没落お嬢様と同棲することになったが、やたら甘々で困ってる。
世嗣
プロローグ
とんとん、と包丁が動き、まな板を叩く音がする。
くつくつ、と湯が煮立ち、味噌の香りがほのかに香る。
じうじう、と油が跳ねて、フライパンに熱された空気を肌に感じる。
俺の朝はいつも、彼女の料理で始まる。
小さなワンルーム。狭い台所と、家具が所狭しと置かれた小さな部屋。
そこに俺たちは暮らしている。
「あ、豆腐の味噌汁だ」
「ま。陸人さん。起こしちゃいましたか?」
「いや、ちょうど起きるところだったから。おはよう、まほろ」
「ふふ、はい、おはよございます」
俺のあいさつに何が嬉しいのかエプロン姿の彼女―――まほろは微笑んだ。
まるで花がほころぶような無垢な笑顔だった。
「もうすぐ朝ごはんできますから座って待っててくださいね」
「あー、いや俺も手伝うよ。
なんか今日も作らせちゃったの申し訳ないし。というかここ俺の家だしさ……」
「いいえ、いいえ。私、いまは陸人さんに養ってもらってるんですからこのくらいしなくちゃダメです」
「気にしなくてもいいのに」
「ふふ、いいんですよ。私、お料理好きなので」
「いやなんというか、俺より年下の子より遅く起きて料理も作ってもらうだけというのがすごく胸が痛むというか……」
俺は今19歳の大学生で、まほろは14歳の中学生。
諸事情あってまほろは今学校に通わず俺の家にいることが多いとはいえ、相手はまだ未成年の子どもである。
その彼女に何から何までお世話になるのは、こう、年上のプライド的によろしくない。
「まあ、とにかく俺はできることやるよ。白ごはん準備すればいいかな」
「いいんですけど……。でも、せっかくなのでお願いしちゃいますね」
彼女はそのままふんふん、と楽しげに鼻歌を歌いながら台所で手を動かし、料理を完成させる。
そして、手早く皿に盛り付けると、二人で使うにはやや小さめの机に料理を並べる。
メニューは炊き立てのつやつやの白ごはんに、玉子焼き、きゅうりの漬物といった質素だけど王道の和食のメニュー。
まほろは本当は洋食の方が作るのが得意なそうなのだけれど、俺が前「和食が好きだな」とぽろっとこぼして以来和食をメインに作ってくれるようになった。
ありがたいことだ。
「いただきます」
「めしあがれ」
手を合わせて挨拶。
そして、まずは汁物で体をあっためる。空気と一緒に含むように熱々の味噌汁に口をつけると、舌がぴりつくような熱さの次に、口の中にぐっと旨みが広がった。
よく出汁がとられているからだろうか、うまみと温かさで体が奥から温まるように思える。
「ふー、美味しい。やっぱり日本人は味噌汁だよなぁ。
なんだか今日のはいつもよりおいしい気がするよ」
「ま。わかりましたか? 実は今日のはお出汁を変えてみたんです。いつもは一番安いのいりこ出汁のを買っていたんですけど、商店街の定食屋さんの小母様がいいものを紹介してくれて」
「ああ、あそこの声の大きいおばちゃんの。それは今度寄ったときにお礼を言わなきゃだな」
言いつつ、切り分けてある玉子焼きをひと切れ小皿に取ると、つつ、と醤油をたらしてごはんと一緒に口に入れた。
炊き立てのお米と、噛めばじゅわりと出汁の染み出す玉子焼きは、しょうゆと交わることで得も言われぬ旨みを生み出す。
ぎゅ、ぎゅ、と噛むたびに幸せそのものを噛み締めているようですらある。
やっぱり、美味い。
なんだかこんな食事が毎朝食べられるなんて恵まれすぎている気がする。
まほろには頭が上がらないなあ。
「陸人さんはおいしいそうに食べますよね。私も作りがいがあります」
「そうかな? っていうかまほろも食べなよ。まほろはまだ若いんだからいっぱい食べた方がいいと思うよ、俺」
「ま。それはそうですね。ではそうさせていただきます。
あ、でもその前に陸人さんお代わりは大丈夫ですか? 私、よそいますよ」
「良いって! そのくらいできるから!」
「まあまあ」
「いややるって……って力強っ! どんだけ俺にお代わりをさせることに執念を注いでいるんだ!?」
まほろは俺にお代わりを渡すと、なにが楽しいのかにこにこと俺の食べる姿を見て、そしてようやく自分もゆっくり箸を動かす。
俺はそのペースに合わせるようにゆっくりと食事を味わいつつ食べ進める。
その甲斐あってか、まほろが丁寧な所作で茶碗から最後の一口を運んだのは、俺がきゅうりの漬物を食べ終わり、口の中をすっかりリセットしたタイミングだった。
「ふう……」
「ほう……」
二人であったかいお茶を飲んで、ひと息。
そして俺の狭い部屋の備え付けの世辞にも広いと言えないシンクで皿を洗う。
俺が一人で洗ってしまおうと思っていたのだが、俺が皿を洗い始めるとすぐ隣には、布巾を手にしたまほろが立っていた。
「ん」
「はい」
すっかりこういうのも当たり前になって来たなあ。
「あ、そう言えば今日はバイトで遅くなるかも。ラストまで入るから、帰るのは23時近くになるかも」
「ま。そうですか。ならそのころにお料理できるようにしておきますね」
「いや、まほろは先に食べてていいよ。もっと遅くなるかもしれないし、おなかも減るだろ?」
「いえ、そんなわけにはいきません。家主を待たない居候など居候失格です」
強情だ。まほろはこういうところはちょっと融通が利かない。
俺が何と言い返そうかと考えていると、まほろは俺の考えがまとまるよりも早く「それに」と言葉を引き継いで、少しいたずらっぽく口元を抑える。
「それに、ひとりで食べるごはんなんて、私さみしくて喉を通らないかもしれません。
もちろん、陸人さんが無理に食べろというなら食べますが……」
「それで食べろって言ったら悪者は俺じゃん……」
「はい。なので、大人しく私に待たれてください」
待たれてください、か。ダメだ、勝てないや。
これは俺が気合い入れてなるべく早く帰ってくるしかなさそうだ。
皿洗いが終わると手早く歯を磨いて、大学に行くのに使っているリュックを背負って、スニーカーに足を入れる。とんとん、とつま先を叩いてサイズを調整。
そんな俺を見送る様にエプロンで手を拭きつつ玄関に駆け寄ってくるまほろ。
まるで飼い主を見送る子犬のようだった。
俺が飼い主とか、あべこべだな。本当は逆なのに。
頭をかきつつ、かぶりを振る。
「じゃあ『お嬢』、俺行ってくるね。いつも通り部屋にあるものは好きにしていいからね」
「つーん」
「あれ、お嬢?」
なぜか急にまほろがそっぽを向いて、俺の言葉を聞こえない振りを始めた。
……やっぱ、強情だ。
「……行ってきます、まほろ」
「はい、合格です。いってらっしゃい、陸人さん」
名前を呼ばれて、俺がかつて『お嬢』と呼んでいた彼女は微笑んだ。
彼女の名はまほろ。
日本有数の大企業『御伽々グループ』のご令嬢であり、俺の同棲相手。
そして、俺を甲斐甲斐しくお世話してくれる、俺の元『ご主人様』。
そして、そんな彼女に家を提供している俺は、普通の大学生で彼女の元『使用人』。
ややこしくて、何とも言えない関係だ。
だから、なぜこんなことになったかを語ろうと思う。
俺とお嬢の―――
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