はじめての同棲相談
いつもよりやや急いで自転車を漕いで、一限の講義室に滑り込んだのは講義が始める数分前だった。
だが幸運なことに教授はまだやってきておらず、講義室の中の学生はがやがやとそれぞれが雑談に興じていた。
セーフ。遅刻は何とか免れたな。
俺がリュックを下ろして、パソコンを引っ張り出したら、どすんと隣の椅子に誰かが座った。
「や、遅れてくるかなって冷や冷やしたよ、空木」
「残念ながら俺はお前と違って講義に穴をあけたことはない優等生なんだよ、風野」
「優等生……? 定期考査の前にオレに泣きつく男が……?」
「女ひっかけて講義サボる風野に何言われても痛くないんだわ」
「人聞きが悪いな。オレはいつでも本気だよ。いや、本気なんだけどね、また振られちゃってね、なんでだろうね、ハハ……」
死んだ目で乾いた笑い声を出す風野。
女受けしそうな優し気な顔立ちと、穏やかな語り口。
色を抜いた茶色の髪と、眼鏡の奥で笑顔と共に細められる目と、すらりと伸びる高身長。
女にモテそうな男の典型のような容姿をしていて、実際に女にめちゃくちゃモテる。
けど、なぜかいつも長くても一か月くらいで女の子の方から振られている男。
俺の大学での数少ない友人の一人である。
風野とは新歓の飲みでたまたま一緒になって、軽く話したときにあいつが俺のことを面白がってからの付き合いである。
女にはもちろん、男の友人も多い風野が俺の何を気に入ったのかはわからないが、それ以来こうして講義が同じときには一緒にいることが多くなっている。
教授はまだ来ない。もう少しダベれそうだった。
「それで、今回は何で振られたんだ? 前の経済学部の新川さんは『あなた私じゃなくてもいいでしょ』って言われてたけど」
「まあ、今回もそんな感じかな。『貴方が本当に好きかわからない』ってさ……ハハ……流石にちょっと凹むよ」
「まあ、元気出せよ。今度マックでもおごってやるから」
「うーん、空木のそういう変わらなさは安心するなぁ」
「一応予防線を張ると俺は普通にちょっと年上のおっとりしたお姉さんタイプの人が好きだからな」
「別に空木は狙っちゃいないし、オレだって普通に女の子が好きだよ。好きなんだけどね……」
こいついつも似たような理由で振られてるな……。いつかちゃんと好きになってくれる人と出会えるといいな、うん。
友人としてはマジでそう思う。こいつ、見た目がチャラいだけで割と真面目なやつだし。
乾いた笑みを浮かべていた風野が大きく一つ深呼吸をする。
それで気持ちを切り替えたのか、風野は「そういえば」と切り出した。
「御伽々グループの社長さん亡くなったんだってな」
ドキリ、と胸が跳ねた。
「空木って御伽々系列のところでバイトしてたろ? やっぱ色々影響あるの?」
「まぁ、多少はね。しばらく今まで行ってたところには来なくていいって言われたわ」
「へえ、やっぱりトップが死ぬと色々影響あるんだなあ」
風野には俺は「御伽々グループ関係のアルバイトをしている」とだけ言ってある。
あんまり嘘はつきたくないけど、お嬢の使用人みたいなことをやってると言うことは深鏡さんに固く止められていた。
俺からたどってお嬢の身柄にたどり着いて誘拐など起きたら、それこそ大事だし、それも当然ともいえる。
たぷたぷと風野がスマホを触りつつ、だらだらと俺と話す。
「今年で80歳かあ。最近は医療が発展してるとはいえ、まあ、ご高齢だよねぇ」
「風野もそういうことには興味あるんだな。直接関係あることでもないだろう?」
「まーね。でも、日本を代表する大企業のことだ。オレも日本人なら多少なりとも気になるさ。
こういう大企業とか後継者とかどうなるんだろうな。御伽々社長に息子とかいたとは聞かないけど」
「さぁなあ」
生返事を返しつつ、ちらっと風野のスマホを覗き込む。
そこには『御伽々グループ代表御伽々翁氏死去。気になる御伽々グループのその後は?』という見出しのネットニュースサイトが開かれていた。
ニュースの真ん中あたりにある御伽々翁氏は、老齢というのも納得のしわくちゃの年老いたおじいさんで、あまりお嬢とは似ていなかった。
この人が、お嬢のお父さんね。
あまり会ったことがないって言ってたけど、いったいどんな人だったんだろうな。
まあ、亡くなった人のことを考えても仕方ないか。
今は生きている、俺を頼ってくれたお嬢のことを考えよう。
このあと講義が終わったらお嬢と買い物に行くつもりだけど、何を買うのがいいだろう。
ううむ、女子って何がいるんだ?
