん中にチェーン店のスーパーが鎮座している。
少し街に出れば大きくて使い勝手のいいスーパーもあるのだけれど、俺はこの少し不便で、少し古臭い、この商店街が好きだった。
そして今、俺とお嬢はその商店街をぶらぶらと歩いていた。
「ここでお買い物するんですか?」
「うん。街とかに出てもうちょい大きなところに行ってもいいのかもしれないけど、お嬢もしばらく俺の家に住むのなら近いところの方がいいかなって」
目的はお嬢の身の回りの品を買いそろえること。
これから一緒に暮らしていくのならどうしても必要になるものもたくさんあるだろうし。
布団とかは急務だよ。だってちゃんとしたのを買っておかないとお嬢と毎晩ベッドと布団の攻防戦を繰り広げることとなりそうだもん。
ちなみに同棲とかに必要そうなもののリストは風野に貰った。
やはり持つべきものは友人ということで。
「お、空木くんじゃないか。今日も買い物かい? 今日は鯖が安いよ。おひとつどうだい?」
「それは心惹かれるけど、今日はちょっと連れがいるので」
「なにぃ……っと、こりゃ確かに! おいおい水くせえじゃねえか、紹介してくれないのか?」
「あはは、また今度ね、今度」
「おや、リクちゃんじゃないか! 最近ウチの定食食べに来ないけどお金困ってんじゃないだろうね! 困ってるならウチに来れば激安定食用意するよ! 味噌汁とその日の残りのあり合わせの!」
「今日はちょっと別件でこの辺に来てるんで。また今度伺いますね」
「! まさかそこにいるのは、コレ!? コレなのかい!?」
「あはは。またね、また」
「ちょっとリクちゃん!」
歩いていると顔見知りの店の人から声をかけられちゃうな。
ここんところお嬢のアルバイトで忙しくしてたから、あんまりこういう時間に買い物に来てなかったもんなぁ。
「空木さん、お顔が広いんですね」
「え? あー、まあ狭い商店街だしね。俺みたいな学生が顔見せに来るのが珍しいから面白がられてるんだよ」
「それでもお名前まで知られているのは、珍しいのでは?」
「昔ちょっとここらへんでバイトしてたこともあってさ。その名残かな。
今はやめちゃったけど随分よくしてもらいましたよ」
俺の言葉に隣を歩くお嬢が、キャップの下からジトーっとした目で俺を見てくる。
「ま。アルバイト、私のおうちだけではなかったんですね」
「え? いや、言ってたでしょう? 一時期減らしてましたけど、今でも街の方で居酒屋もやってますし、不定期だけど交通整理とかもしてるし」
「それは、知ってますけど……」
むう、とちょっと不満そうなお嬢。
「空木さんは誰にでもお世話になる気まぐれなのらねこさんのような人だったんですね」
「柔らかいお嬢の言葉にとげを感じるなあ」
「今ならブルータスに裏切られたカエサルの気持ちがわかります」
「これ俺が思ったよりもお冠!?」
「ええ、ええ。私、割と怒っています」
ふん、とそっぽを向くお嬢だが、態度と裏腹に声はそれほど怒ってはいない。
もしかしたらこうしたやり取りも楽しんでいるのかもしれない。
だから俺はお嬢がなんとなーく許してくれそうな理由をつけられればそれでいいと思うんだけど……あ、あれとかいいかもな。
「お嬢、お嬢」
「つーん」
「実際に言葉で怒りを表現してる……現実で聞くのは初めてだな……じゃなくて。
お嬢ってあんこ好きでしたよね」
ぴく、とお嬢の身体が揺れた。
ふふん、強がっても無駄だぜ。
深鏡さんから聞いてお嬢があんこはこしあんが好きだってことは知ってるし、お嬢はお茶請けには和風のお菓子の時が笑みが二割増しで緩い!
