はじめての役割分担


 たい焼きを食べて、買い物をしたあの日、少しだけお嬢のことが分かったの日。


 あの後、俺とお嬢はそれぞれ家での仕事を分担した。


 まず、料理は全面的にお嬢がすることになった。

 俺としてはそれこそ半々くらいでサイクルを組みたかったのだが、お嬢は頑として譲らず、最終的には「私の方が家にいる時間が長いので、私が作る方が無駄がないです」という言葉に押し切られてしまった。

 そしてその理論の応用でそのまま部屋の掃除などもお嬢の仕事に。

 流石に俺も反論して皿洗いは分業にしたものの、日常生活の俺の部屋の細々したことはお嬢の仕事になってしまった。


 以前は俺がお嬢の部屋を掃除していたのにな……なんか立場がどんどん逆転しつつある気がするな……。


 あ、でもその代わりに外での仕事はだいたい俺が担うことになった。

 朝のゴミ出しとか、食料品とかの買い出しとか、そういうの。

 ちょっと出歩いてお嬢が買い物するくらいなら問題ないとは思うけど、重いものはお嬢ではやっぱ大変そうだしね。


 そしてその中でも、俺の最も重要な仕事は「生活費を稼ぐこと」である。


 俺は基本、親からの仕送りにあまり頼っていない。

 それは親との仲がよろしくないとかではなく、まあ言ってみれば俺の純粋な意地みたいなものだった。

 今まではお嬢が雇ってくれていたから少し余裕はあったが、今はそういうわけにもいかなかった。

 むしろ今はお嬢の分の食費も余分に稼がなきゃいけないから、前にも増して気合を入れて働かなきゃいけない。


 つまり導き出される答えはそう、アルバイト。

 働いて、金を稼いで、お嬢と自分の暮らしを支える。これが急務である。


「陸人ー、三番テーブル! オーダーとって!」


「はい! 今行きます!」


「あ、お兄さんこっちビールいい?」


「ビールですね! 承りました!」


 オーダーを聞いて、店長の言葉を聞いて走り回る。

 揚げ物を受け取って指定のテーブルまで運んで、ビールのグラスをこぼさないように丁寧に、でも迅速に持ち運ぶ。


「お、陸人、今日は頑張ってんなぁ。女でもできたかー?」


「ほんとそういう話好きですね、ロクさん。別に俺は普通ですよ、普通」


「もし惚れた女を見つけたなら決して離しちゃなんねえよ。他にも女がいるなんて思わずに、男ならこいつ! と腹を決めろ! そうすれば自然と事はうまく運ぶってもんよ」


「おいおいロクの字、陸人は女なんていないって言ってんじゃねえか? なあ?」


「馬鹿野郎! 俺にはわかる! こいつの顔からは女ができたやつ特有のオーラが出てる! 陸人、そうだろ!」


「はいはいロクの字わかったからほら飲もうぜ、な?」


 ロクさんにビールを勧めつつ、こちらに向けて「悪いな」と頭を下げた常連客の一人にこちらも頭を下げて、接客へと戻る。


 ここは俺が以前からアルバイトでお世話になっている居酒屋である。

 付き合い時代はお嬢に雇われるよりも前からで、お嬢のところに出るようになってからも頻度は低くなっていたけど、ここのアルバイトは続けていた。


 なにが良いってここはすげー珍しいことに店長の方針で週払いなんだよな。

 つまり今すぐ金が欲しい俺みたいなやつにはすげー助かるバイト先ってことである。



 時刻は夜。居酒屋が一番混む時間……とはいえ、しばらく働いていると平日ということもあって少し賑わいも落ち着いて来る。

 俺ががっちゃがっちゃと食器を運び、机を拭いていると、ちょうど隣の机に座って一人で飲んでいた男性から声がかかった。


「お、陸人クン。久しぶりだねぇ。もう一つのバイトの方はいいのかい?」


「おお、センセイ、お久しぶりです。仕事の調子はどうですか?」


「まあ、ボチボチだねぇ。僕みたいなたかりの弁護士の仕事なんて、それこそ多くない方がいいからねぇ。法曹界の片隅に生きる害虫、それが僕さ。

 まあそのおかげで顧問弁護士に任せられないような敗戦処理みたいな案件やたかりみたいな仕事を外注してくれるんだけどね。ふふ、害虫に外注ってね……」


「センセイ、飲むのは控えめにしてくださいよ。俺、もうセンセイを背負って連れていくの嫌ですからね」


「ははは、安心しなよぉ。今日の僕に潰れるほど飲む金はないさぁ。

 何もなければ、この一杯でお暇することになりそうだねぇ」


 からからと乾いたように笑う痩躯のこの人は、この店では「センセイ」と呼ばれる弁護士さんだ。