うーん。どこかに女と付き合ったことがあるような経験豊富な友人が……いたわ、俺の隣にめっちゃいたわ。
「なあ風野。これは純粋な興味から聞くんだけどさ、女子と一緒に住むって、どんな感じ?」
俺の言葉に、風野がポカンとした顔でたっぷり三秒黙り込んでしまった。
何だよその、ザ鳩が豆鉄砲を食った顔は。
「一応聞くけど、いまオレの目の前にいるのは俺の知る空木なんだよな? 実は誰か別の人になり変わられてたりしないな?」
「お前は俺をなんだと思ってるんだよ」
「恋愛興味なし鈍感朴念仁の正直だけが美徳な男」
「ケンカ売ってる?」
「あとアルバイトが生きがいで性欲もない安全牌」
「風野が俺をどう思ってるかよーくわかったよ。これからは俺も友達付き合いを考えないとな」
「いやいや待て待て、だってお前そういうやつじゃん」
俺が荷物を持って離れようとしたら、風野が慌てたように俺の手を掴んで座らせた。
風野は「ごめんごめん」と謝りつつも、俺を上から下までしげしげと見つめる。
「どういう風の吹きまわしで、女子のことなんか聞いてくるんだ?
いつの間にか恋人でも作って同棲することにでもしたのか?」
「そういうわけでもないけど……まあ、興味だよ」
「ほぉん……」
嘘じゃない。
同棲はする……けど、その相手は恋人じゃない。ただのご主人様だ。
それも一ヶ月だけ。
うん、嘘はついてない。
風野はしばらく俺を疑わしげに見ていたが、やがて「まあいいか」と呟いた。
そしてそのままスマホを触りながら、いくつか女性と暮らすうえでの注意を教えてくれた。
「まあ、金とかの問題はめんどくさいかもな。付き合ってる時はいいけど生活費とか別れる前になるとすげえギスギスする。
あとは家事の分担は細かく決めておいた方がいいだろうな。こういうのどっちかがやるとかだと偏るし。
ああ……、あとは生活リズムとか。相手がいつまでも起きてると寝れないし、狭い部屋だとそれでストレスが溜まったりするな……」
「めっちゃでてくるじゃん……」
「まあ振られたばっかだからな。
ハハ……こういうことないように気を付けてたんだけどな……まあ振られた子とは一緒に住むとか全然たどり着いてないんだけどさ……」
「そ、そっか……」
「なにちょっと『めんどくさいスイッチ押しちゃったな』みたいな顔してんだ。お前が押したスイッチだぞ最後まで責任持てよ空木」
「ああもうっとおしい! 今度マックおごるって言ったろ!」
「それだけじゃ癒しきれん……今晩お前んちで鍋しようぜ。スマブラやりつつ愚痴吐き出すから」
「ヤだよ。風野俺のことハメてくるし」
「そう言うなって。ほら、具材代くらいはオレが出してやるから」
「まあそれなら―――」
良いけど……って、良くない! 全然良くないわ! それ以前の問題だ。
いつもの流れでついつい了承しそうになったけど、今はまずい。
だってお嬢がいるんだ。
風野とお嬢が鉢合わせることなんてあれば……うっ、考えたくない。
説明がめんどくさすぎるし、もし風野が通報したら俺は一発アウトになりかねん……。
そういうことをする奴ではないのは知っているけど、それはそうとして気を付けておくに越したことはない。
うん。何としてもこいつが家に来るのは防がねば。
「じゃあ、今日オレ四限までだから終わったら具とか買って空木んちに―――」
「あー、悪い。今俺んちちょっと、こう、他人を入れられる感じじゃなくてさ。鍋パは次の機会でもいいか?」
「他人を入れられない? 多少汚くてもオレは気にしないけど?」
「いや、その、すごいんだよ! こう、手出しできないすごいのがあるって言うか……」
主に御伽々まほろっていう俺のご主人様が俺の家にいるって言うか。
「オレが最後に空木の家に行ったの四日前なのにそんなすごい
さすがに手を出した方が良いんじゃないか? そのまんまって訳にいかないだろ」
「手を出す? いや、それはだめだ……そんなことしたら俺がどうなるかわからない」
「そこまで?」
「ああ、最悪の場合俺の首が飛ぶからな」
「え、空木死ぬの!? どういう状況?!」
深鏡さんの脅しが俺の中に残ってる限り、俺がお嬢に手を出すとかありえないわけなんですよ。うん。
なんか話がややかみ合ってない気もしたけど、最終的に風野は納得してくれた。
良かった良かった。
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