はじめてのドライヤー




「私の髪、乾かしてくれませんか?」


「ワタシノカミ カワカス?」


「ま。空木さん、はじめて聞いた言語みたいになってますよ」


 口元に手を添えて柔らかく笑みを浮かべるお嬢。

 まるで幼児が頑張って歩くのを見るような、そんな微笑ましいものを見るかのようなものだが、対する俺の方は全くそんな安らかさはない。


「私、実は自分一人で髪を乾かしたことがなくて、ですので空木さんにお任せしたいんです」


「いやいや、お嬢そんなこと俺にはできませんって! 第一、俺乾かし方なんかわかりませんって!」


「私がお教えしますよ。空木さんはその手順に従って手を動かしてくださればいいんです」


「そんなこと言われても……」


 だって、髪って女性にとって大事なもののはずだ。

 それを俺みたいな男に、嫁入り前の―――しかもお嬢様である御伽々まほろの髪を、触らせるのは少し、いや、かなりまずいんじゃないだろうか?


 そう思った俺が煮え切らない態度でいると、お嬢がジトーっと俺を見上げながらぽそ、と囁いた。


「神経衰弱の罰ゲーム、まだでしたね」


 げ。


「空木さん、私『もし私が勝ったら罰ゲーム』ってお話してましたよね? その権限、行使させていただきますね」


「え? いやあ、そんな話ありましたっけ、お嬢の記憶違いじゃ―――」


「お話ししましたよね?」


「あ、はい。してました。はい、謹んで拝命させていただきます」


「よろしい」


 いつも通り笑っているはずなのに、目を細められると異様に圧が強くなってあっという間に押し切られてしまった。

 お嬢、笑顔の種類が多いよぉ……。


「まずは髪をタオルで拭いていただけますか? ああ、でも男性の感覚に照らし合わせるとタオルで髪を挟んで水分を吸い取る、といった感じでしょうか」


「えっと、こう……ですか?」


「ん、ふ、ふふっ。ええ、お上手ですよ」


 お嬢の指示に従って、丁寧に、壊れ物を触る様に髪を乾かしていく。

 なるべくお嬢が不快にならないように肌とかには直接触れないように、慎重に、丁寧に。


 お嬢はその俺の手つきにたまにくすぐったそうに笑いながらも、俺に一つ一つやるべきことを教えてくれた。


 最後の仕上げとしてぬるい風でお嬢の髪を梳きながら乾かしていく。

 風に揺れるブロンドは、まるで豊かに実った小麦の畑を思わせた。


「ふふ、男の人に髪を乾かしていただいたのは初めてです」


「そ、そっすか……」


「ま。空木さん、緊張されてますか? ふふ、空木さんらしいですね」


「いやこんなの俺でなくても―――ぎゃっ! お嬢なんか髪が一本抜けてます! やばい俺死刑ですか!?」


「空木さん、落ち着いてください。女性なら一日に50本から100本程度に髪が抜けると言われているので」


「ひゃっ!? それ俺が深鏡さんに百回殺されなきゃいけないってことですか!?」


「空木さん、空木さん、私の話を部分的に聞いて被害妄想を膨らませないでください」


 お嬢にたしなめられてしまった。


「うん。空木さん、丁寧な手つきなので安心して髪を任せられます。かけがえさんにも負けてないと思います」


「あ、前は深鏡さんがお嬢の髪を乾かしてたんですね」


「ええ、ええ。実は私、ほのか姉様とかけがえさん以外の方には髪を乾かしていただいたことないんです。

 ほのか姉様は今は一緒に住んでいないので、やっぱり一番お願いしたのはかけがえさんになると思います」


 へえ、実の姉より多いくらいなんだ、深鏡さん。


「かけがえさんは特にお上手でした。かけがえさんは自分の髪もそれはそれは丁寧に手入れされていて、いつ見ても濡れ羽色の美しい髪で。

 ふふ、あの綺麗な髪は、昔からずっと変わらないんですよ」


「お嬢とは長いんでしたっけ」


「ええ。生まれた時から一緒にいます」


「おお……。すごいな、お嬢様って感じだ。

 深鏡さん、昔からお嬢とはあんな感じの距離感なんですか?」


「……いえ、幼いころはもう少し近しかったのですが、今はあんな感じです。

 すこしだけ、さみしいんですけどね」


「へえ、俺からすれば今でもずいぶん仲良く見えますけどね」


 だってお互いに名前で呼んで、メイドの深鏡さんの方が敬語を使わないんだもんな。

 相当信頼してて、仲良くないと成り立たない関係だと思うけど。


 その後、お嬢の指示通りに髪を乾かし終えた俺は、息も絶え絶えに後ろに倒れこんだ。


「で、できました……お嬢どうでしょう」


「ま。お上手ですよ、空木さん。かけがえさんにも劣らないくらいです。

 明日から毎日空木さんに頼っちゃいましょうか」


「それはマジで勘弁してください……」


 俺の方が緊張で先にぶっ倒れてしまう!

 あと俺と深鏡さんが比べられてるのを知ると深鏡さん怒りそうだから、程ほどにしてほしい。


 だが、俺の言葉を聞くとしゅんっとお嬢が肩を小さくした。

 それはまるで目の前でおもちゃを取り上げられてしまったわんこのような様子だった。


「残念です。私、こういう『普通』のやり取りに憧れていたのですけれど……」


「え、女子だとこれくらい普通なんですか?」


「ええ、ええ。女子だとお友だちに髪を乾かしてもらうくらいは『普通』なのだそうです。

 かけがえさんに私はそう教えていただきましたよ?」


 そうか、友だち同士でやるくらいには普通なのか。

 なら、俺が勝手に気負ってるだけで、そう気にすることでもないのかもしれない。


 なにより、俺お嬢に普通の中にある楽しみを教えるって言っちゃったしな。


「そういうことなら、まあ、いいですけど」


「やったっ」


 きゅ、と小さくお嬢が手を握って喜びを表した。


 うん。まあ、俺としてはこれが普通ならお嬢の頼みを聞くのはやぶさかではないのだけれど、一応確認させてほしい。


「お嬢、ほんとうに自分じゃ髪乾かしたことないんですよね? それにしてはずいぶん手順を詳しく覚えていたような気がしますけど……」


 にこ、とお嬢がその真意を覆い隠すように微笑んだ。

 さらり、と俺が乾かしたばかりの金髪を耳にかけて、お嬢は重ねて鈴を転がすように喉を鳴らす。


「ま。どうでしょう。

 ……でも、次に空木さんが私に神経衰弱で勝てたらその質問に答えて差し上げてもいいですよ?」


「クソっ、お嬢が今日覚えたゲームで既に俺にマウントを取ってきてる!」


 ちなみに、いちおう神経衰弱リベンジマッチをしたけど普通にボコボコにされたからお嬢の真意はわからなった。


 くそう……俺が教えたゲームなのに……。



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