かけがえのないお嬢様





 生まれた時、深鏡は深鏡ではなかった。


 別に、哲学的なことを言っているわけではないわ。

 本当に、深鏡は『深鏡』じゃなかったのよね。


「なぜ、お前のようなものがあの女から生まれて来たのだ」


 一番古い記憶を思い出そうとすると、何よりも最初に『失望』が出てくる。

 それは深鏡が抱いた失望ではなく、深鏡に抱かれた失望だった。


 父は、御伽々翁はまだ五歳の深鏡のことを見てそう言っていた。


 フッ、仕方のないことね。

 だって深鏡はその段階でも既に並みの子どもをしのぐ学力と知性を示していたのだから。

 よく覚えていないけれど、深鏡が遊びで解いていたパズルは高校数学だったという話よ。


 そう、深鏡は生まれた時から天才で、完璧で、唯一無二で、それで失望されていた。


 深鏡の本当の名前は『御伽々かけがえ』と言う。

 でも、父はわたしに―――深鏡にそれを名乗ることを許さなかった。


 なんでそんなに才能があるのがお前だったんだ、と失望されていたから。


 深鏡は妾の子だったの。


 御伽々翁は若いころからたくさんの妾を囲っていたのよね。

 ジジイのくせに、それが男の甲斐性だとでも思っていたのかしら? 馬鹿らしいわ。それで結局、深鏡みたいな妾の子どもを産ませてしまったのだから。


 ああ、でもそれも深鏡の母親が勝手に産んでしまっただけ。

 あのジジイは絶対に正妻以外に子どもを産ませるつもりはなかったそうだし。


 愛されて生まれた子どもじゃないのよね、深鏡。

 深鏡がいるのに気づいた母親が黙って育てて、黙って産んだ、まあそんな感じ。


 母親は出産から程なくして死んだと聞いているわ。

 ずっと一人で無理していたから、体力的にも参っていたんだそう。


 そのことに感謝して、尊敬するのと同時に、馬鹿だな、とも思う。

 どうせ『御伽々』とも名乗らせてもらえない子どもを産んで何をしたかったのかしら。

 子どもを産めば他の妾とは違う扱いをされると思った?


