はじめての追憶




 ―――この世に運命があるのなら、あの出会いを、私は運命にしたい。



 御伽々グループの代表御伽々翁の末娘『御伽々まほろ』。


 それが私だ。


 一番古い記憶は家の離れにある音楽室でピアノのレッスンをしているところ。

 その次に古い記憶は自室で家庭教師の先生に勉強を教えて貰っているところ。


 正直、あんまり特別さは感じない。

 私の中にはこういう習い事とか、稽古の記憶がたくさんあって、今言った記憶だって私にとっては「すごく古い記憶」という以外にわざわざラベル付けするような出来事もなかった。


 私にとってはありふれている、なんて事のない記憶が、私という人間の始まりだった。


「お前はようやく生まれた私の後継者だ。

 姉たちではない。お前が、御伽々のために生き、御伽々のために尽くせ」


「はい。お父様」


「励むがいい、まほろ」


 お父様はあまり私に声をかけてくれる人ではなかった。

 まだ幼かった私を見下ろすお父様は、昔から随分お年を召していて、それが少しだけ恐ろしくもあった。


 深い皺の刻まれたお顔と、鋭く細い瞳はまるで私を見定めようとするかのようだった。


 そんなお父様に失望されたくなくて、私は与えられた習い事を必死にこなした。


 それでも結局、お父様が亡くなるまで褒められたことなんか数えるくらいしかなかったんですけどね。


「まほちゃん、今日も元気ね。ご本読む~?」


「あら、駄目よ姉様。まほとはこのあと私と合気道の稽古をやるのだから。

 姉様の用事は深鏡のあとにしてもらえないかしら?」


「えー。あ、じゃあ私はかけちゃんたちが稽古してる横にいて、二人が頑張るところ見ておこうかな~。

 それで二人が休憩になったら三人で本を読むの。すてきじゃない?」


「そうね……いや、姉様以外はハアハア言いながら本を読むことにならないかしらそれ?」


 母様は生まれた時にはもう亡くなっていたから、私にとっては二人のお姉様が母親代わりだったのかもしれない。


 ほのか姉様はいつでもほんわか優しくて、私が稽古が辛くて泣きそうなときはぎゅーっと抱きしめて、夜には母様がよく歌っていたという子守唄を歌ってくれた。

 かけがえ姉様はいつでも綺麗で強くて、自分の背中を通して私に転んでも立ち上がる強さと、こっそり私が逃げる場所を作ってくれた。


 大切な、二人のお姉様。


 たくさんの習い事の日々は大変だったけど、二人のおかげでがんばれた。


 お父様に言われた『御伽々の後継者』としての立場は重かったけど、二人の代わりに私が任されているんだと思えば我慢できた。


 ほのか姉様のような笑顔で、かけがえ姉様のように強く。


 そうして、お父様に連れられて人前に出るときも常に笑顔でいようと心掛けた。

 そうすることで、『御伽々』に相応しい娘になれると信じていたから。


 ……でも、いつからか私を見た時のささやきがどこからか聞こえるようになった。


「先ほどのお嬢様の御挨拶、大したものだ。あのお年で立派なことだ。だが、いささか子どもらしくないな」


「いつでも笑顔を絶やさない。まるで、作り物のようだ」


「お嬢様、あれほどの稽古をこなしても弱音ひとつ吐かずに笑顔を浮かべているのよ。なんだか、完璧すぎて恐ろしいわ」


「あの笑顔、いつも変わらない。御伽々もあの年の娘をよくもあそこまで仕込んだものだ」


「まるで、おとぎ話に出てくる『理想のお姫様』だな。あの生き方に、彼女の意思など一つもあるまい。哀れなことだ」


 会食で役員の一人とすれ違ったとき、会食で他企業の方がいらっしゃったとき、家の使用人たちが人目のつかない廊下で集まっているのを見かけたとき、そうした声は聞こえて来た。


 そして、それだけ私は意固地になって笑顔を絶やさないように努めた。


 私の生き方は間違っていない。それを信じたかった。


 いま思えば、私が選んだほのか姉様の優しさと、かけがえ姉様の強さを否定されることが嫌だったのかもしれないですね。


 でも、そのころはただただ笑顔を絶やさないでいようとして、かえって自分の気持ちがわからなくなっていった。


 普段笑っていても、この笑顔は本物なのか信じられなかったんです。


 作り笑いが染みついて、姉様たちの真似が、本当の自分との境界を曖昧にさせていた。


 そんな私についたあだ名は『おとぎ話のお嬢様』。

 たぶん、御伽々っていう名前を合わせてなのでしょうけど、つけた人、ひどいセンスです。


 そんな名前を付けて、私を『普通』じゃないものとレッテル付けて、何がしたかったのでhそうね。


「あの、あれは何なんですか? 人がすごくたくさん、なにか屋台のようなものも……」


「あれは縁日ですよ、まほろお嬢様。ああした屋台が立ち並ぶ場で……まあ、お嬢様にはあまり縁がないところです。人もごった返していますし、屋台の商品もお嬢様が口にする普段のものとは比べ物にならない粗雑さです」


「そう、ですか……」


 使用人の方の運転する車があっという間に縁日の前を通り過ぎていく。

 一瞬見えたたい焼き、という文字が書かれた屋台に駆けていく同年代くらいの男の子。


 私は、『普通』にはなれない。


 御伽々の末娘としての日々は、私にそれを突きつけるようだった。


 でもそんな時、私は出会ったのだ、あの人と。

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