第256話 杖

「カナメぇっ!」


 どこかには潜んでいるのだろうという事自体は感じていた。この空に浮く島に辿り着いた時からだ。しかし距離感がつかめない。

 厄災の頭だという大岩の辺りでうっすらと鼻をついた魔族の匂いは、今となってはあちこちで煙を上げず熱も持たない黒い炎に嗅覚を欺かれる結果となってしまった。


 ユーミが思わず魔術を使おうとして掌に魔力を集中させると、鎌を持った人影は黒い炎へ溶けるように姿を隠す。

 肘をついて起き上がろうとしているカナメを一瞬視界に入れてから、姿の見えない――恐らく魔族の影を辺りを見回して探ったものの見つけることは出来ず、素早く体を翻して負傷したカナメのもとに駆け寄って肩を貸して彼を抱き起す。


「だ、大丈夫……傷は浅い、大丈夫。大丈夫だよ、ははは」

「わたし、また――」


 しかし、冷や汗だか脂汗といったような爽快感のない汗が額から滴ると同時に第二の攻撃が彼らを襲った。

 陰から影。

『また』――ユーミの胸の内を言葉にさせる間もないままに、それは黒い炎の中をごく短い時間で移動して刃を振るった。しかし無論、何もせず首を刈られてやるつもりはなく、怒りに顔を歪ませながら鉄の杖を振るったユーミがそれをはじき返す。


「オイてめェ、大丈夫かよ、人間ッ」


 駆け寄って跪いたヨーランを手で制し、やたらと脳裏にこびりついて剝がれない鎌を恨めしく睨んだ。


「あぁ、大丈夫。背中を斬られるのは慣れてるんだ。何回も切り裂かれる度に皮膚が強くなって……ててて」

「そんなワケねぇだろ、骨じゃあるめえし! 無茶すんじゃねェよ、いま薬を持ってきてやっからおとなしく待ってろ」

「『無茶すんな』って? 無茶言わないでくれよ導師さま、アイツは殴ったって切りかかったってまるっきり効きやしない……矢でも棒でも駄目だってんだから僕がやらないと!」


 毎度のことながら、彼も恐怖を感じていない訳ではない。何もゴブリンが現れた時だけ情けなく悲鳴をあげるわけではない。威勢よくヨーランに戦う意思を告げると頬をばしばしと叩いて自分を奮い立たせながら彼女の目の前にそれを描く。


 “あの魔族がグラシエル城に潜伏していなければ何度も何度も背中を斬られる必要はなく――しかしこの場にもたどり着いていなかっただろうか。あの光がなければ精霊も可愛らしい綿のような姿のままだったのだろうか”

 ほんの一瞬だけそんな感慨に浅くふけり、傷む背中に顔をしかめながらその後姿を見ると魔力は既にスクロールへと注ぎ込まれ、術式は起動する。


『主よ、私は今の方がずっと可愛らしいと思うのですが――』


 精霊ホーリィの小言をよそに術式は形を成し、恐れた影はユーミから距離をとる。灯った光がその顔を照らし出す。


 大きくユーミの魔力やカナメ自身の気力を消耗しないように、しかし最大の効果を手にするには。

 そう考えた時に、ミリアムの周りを漂い彼女を守った槍の事をふと思い出した。

 いつも手にしている、それもドワーフによって自身に馴染むように加工と調整をされた金属の棒。そのよく手に馴染んだ棒が彼女の力を引き出すと、そう思ったからだ。窮地の際にはより如実に。

 

 物体を切り裂く刃に重量は必要だが、しかし先日『聖なる』という属性自体が刃となる剣を振り回した際に重さは不要だと分かった。今回も同じだとカナメは考えていた。


 だが、重さは必要だったのだ。

 ユーミが片時も離さない鉄の棒は、彼女だけに意味を持つ重みを持っていた。

 “それ”でいつも戦って来たからだ。“それ”でいつも彼を守った。

 “それ”は彼と一緒に選び彼が買って与えてくれたものだ。本当の意味でいつも自分を支えてくれる杖だった。

 

 だから鉄の棒――もとい鉄の杖が薄っすらと光を纏い、『とってつけた』といって済ますにはあまりに強力で聖なる刃がその先端から顔を出した時、ユーミはいつもより彼と一緒に戦っている気がして嬉しくなり、思わず笑みをこぼした。

 そんな重みはグラシエル王に拾われてから十五年間、持った事がないものだったから。

 そういう重みが、つらい旅や厳しい戦いで体や心を支える杖になったからだ。


「誰のォォォ……事を言っているんすか? ォオオイラは人ん間……“パーサル”っすぅうううう!」


「――嘘つくなよ。人間がそんな恐ろしい状態で動けるわけないだろ。すっかり昇天したと思ってたのに、わざわざ僕の成長ぶりが見たくてこんな所で道草食ってたのかよッ」


 瞳はどこを見ているのか、もしくは全く眼球などと言うものを必要としていないのか――とにかく左右どちらも一所を見ていない。声は聞こえたが口は動いていない。ずっと開いたまま、何らかの液体を零しているだけだ。

 鎌を持っている肘から先は肉が腐って骨だけになっている。

 両の脚などすでに、ない。

 ただ黒い炎によく似た何かが大腿を代替する移動手段となっている。


「……肉体の記憶がまだ残っているぅううううう! やはりィぃ? 貴様だったカ。グラシエルのォぉォウジョ」 


 できもしない魔術で彼を逃そうと必死だったことを覚えていた。

 暗いのに明るかった月夜の事を思い出す。

 城を救おうと古代のスクロールを描いてもらったことを感謝した。

 結局彼に助けられたこと。

 旅に出たこと。

 色々な事を思い出しながら、本来の姿を現せた死霊の鎌を掻い潜り、以前は持っていなかった重みを振りかざす。

 当たらない。

 当たらないほどに思い出す。聖王の槍を模した杖が空を切るごとに思い出す。

 

 カナメはユーミの後姿を瞬きさえ忘れるほどに見入り、勝利を信じて揺るがない。


「“昇天”だとォォぉおン? 死霊の魔族ぅふふふの我が天にぃぃぃ! 昇る訳が、あ、あ、あ、ないであろうに。」

 

 かつて死霊の君主であると名乗った魔族〈マウデ・ゥリド〉が相手ならば、負ける由もないと。


「……だったらさっさと、堕ちろよ――」


 溢れんばかりの思いを胸に、ユーミの【鉄の聖杖】が唸りをあげる。


 厄災の夜に。

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