「実はあそこの通りのところに俺の好きなあんこのお菓子がありまして、もしよかったらお嬢もどうかなって」
「そ、それは、心惹かれますけど……今買うとお荷物になりますし……」
「いやいや持って帰るほどじゃないですって。ここで食うんすよ、外」
「えっ、外、ですか?」
お嬢が起こってるふりも忘れて、俺の方を見て目を丸くした。
こんな普通のことでもお嬢はびっくりするんだな、と気づいて、少し面白い。
「で、でも、外で食べるならはしたないんじゃ……それに人の目もありますし……」
「別に俺たちのことなんて誰も気にしませんよ。むしろ、こういうところでは外で食べるのが礼儀まであります」
「そ、そんな礼儀が……」
「うん、それに―――」
少ししゃがんで帽子の向こうにあるお嬢の顔を覗き込んでニヤッと笑って見せる。
「実はお嬢もやってみたいんじゃないんですか、外でお菓子食べるの」
「……空木さん、時々いじわるです」
「かかか、俺はいつも通りですよ、いつも通り」
笑いつつ、お嬢が子どもっぽくそっぽを向いたのを見て新鮮な気持ちになる。
お嬢、こんな顔で来たんだなあ。
まあそれはそれとしてお嬢の言葉は肯定したようなものなので、俺は彼女を連れて少し歩いて商店街の十字路の角の店に。
そこにはデカイ茶色の焼け焦げた鯛のような看板があり、その下には人の良さそうな笑顔で接客しているおじさんが一人。
お嬢が少し様子をうかがうように俺の後ろに隠れたので、笑み混じりに「大丈夫だって」と促しつつ歩みを進めた。
そのおじさんは客の気配にいつも通り声をかけようとしたようだったが、それが俺だと気づいて「おっと」とやや笑みの種類を変えた。
「こいつ、こんな時間にウチに来るとは大学サボったんじゃねえだろうな?」
「今日は午前まで。二つ、貰いたいんだけど、いいかな? あんことカスタードで」
「おう。ちょうど今から焼き始めるところだ、暇つぶしに見て待つといい」
「お、いいね。ちょうどいいときに来ちゃったな」
おじさんが笑って、特徴のある形の鉄板に生地を流し込み始める。
その様子に、お嬢が目を真ん丸にして、次に目の中を輝かせて、俺の服の袖をぐいぐいと引いた。
「み、みたことあります! これ、たい焼きですよね! 知ってます!」
「お、お嬢でも知ってるんだ。ちょっと意外だったな。あ、でも祭りの露店とかでも出るしそうでもないのかな」
「いえ、私は知ってるだけで。それも塾に行く途中にある露店で売っているのを見たことあるだけで……」
「お、それはつまりおじさんの作るたい焼きが初めてになるってわけかい? これは責任重大だな」
「だね。いつも通り、美味しいの頼むよ?」
「誰に言ってるこのガキンチョがっ」
コラ、とおどけて拳を上げるおじさんだが、たい焼きを焼く手順に淀みはない。
長年そうしてきたのがわかるような慣れた手つきで、鉄板をひっくり返す。
お嬢はその様子を、まるでショーケースのトランペットを見る少年のような目で夢中で見ていた。
「ほい、できあがり。あんことカスタード。340円な」
「ん、どうも」
俺がぴったり340円を手渡すと、それと交換でおじさんはそれぞれを紙袋に包んで、俺にカスタードを、お嬢にあんこのを手渡してくれた。
「わ、わ、ありがとうございます!」
「お嬢ちゃんはかわいいからちょっとあんこ多めに入れておいたからな。はじめてのたい焼き、気に入るといいな」
「ま。お上手ですね。大切にいただきますね」
ふふ、とたい焼きを両手で持ったお嬢が楽しげに笑んだ。
俺はおじさんに「ありがとう」と言いつつ手を挙げて、お嬢を連れて商店街の裏にある公園へと歩く。
そしてお嬢をベンチに座らせると、俺はブランコの前にあるあのなんか区切りみたいなバーに腰かけた。公園、なんかこういうちょうどいいところに座りたくなるよな。
「ほんとうにタイですね……」
「まあ鯛じゃなかったら詐欺だからね」
「でもなぜタイ……?」
「おめでタイからでしょうねえ」
「? おめで……?」
「あ、なんでもないです気にしないで下さい。割とマジで」
相手に伝わらなかった古典的ギャグほど辛いものはないのよ。
まあ俺の寒いし伝わらない価値のないギャグはさておき、冷めないうちにたい焼きを食べちゃおう。せっかく焼き立てなんだしね。
「ええと、これは……」
「そのまま行くんだよ。あむっとね」
「なるほど……。勉強になります」
!!!
