2章 かけがえのないメイド

はじめてのお風呂




 買い物を終えて、家に帰って、お嬢の料理を食べる。

 朝食べた時と変わらずお嬢の料理はおいしくて、ついつい明日以降も食べたくなってしまう。

 だが、これではさすがに負担が偏るので後で話し合おうと重ねて決意する。


 それでそのあとは帰り道で言った通り、お嬢にトランプを教えつつ遊ぶことになった。

 ちょうど風呂を沸かして、湯が張るまで少し時間があったしちょうどよかったのだ。


「神経衰弱はこういう感じで……」


「ふむふむ」


「こうやってカードを合わせていって多かった方が勝ちのゲームです」


「なるほど。神経を衰弱させるほど頭を動かしてカードの配置を覚えるから『神経衰弱』なんですね」


「やってみるのが早いと思うよ。習うより慣れろだよ。

 まあ、流石にいきなり俺に勝つのは難しいと思うけどさ」


「ま。なら私がもし勝ったら空木さんは罰ゲームですね」


「はっはっは、そんなことはないですよ」


 いざ尋常に、勝負!


 オラーッ!


「負けたーッ!」


「ま。私の勝ちですね」


 びゃらっと取ったカード計20ペアを広げて口元を隠したお嬢は微笑む。

 そして6ペアのカードを握りしめてうずくまって泣く俺という敗者。


 お嬢強すぎない?


「なんか最後らへんめくってないカードも一発で的中させて取ってませんでした? あれどういうからくりなんです?」


「なんとなく、でしょうか? ふふ、運が良かったですね」


「いやそれでもそれを五連発とか普通の人はできないんですけど……」


 なんだ? これが御伽々という高貴な支配者の血なのだろうか? 俺のような一般人とは元からものが違うとでも言うのかよ……。


 俺が絶望に打ちひしがれていると、部屋の中にぴぴ、と電子音が響いて風呂が沸いたことを知らせてくれた。


「あ、お嬢風呂沸きましたよ。先、いいですよ」


「沸いた、ですか?」


「はい。一番風呂は何にも代えがたい贅沢ですから、ここはお嬢が……」


 言いかけて、少し考え込む。


「あの、一応聞きますけど、お嬢風呂の入り方とか……わかりますよね?」


「ま。そのくらい私にもわかります。ちゃーんと一人で身の回りのことくらいできます。

 それに、普通のおうちのお風呂のこともちゃんと予習済みです!」


「おお!」


 ほっ、良かった。最悪の場合お嬢に風呂の入り方から教えなきゃいけないかと思ったが、それは避けられそうだ。

 俺が胸をなでおろしていると、お嬢はあたりをきょろきょろと見渡している。


 お嬢?


「それで空木さんお風呂はどう沸かすんですか? たしか、下で火をふーふーしなきゃいけないんでしたっけ?」


「あ、お嬢が思い浮かべてるお風呂がかなり古いタイプ! 残念ながらここはそんなことしなくても快適にお風呂はお楽しみいただけます!」


「ま、ま。この知識は間違っていたんですね……恥ずかしいですね……」


「ちなみにどこで仕入れた知識ですか?」


「ほのか姉さまから借りた本ではそのようになっていたのですけど……」


「だいぶ尖った本を貸されてますね……」


 ほのか姉さま。確かお嬢のお姉さんだったかな。

 御伽々翁の長女。身体が弱いから田舎で療養中らしく、俺は直接会ったことはない。

 いつか会う機会があるだろうか。


「では、お言葉に甘えてお先にお風呂いただきますね。服、お借りします」


 そう言ってお嬢は俺に頭を下げると俺が貸した寝間着代わりのジャージを手に取って風呂場に行こうとする。

 だが、俺はその前にお嬢を呼び止めて、昼間買っておいたものを手渡した。


「あ、待ってくださいお嬢。はいこれ、使ってください」


「これは、なんですか? ネット、のようですけど」


「洗濯ネットっていう道具です。これから一緒に住むにあたって洗濯物が出ると思うんですけど、お嬢のものはこのネットの中に入れてもらおうかなって」


 俺が手渡したのは洗濯ネット。それも100均とかで売ってる中身が見えないようになってるタイプ。

 そのままぽーんと洗濯機に入れられて、その上洗ってる中身は見えないという優れものである。


「まあ、洗濯自体は俺がしようと思いますが、お嬢的に俺に見られたくないものとかはこれに入れておいてくれれば助かります」


「見られたくないもの、ですか?」


「まあ、ほら、具体的には言いませんが、ほらあるじゃないですか、まあそういう感じのやつです」


「私、空木さんに見られて恥ずかしいものなんて着てませんよ?」


 きょとん、とお嬢が首を傾げつつそう言ってきた。


 ―――。


 いや、たぶんこれ俺の言いたいこと伝わってないな。なんかそういうのだんだんわかるようになってきた。

 ぼりぼりと頭をかきつつ、そっぽを向いてお嬢に伝わりそうな説明を考える。


「えーと、お嬢が俺を信頼してくださるのは嬉しいですけど、ほら、インナーとか、ね? 一応節度とかもいろいろあるので」


「……あ。そういうことですか。なるほど」


 うん、と神妙な顔で頷くお嬢。

 やれやれ、ようやく俺の言わんとすることが伝わったらしかった。


「洗濯したいものはそのまま洗濯機に入れておいてください。今着てるワンピースみたいなのはもうちょい丁寧に洗った方がいいと思うんで、そっちは青色のカゴに入れておいてください。俺の私服とかとまとめて洗うんで」


