現の自分の素直な気持ち




「来てみたはいいけど、どうやらもう終わってしまったようね」


「……かけがえさん」


「まるでムスカに金を握らされてすごすごと帰って来たパズーのようね、陸人」


「はは、かけがえさんも映画とか見るんだ」


「一般教養程度知っていて当然よ。深鏡だもの」


 部屋で一人座り込んでいると、息を切らしたかけがえさんがやって来た。

 扉は古郡が出た時のまま開けっ放しだったから、勝手に部屋の中に入ってこれたのだろう。


 かけがえさんは部屋の中と、俺の様子を睥睨し、全てを悟ったように目を伏せた。


「……ごめんなさい。深鏡とまほろは、ずっと貴方をだましていた」


 早速謝られた。この分だと、俺は本当に騙されていたらしい。


 もしかしてお嬢の口から出任せではないかって思いもしたけど、残念ながらこれは本当らしい。


「……かけがえさんは、今まで何してたの? 御伽々の幹部を説得していた、んじゃなかったんだよね」


「空木やまほろのところにいない間は一定数の尾行に見つかる様に逃げ回っていたわ。

 まほろが深鏡のそばにいる、と思わせたうえで逃げることで、そもそも『まほろがどこかに匿われている』って選択肢を無くそうとしてたの」


 まあ、結局一ヶ月も持たずに捕まってしまったのだけど、とかけがえさんは付け加えた。


 そして、かけがえさんは恐る恐る、と言った様子で俺の隣に腰かけた。


「貴方のところにも古郡が来たのね」


「まあ、うん。俺が帰ったらお嬢はもういなくて、あの人だけいたよ」


「……そう。なるほど、深鏡のところに来たのは最後の確認のためだったわけね」


 呟いて、かけがえさんが息を吐く。


「深鏡さんのところにも、あの人来たんだ」


「ええ。まほろを売って自分側につかないかって言われたけど、断って横っ面を張ってやったわ」


「苛烈だね」


「深鏡のことを御せると思ったらそれは大いなる勘違いよ」


「今回に限っては、あの人の側についたほうが良かったんじゃない?」


 いつものようにかけがえさんは不敵に笑って、でもその後少しだけさみしそうな顔をした。


「古郡は深鏡のことを認めてくれたけど、深鏡はもう報われている。

 深鏡を……わたしを肯定できる言葉をもう受け取った。だから、『御伽々』という枠組みの中で自分を証明することに、もうあまり興味はないの」


「そっか」


「そうなの。順番の問題だったけど、今はもうわたしは無理して御伽々でなくてもいい。そう思ってる」


 かけがえさんは俺のことをじっと見つめてそう言った。

 そこに何か意思があった気がしたけど、俺はそれを汲み取ることはせずに目を逸らした。


 しばらく、俺の部屋には冷たいくらいの静謐が横たわっていた。

 だけど、かけがえさんはその静謐の中で、やがてゆっくりと口を開いた。


「空木は、何も言わないのね」


「……何言えっていうんだよ」


 思わず吐き捨てるようにそう言ってから、俺は自分の掌を見つめる。


 爪痕が残った拳。血が出たのを手当てしなかったせいで、血が渇いて、少し動かしにくかった。


「この三週間、何だったんだろうな。結局、俺何もできてなかったのかな。

 俺があの子にあげようとしものは、あの子にとって何の意味もなかったのかな」


 はじまりの日、お嬢は俺に匿ってくれって頼んで来た。

 俺は、あの子が本気だったのを感じたから、あの子を引き取るのを承諾した。


 暮らす中で、あの子に俺は『普通』を教えてやりたいって思った。

 俺の知らなかったもの、俺の欲しかったものをあの子にあげられることで満たされた。


 あの子のいる日々が、俺にとっての安らぎになっていた。

 あの子の料理が、あの子の笑顔が、あの子の声が、俺に頑張ろうって気持ちをくれた。


 でも、それは全て俺の一方通行の気持ちでしかなかったのだろうか。


 俺に言ってくれたたくさんの「ありがとう」も、笑顔も、ただ俺との生活を円滑に進めるためのものでしかなかったのだろうか。


 俺との日々は、『御伽々』としての生き方に比べたら、利用してもいいものだったのだろうか。


 なら、俺のお嬢に幸せになってほしいって気持ちは、どこに行けばいいんだ。


「古郡って人にいろいろ言われたよ。俺とお嬢の関係は、間違っているって。

 俺じゃあ、あの子を幸せにはできないって」


 法律的にも、倫理的にも、許されない。


 まあそりゃそうだ、血のつながりもない未成年の女の子と、大学生の男が狭い部屋に住んでんだ。


 許されるはずもない。それが、現実ってもんだ。これはおとぎ話じゃないんだから。


 拳を握る。


「じゃあ、あの子はあの古郡って人のところにいたら満足なのかよ! あいつのところにいればあの子の目的は叶うのか! あいつのところにいれば……俺じゃああげれない幸せを、あの子はつかめるのか!?」


 なあ、かけがえさん、教えてくれよ。


「俺から離れて、あの子が望んだ幸せって、なんなんだよ……」


 縋るように、俺は声を上げていた。


 それに対して、かけがえさんは静かに、ただ静かに答える。


「深鏡は、知らないわ。そしてきっと古郡だって、知らないでしょうね」


「じゃあ―――!」


「知ってるのは貴方でしょう、陸人」


 俺、が?


「そんなの、わかるわけないだろ」


 だって、彼女が俺のところにいたのは隠れるためだったんだ。

 俺のやってきたことなんて何も彼女のためにはなっていなくて、だから俺はあの子のことがわからなくて……。


「いいえ、わかるわ。だって、貴方の考えにはさっきから、が抜けている」


 俺を選んだ、理由?