これ、もしかしてあれが見れるチャンスなのでは?
あの伝統の初めてたい焼きを食べる人の「頭からかしっぽから食べるか迷う~」ってやつ!
コテコテの女子だと「頭から食べるとかわいそうだから……」って尻尾から食べるらしいけど、俺あれ尻尾から食べる分絶命するまで時間かかりそうな気がするんだけどそこんところどう考えてるんだろうな。
さて、ではお嬢はどんな食べ方を!?
「えい」
ばこ、とお嬢がたい焼きを腹から真っ二つに割った。
「わあ、たい焼きが切腹させられた」
普通に予想外だったな。そうか、そういう食べ方だってあるよな。
そういえばお嬢ケーキも二つに分けてから食べてたしな。そのイメージなのかもしれない。
だがお嬢はそんな俺の考えなど露知らずあむっとたい焼きの腹のあんこが一番詰まっているであろう場所にかぶりついた。
いや、かぶりつく、といううにはずいぶん控えめだったので俺としては、啄んだくらいだったけど。
でもそれはお嬢には十分な一口だったようで、もぐもぐと咀嚼しながら目を大きく開いて、足をパタつかせた。
「空木さん! これ、おいしいです! 外側はもちもちしてるのに、中はあんこがぎっしりで、でも生地が負けてないからちゃんとあんこだけじゃなくて『たい焼き』としての味がします! それで、それで―――」
「はは、気に入ってくれてよかったです。やっぱうまいですよね、ここのたい焼き」
言いつつ俺も自分のカスタードのたい焼きを頭からかじった。
もっちりとした生地の奥には、ねっとりとした甘みのあるカスタードが待ち受けており、噛めば噛むほど生地とカスタードの甘味が合わさって味覚を満足させてくれる。
……ん? なんかお嬢が俺を見ているような……ああ。そういうことか。
ほい、とたい焼きを差し出す。
「お嬢、カスタード、一口食べたいんでしょ? いいよ、好きに食べて」
「わ、私そんな食いしん坊じゃないです!」
「わはは、顔に書いてあるからなあ。ほらほら、気にせず食べなよ」
「でも、それは、なんと言いますか……」
お嬢がもごもごと口の中で言葉を転がすようにしていたが、俺の顔とたい焼きと、自分とを何度も見返して、やがてぎゅっと目を瞑った。
そしてえいやっという声が聞こえてきそうなくらいのやる気を入れた。
「えいやっ」
いや本当に言ってた。
お嬢がかけ声とともに、あむっと俺のたい焼きの食いかけのあたりをかじった。
……ちょっと、え?
「これで、ご満足ですか」
「え、あ。えと、うまいですか?」
「……おいしいです。次は私、あんことカスタード以外も食べてみたいかもしれないです」
「お、おお、いいと思います……」
もごもごと、そっぽを向きつつお嬢が口をとがらせつつ、俺をジトーっと見る。
そんな目で見られても……別に、俺のかじったところじゃなくても他の部分食べるとかあったと思うし……。
そう思いつつも、これ以上は口出ししないことにした。
変なこと言ってせっかくたい焼きで直した期限をまた損ねることもないだろうしな。うん。
「あ」
お嬢? 急に立ち上がってどうしたんだろう。
「さっき空木さんが言っていた『おめでたい』って、たい焼きが『鯛』なのとおめで『たい』の部分をかけた言葉遊びだったんですね。ふふ、ようやくわかりました」
「お嬢一度流れたクソ寒いギャグをここで解説して二重に俺を殺すのはやめてください!」
オオン! 助けてくれ! 俺の過去のクソギャグが俺を殺してくる!
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