 わかりました、とお嬢がトランクをごそごそやって着替えと洗濯ネットを持って風呂場へと向かった。


「あ、シャンプーとかは好きに使っていいですからね!」


 わかりました、とお嬢が答え、そのすぐ後にお嬢が何かを思い出したかのように扉を開けて、ひょっこりと顔だけをこちらに覗かせた。

 さらり、とお嬢の日本人離れした蜂蜜のような滑らかなブロンドの髪が流れ、まるで風に揺らされるカーテンのようにたゆやかに揺れる。


「空木さん、いくら私がお風呂に入るからって、のぞいちゃ、だめですよ?」


「あ、あったりまえでしょ!? なんてこと言うんすかお嬢! それはジョーダンじゃ済みませんよ!」


「ま。怒られちゃいました。ふふ。ごめんなさい」


 くすり、とお嬢がいたずらっぽく笑って頭を引っ込めた。


 まったく、お嬢は冗談が過ぎる。俺がお嬢の着替えとか風呂なんぞ覗くわけないだろう。

 そもそも俺とお嬢は6歳も歳の差があるんだし、お嬢の着替えなんて見ても何も思わないわけなんですよ。


「―――一応、離れとくか」


 いや別にうっすらお嬢の着替えの衣擦れらしき音が聞こえてめちゃくちゃ気まずいとかではないんですけどね。

 まあ俺も大人の男ですし? お嬢が不快に思うかもしれないことはしたくないんですよね。


 完全に雑音をシャットアウトするために耳にイヤホンをさして、息を吐いた。

 これで俺にはお嬢がたとえどんな派手に―――それこそ日曜朝からやってるプリティでキュアキュアなあれみたいにド派手に着替えていても気づくことはないだろう。


「……俺に、見られて恥ずかしいものはない、ね」


 ―――すごいこと、いいやがる。

 お嬢は本当に適当というか、天然というか、突然ぶちかましてくるな。


 たぶん本人は深く意味を理解してないとは思うんだけど、ああいいうの良くないよなぁ。

 いつかそれとなく注意……は、難しいか。


 こういうの深鏡さんの仕事な気がするし、俺ではちょっと荷が想い。


 深鏡さん、いま何をしているんだろう。

 たしかお嬢の居場所を作るためにいろいろしてるらしいけど、どんな交渉をしているんだろう。

 そもそも上手くいっているのだろうか。


 ……いや、そこを考えるのは俺の仕事ではないか。


 俺はお嬢の生活を支えて、守る。

 それ以上のことは求められてないし、できると思わない。


「空木さんっ!」


「うおっ!?」


 何だ!? 急に!? 敵襲!? イヤホン抜き取られた!?


「ま。空木さん、ほんとうに私の声が聞こえてなかったんですね。ひどいですよ、私何度も呼んでいたのに」


「あ、それはごめん。ちょっといろいろ考え事をしていて」


「それなら、仕方ないですけど」


 どうぞ、とお嬢が俺にイヤホンを手渡して返してくれる。

 それを受け取りつつ、って、うお、お嬢の顔が近い!


 どうやら俺が風呂場に背中を向けて唸っていたせいでお嬢はずいぶん近寄っていたみたいで、俺が顔を上げるとお風呂上がりでほこほこになったお嬢の熱を感じた。


 これはお嬢もちょっと予想がないことだったらしく、きょとんと目を丸くして、少しだけ身を引いた。


「ま。お顔、少し近いですね」


 お嬢はいつものように口元に手を添えて笑うが、俺のジャージが大きいせいかするりと袖が滑って肘あたりまでほっそりとした華奢な腕が覗く。

 熱のおかげかいつもより赤みを帯びた、しみひとつないきれいな肌。

 伏し目がちな瞳を飾るのは睫毛までの金の色。

 髪は未だしっとりと濡れていて、そこから香るにおいは俺の鼻腔をくすぐり、くらくらと揺さぶって来る。


 おかしいな、俺と同じシャンプーなのになんでお嬢はからはこんないいにおいがするんだろう。

 普段使いしていたシャンプーが髪にいい匂いになる成分でも定着させててるんだろうか。

 それとも、女子っていうのはこんないいにおいがするもんなのか?


「え、えと、こほん。お嬢、髪乾かさないんですか? 風邪ひいちゃいますよ?」


「あ、そうですね。空木さんのお返事がないのでこちらに来たから忘れていました」


 とりあえず、お風呂上がりのお嬢にやや動揺させられていることがばれないようにそう切り出しておく。

 これでひとまずはお嬢と会話をしつつ、時間を稼げるはずだ。


 今のうちに―――あれ、なんかドライヤーとハンドタオルを手渡された。

 すとん、とお嬢が俺の前に正座をすると髪を手に持ち、こちらに向けてくる。


 そして、俺に向けて微笑んだ。


「では、空木さん、私の髪、乾かしてくださいますか?」


 ……え?

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