「まほろは貴方をだましていた。そうね。その通りだわ。

 別れ方だって最悪よ。貴方をだましていました。さようなら。ええ、我が妹ながらもっとうまくやれるって思うわよ。

 終わり方は、貴方をひどく傷つけるものだった。でもね、ほんとうにそれだけだったのかしら?」


 かけがえさんは続ける。


「時間を稼ぐためなら深鏡と逃げても良かった。別にホテルに泊まったって、金を出してもっと遠くに逃げたって良かった。

 でもまほろは、私に『時間を稼いでくれませんか?』と頼んだのよ」


 ……そうだ、たしかに、そうだ。


 別にお嬢は深鏡さんと逃げたって良かった。

 わざわざ俺のところに逃げ込まなくても本当はいろんな選択肢があったはずだった。


 なのに、


 何故か、使用人の一人でしかない俺を。


「その本当の意味を、そして何を思ったのかを、この三週間誰よりもまほろのそばにいた貴方なら、わかるはずよ」


 あの子が、俺を選んだ理由。


 わざわざかけがえさんに時間を稼いでもらって俺と暮らした理由。


 この三週間、俺との日常を積み重ねた理由。


 最後に別れが待つこの関係を、あの子が選んだ理由。


 俺へと、かけた言葉の、理由。



 ―――どうか、まほちゃんの気持ちを尊重してあげてください。例え、何が起きても。

 ―――だから、少年くんには、まほちゃんの本当の気持ちに応えてほしい。

 ―――お願い、できますか?



 ……ああ、ほのかさん、あの時の言葉って、そういう意味だったんですか。


 でも、それが本当にあの子のためになるのか。


 あの子が望んでないかもしれないことを、俺がやっても―――って、うおっ!?


「ああもういつまでぐちぐちぐちぐち言ってるの!」


 いきなりグイっとかけがえさんに襟首をつかんで、引き寄せられた。


 いつもは美しく輝く翠の瞳が、今この時ばかりは恐ろしい怒りの色に染まっている気がした。


「わたしはね! 陸人がどうしたいかを最初から聞いてるのよ! 古郡も関係ない! わたしも関係ない! ましてやまほろだって関係ない!

 他ならぬこの三週間で、御伽々まほろと暮らしたことをどう思ったの!」


 俺が望むこと。

 この三週間でいつの間にか俺の胸に芽生えていた気持ち。


 なぜ俺があの子に突き放されてこんなにショックだったのか。


 なんで、未だにあの子に幸せになってほしいって思っているのか。


 あの、古郡とか言うやつのところにいるあの子を認められないのかを。


「……俺が、俺がいいんだ」


 絞り出すように、その言葉を口にした。

 すると、まるで腹の底に眠っていたマグマみたいな熱い気持ちが、堰を切って次々にあふれ出た。


「俺は、あの子がいる毎日にすごく救われていたんだ。幸せだったんだ。

 あの子が毎日『いってらっしゃい』、『おかえり』って、『おはよう』って言ってくれることに、すごく満たされていたんだ」


 そうだ、俺の気持ちはもっと利己的だった。


「あのままじゃ、あの子はあの子が求める本当の幸せにはたどり着けない。

 きっといつか、後悔する。そんなの、俺は絶対に嫌なんだ」


 もっと独善的で、自分中心で、わがままで、欲張りだった。


「俺がいい! あの子を幸せにするのは俺がいい! 俺があの子に貰った幸せを、あの子に返してやりたいだけなんだ! それだけなんだ!」


 もし、俺の思っている幸せをあの子も望んでいるのなら、それを与えるのは俺がいい。


 古郡でもない。いつかあの子が嫁いでいくどこかの誰かでもない。ましてや、『御伽々』という立場に縛られる


 俺が、あの子の求める本当の幸せを、教えてやりたい。


 ああもうこんな自分知りたくなかった。こんな、わがままなことを思っているなんて。


 でも、これが俺だ。


 実は俺は、俺に当たり前の幸せを教えてくれたあの子を、俺の手で幸せにしたいだけのエゴイストだったのだ。


「ああ、クソ最悪だ……俺、6歳も下の子にこんなこと思ってたのかよ……」


 俺が思わず頭を抱えるが、側にいるかけがえさんはそんな俺を見て面白そうに、それはもう大変な満面の笑みで、声を上げて笑った。


「あははっ、何、言えるじゃないの! お人よしのエゴイスト。独善的で、やたらと人の気持ちは尊重するのに、自分の感情には鈍い! それが陸人だわ!」


「ああもう最悪の罵倒! かけがえさんが言えって言ったんだぞ! 俺はこんな事知りたくなかったのに!」


「うじうじ悩んであのまま地面にめり込んで何もしないより良かったでしょう?

 それに、わたしは陸人を褒めてるわ」


 フッと、いつものようにかけがえさんは微笑んだ。


 それに対して俺は頭をがりがりとかいて、はあ、とデカい溜息をついた。


「助けていいんだな? 俺は、好き勝手に、あの子を助けていいんだな?」


「ええ。貴方がそうするべきと思うなら、きっとそれはまほろにとって本当に必要なことのはずよ」


 でも、とかけがえさんが俺へと問いかけた。


「でも、どうするの陸人?

 法律も、倫理も、周囲の人も、誰も貴方が得たこの三週間の幸せを肯定しないかもしれないわよ?」


 かけがえさんが俺をじっと見つめる。まるで期待するように。

 俺なら何かやらかしてくれるんじゃないか、とでも言いたげな目で。


 それに対して俺はポケットからスマホを取り出して、ニッと笑って見せた。


「決まってんだろ。そんなもん俺の全てで立ち向かう。おとぎ話のクライマックスっぽいだろ?」




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