 センセイは何でも昔は一流の弁護士事務所にいたそうなのだが、不正が許せずあたりかまわずケンカを売っていたら仕事が回されなくなった……らしい。


 そのせいかちょっと自虐的なところがあるんだけど、たぶん根っこは悪くない人だと思う。


「おいおいおい、センセイ! 陸人をひとり占めとは羨ましいじゃねえか! ほれ、一緒に呑もうぜ! 何の話してたんだ!?」


 と、センセイと俺が話していたらそれに気づいたロクさんがセンセイの向かい側に座った。

 センセイが眼鏡を中指で押し上げて、ニヤッと笑った……気がする。


「いや、ロクさん申し訳ないが僕にはもう手持ちがなくてねぇ。これで終わりにする予定なんだ……」


「なんだいそりゃあつまらねえな。そのくらい俺に頼ればいくらか出してやるってのによ」


「へぇ、ロクさん、それは僕の分まで奢ってくれる、と。そういうことですかねぇ」


「お、おお? おお、そうだな? そうか?」


 あれ? とロクさんは首を傾げそうだったが、それよりも早くセンセイがロクさんの隣に座り直して肩を組んだ。


「いやあ僕はいい友人を持ったなぁ! さあ今日は飲もう! さぁ陸人君ビールお代わり頼むよぉ!」


 この人俺をダシにロクさん釣りやがった……その観察眼もっと真っ当な仕事に役立てたらいいのに……。




           ◆




「店長、シフト増やしてくれてありがとうございました。正直かなり助かりました」


「いいっていいって。俺も学生の頃は色々入用になったら助けてもらってたし。なにより、陸人はよく働いてくれるしな。こっちが助かってるくらいだ。気にすんな」


「……あざす! 来週も頑張って働きます!」


「かっかっかっ、期待してるからよ」


 頭を下げてバイト先の居酒屋から立ち去る。


「涼しくなってきたなぁ」


 半月ほど前まではうだるような暑さだったのに、それもいつの間にか随分と和らいだ。

 過ごしやすくなるのはありがたいが、これも今だけでしばらくすれば寒くなってしまうのだろう。


 最近、夏は長いのに秋は一瞬であっという間に冬がやってきちゃうんだもんなぁ。


「お嬢、ちゃんと寝てるかな」


 もうすっかり遅い時間だしさすがにご飯を食べて寝ていると思う。


 月がすっかり高く上り、街灯との光が俺の影法師をぼうっと長く伸ばしていく。

 その影をたどる様に俺が一歩一歩進み、お嬢の待つ家へと歩いていく。


 お嬢が来てもう五日。そろそろ、一人じゃない生活に慣れてき始めた。


「でも、そろそろお嬢の服とか揃えた方がいいよなぁ。

 今日のバイトで来週の生活費は安泰だと思うし、なら今のうちにお嬢の身の回りの物整えたいな」


 だってお嬢の外出の時まだ俺のキャップ被せてるし、寝るときは俺のジャージなんだもんな。

 流石にそのどっちかはお嬢用のものを買いそろえてあげたい。


 でも、俺デザインとかわかんないしなぁ。行くならお嬢も一緒じゃないと、そう考え―――瞬間、俺の首筋に何かが添えられた。

 ぞくり、と背筋に冷たいものが流れ、肌が泡立つ。


 俺は反射的に逃げようとしたが、それよりも早く腕を極められて動きを封じられてしまった。


 は? え? これ、なんだ? どういう状況なんだ?


 何で俺なんかに―――いや、まさか、お嬢か?


 深鏡さんが言っていた「お嬢を探している」っていうグループの幹部。

 それが俺とお嬢と、深鏡さんのつながりを見つけたのか?


 頭の中が一気に「どうすれば」に埋め尽くされ、必死に何かこの状況を好転させる方法を探そうとする―――が、それよりも早く俺の耳元に口が寄せらる。

 そして俺の背後に音もなく忍び寄ったその人物は、俺へとささやいた。


「元気そうね、空木。まほろは元気?」


「なァんでェ! いきなり俺の背後を取って関節極めてんだァ! 深鏡さんはさァ!」


「無防備な背中を深鏡に見せた方に非があるわ。空木、緊張感がないわね。

 深鏡がアサシンだったら空木は死んでいたわよ」


「無防備だったら背中を攻撃していいとかいうルールがあるのなら日本の治安は終わってんだよォ!」


「フッ、確かに。深鏡の負けね」


「だからいつも深鏡さんは何と戦ってんの!?」


 俺の叫びを聞いて背後の彼女―――御伽々まほろの唯一無二のかけがえのないメイド、深鏡かけがえはクールに笑ったのだった。


 いや、笑ってないで早くこの腕の拘束解いてくれない?

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