 それとも、この深鏡に―――御伽々かけがえとも名乗れないわたしに、愛情があったのかしら。


 ……まあ、わからないわ、そんなこと。

 死人とは話せない。生きている人間にできることは、勝手に推測して、それで心を落ち着けることだけなんだからね。


「だいたいわかったわ。もうぜんぶできるわ」


「まあ。かけがえちゃん、すごいわね。5歳なのに高校数学相当の問題を理解しているだなんて……」


「フッ、わたしはてんさいなの。そうでしょう?」


「ええ、ええ。そうだわ。かけがえちゃんはすごい子よ」


「えへへ」


 深鏡は優秀だった。天才だった。唯一無二だった。

 運動も勉強も何でもできるし、教えられたことはすぐに覚えられた。


 だから、たった一度だけお父様に成績を報告しに行ったこともあった。


 そうしたら褒めてもらえると思ったのね。

 まあ、今思い出したらなんて夢見がちなのかって、過去の自分を諭してやりたくなるわね。


「……お前か。


 見上げる顔がひどい失望に彩られたのをよく覚えている。


「お前は、かけがえだ。掛け違えの、かけがえだ」


「はい。おとうさま」


「お前が御伽々の正式な後継者となることはない。けれど、私の娘だ。励め。努力を怠るな。完璧でいろ。そうでなければ、ここにいる価値はない」


「はい。おとうさま」


「お前は今日から深鏡と名乗れ。御伽々ではない。深鏡かけがえだ。掛け違えた、深鏡のかけがえだ」


「はい。おとうさま」


 それ以来わたしは、自分を『深鏡』と呼んでいる。

 自分が父に求められたものではないことを忘れないように。

 自分が生まれてきたこと自体が間違いだったことを忘れないように。


 あれ以来、ずっと深鏡は深鏡なの。


 それにしても信じられる? あのジジイ五歳の深鏡に「お前は掛け違えた」とか言ってるのよ? 人でなしすぎるわね。


 かけたがえ。つまり、間違い。

 あいつ、堂々と「お前の存在は間違いだ」って言ってきたのよ。

 うん、やっぱり信じられないわね。


 でも、仕方ないのかもしれない。


 深鏡は天才だったけれど、本物の『御伽々』の娘にはなれないから。

 もしかしたら深鏡が奥様から生まれた子なら、褒めてもらえたかもしれないけど。

 意味もない仮定だわ。


 意味がないことが嫌い。だから深鏡はたらればの話はしないことにしてる。


 たぶん、深鏡が持っている才能を求められていたのは『御伽々ほのか』の方だったのよね。


 深鏡みたいな妾の子じゃない、正妻の奥様が産んだ本物の『御伽々』の娘。


 でも、姉様は割と普通の子だった。才能はあったけど、それはお父様の求めるものじゃなかった。

 それに生まれつきすごく体が弱かったのよね、姉様。

 そのせいであのジジイは姉様を政略結婚にも使えない娘として見て、会社のことをあまり触れさせていなかった。


 だからなのか知らないけど、姉様はよく私に謝っていたわ。


「ごめんね、かけちゃん。私のせいで、かけちゃんに迷惑をかけちゃって」


「フッ、姉様が深鏡に謝ることなんて何もないわ。むしろ、深鏡がいるせいで姉様への当たりが……」


「こーら、かけちゃん。私といるときは、深鏡って言わなくてもいいって言ってるでしょ?」


「でも、姉様、深鏡はお父様に……」


「ん~?」


「……わかったわ。わたし。これでいいんでしょう? 姉様」


「うん。かけちゃんは私とお母様が違っても、私の妹。大切な家族。

 だからね、あまり無理しないでね。私のせいで、かけちゃんは背負わなくていいものまで背負ってるから」


 ベッドから手を伸ばして、姉様はわたしのことをぎゅっと抱きしめた。


 姉様はわたしとは半分しか血が繋がっていないけど、あの家族の中で一番わたしの心に近かったのは姉様だった。


 だから、やっぱり姉様はわたしの姉様だったし、大好きな姉様だった。


 だって、『掛け違え』のかけがえ、そんな深鏡を家族と呼ぶなんて、本当に姉様しかしてくれなかったから。


 ……いえ、もう一人いたわね。


 奥様から生まれた、女の子。姉様と違って健康で、深鏡と違って正当な『御伽々』の子。


「かけがえねえさま!」


「あら、まほろ。今日も元気ね。何をしてほしいのかしら?」


「ごほん、よんでください! ほのかねえさまから、ごほんかりたんです!」


「フッ、いいわ。深鏡の完璧で唯一無二の読み聞かせを見せてあげるわ」


「ま。たのしみです!」


「その前に、深鏡のことは姉様、ではなくて。かけがえさん、とお呼びなさい。深鏡は、深鏡なのだから」


「なぜですか? かけがえねえさまは、かけがえねえさまですよ?」


「フッ、なんででも、よ」


 まほろ。わたしの半分血のつながった妹。


 髪の色は違う。顔立ちも正直あんまり似ていない。


 でも、目の色だけはわたしと同じ、綺麗な翠色だった。

 その色だけが深鏡に、この子は自分の妹なのだと教えてくれる気がした。


 今の深鏡が19歳で、まほろが13歳だから……そうね、深鏡が六歳の頃に生まれたんだわ。


 奥様はまほろを産んで死んでしまって、父親であるジジイは年老いていたのもあってほとんど興味なんて示していなかった。

 ただ、ようやく『妥協できる』娘が生まれたからか、まほろは幼いころから習い事や稽古を山ほど受けさせられていた。


「まほろ、大丈夫? きついなら深鏡からあの人―――お父様に申し立てるわよ」


「いいえ、いいえ。だいじょうぶです、かけがえさん。お父様が期待してくださっているんです、私、それに応えたいんです」


「……そう」


「きっと亡くなったお母様も、私にそれを望んでいると思いますから」


 微笑むまほろに、少しだけ、昔の自分を重ねて見た。


 お父様に褒めてほしかった自分と、お父様の期待に応えるために努力するまほろ。

 妾の母が自分を産んで死んだ深鏡、正妻である母を生まれた時に亡くしたまほろ。


 まほろの笑顔を見ていると、取りこぼした過去の自分を見ているような、そんな気持ちにさせられた。


 普通なら半分しか血が繋がっていない、自分の存在をすべて否定するような妹なんて嫌いになるものなのかもしれないけど、困ったものね。

 深鏡はどうしてもまほろを嫌いになれなかったの、なれなかったのよ。


 だって、まほろは過去の深鏡で、それで深鏡のたった一人の妹なんだもの。


 どうせなら不幸せになるより、幸せになってほしいと思うじゃない。


 深鏡ができなかった幸せを、掴んでほしいって思うじゃない。


「ま。かけがえさん、そのお洋服は何ですか?」


「フッ、使用人から借りたの。今日からは深鏡がまほろのメイドよ。よく似合うでしょう?」


「ええ、ええ! で、でも、なぜかけがえさんが私のメイドに? かけがえさんは私の姉様で……」


「……フッ、気にしないで。深鏡は天才で、完璧で、唯一無二なの。

 だからやりたいことをやっているだけ。それは今、まほろを完璧なレディに育てることよ」


「そう、なのですか……? でも、私はかけがえさんとまた一緒に本を……」


「さあまほろ! 今日は山ほどやることがあるわよ! まずは合気道よ! 深鏡が稽古をつけてあげる!」


「わ、わわっ!」


 深鏡かけがえ。

 御伽々まほろのかけがえのない、唯一無二のメイド。


 でも、深鏡は全然かけがえのない存在なんかじゃない。


 そもそも求められて生まれてきたわけじゃないのだから、生まれた時から欠けてるんだもの。

 生まれた時から求められていなくて、育つにつれて失望されて、結局認められることなく今までやって来た。


 だからせめて、深鏡は深鏡のことを、本物の『かけがえのない』まほろのために使いたいの。


 それが深鏡の―――かけたがえお嬢様の、在り方だと思うから。



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