第98話 夢見たっていい
景色が、山が。振動する。
これは厄災の名を持つ、何者かの鼓動。脈動。
恨んでいるのか? 過去にされた時間を。
喜んでいるのか? これから来る自由を。
――遅い。
少女が捧げてきた血も。
代々、捧げられた血も。
いくらかの時間稼ぎにはなったのであろうが。
守ってきたことも。
想ってきたことも。
その思いは、祈りは。
――遅い。
停滞も。
変化も。
過ごした時間も。
過ごされる時間も。
生も。
死も。
この瞬間に、無駄となった。
――遅い。
この世界の召喚術士達が守って来た集落は正真正銘ここで途絶え、【厄災】の名を冠する遥か古の獣、トゥリヘンドが再び蘇り、人々の営みを、故郷を、全ての蹂躙を始める。
――そのはずだったのだろう。
場違いな転生者がここにいなければ、の話。
諦めるには、いくらか。
――早い。
「だめ、だったんだ……私が今まで生きてきた時間は、無駄……だったんだ――」
脱力する少女を担いで地下室の梯子を上ると、なるほどこの山は崩壊を始めていた。少女の目は絶望に染まり、その小さな体は震えているのが手に取るように伝わる。
「いいから、逃げるぞ! とりあえず、そうだな、下に! 下に逃げる!」
「……もういいよ、父さんに、母さんに。やっと会えるんだ……私、独りぼっちでも、頑張ったよね?」
少女は少しだけ吊り目気味の、大きく丸い瞳に涙をいっぱいにためて、完全にすべてを諦め、膝をついてしまう。
「ふざけんな! おい、立てって! さすがに険しい山を女の子一人担いで走れねえぞ!」
「うるさいっ――放っておいてよ! 必死に頑張ったって、もう遅いじゃない! 間に合わなかったじゃない!」
再び、少女は声を張り上げる。集落が襲われてから、一族の血を引く者として一人残され、孤独に捧げてきたのだ。それは”血”だけではない。人生をだ。
だからこそ一人の大人として、救いたいと願う。一人の男として助けたいと思う。
だからこそこんな言葉が咄嗟に出てしまったのだ――。
「――お前がびぃびぃうるせぇんだよっ、間に合っただろうが! 僕が今ここに! 間に合っただろうが!」
「…………っ」
少女には理解できない。
これ程不幸な境遇に置かれて、ひとつ失敗したからと言って怒られる理由など。
『……主よ、何か考えがあるのですか?』
一度は勝者の側についた光の精霊ホーリィが横目でへたり込む少女を不憫そうに見ながら、主に問いかける。
「ねぇよ! 考えがなかったら立ち向かっちゃいけねえのかよ! どうにかして導いてやるのが、大人の仕事だろ!」
『……違いありません!』
初めてルピナの手を取った時よりさらに強引に手首をつかんで立ち上がらせ、お姫様抱っこをして走り出す。
自信は、ない。
ジェニー・ハニヴァーの時でさえ、様々な偶然が入り混じり、何とか退治することができただけだ。
――偶然、だったのか?
脳裏に一瞬だけよぎった疑問をぶんぶんと頭を振って追い出す。きっと数秒、必死に走れば。走り出してしまえば、忘れてしまうだろう。
不安定に抱いて揺られる少女の頭の中に、相棒の声が響いてくる。大人がいなくなった集落で自分を支えてくれた、生まれながらの相棒の声が。
(ルピナ……あっしはぁこの兄さんを信じてみてぇんですが、どうです? 一口乗ってみやせんか?)
「どうしたって、もう遅いじゃない……」
(どうしたって災厄の獣が復活するってんなら、いっちょ面白れぇ方へ賭けて見やしょうや。この兄さんは、かつてあっしも仕えた族長に似ていやす……きっと、なにかやらかしてくれるでしょうぜ? さぁ、たまには『夢見たっていい』でございやしょう?)
失敗したから怒られたんだなんていつの間にか思えなくなっていた。彼の腕だって震えている。怒られたのは、私が諦めたから、なんでしょう?
「…………」
「……降ろして――」
「降ろすもんか! 諦めんなって言っただろ! 助けてやる、僕が何とかしてやるッ!」
「――自分で走るから降ろしなさい、って言ってんのよっ! この変態ッ!」
諦めたって、諦めなくたって。結果は変わらないかもしれない。
しかし。
(私は、そんなに素直な女の子じゃないっ!)
必死に自身を抱えて走っていたカナメの頬を力いっぱいひっぱたき、バランスを崩してしまった少女を鼓舞してくれた自称・大人は転倒する。
自分ひとり、身軽な体できちんと足から着地して――。
――今度は彼に手を差し伸べる。
「救われてあげるから、立ちなさいよ。変態」
見事に転倒した彼は、あべこべな状況に何とも言えない表情をしながらその手を取った。”ルピナという個の世界”の救世主は、納得をしていない様子だ。
「……素直に助けて、って言えよな! なぜにひっぱたく!」
「素直だったらこんな状況で助かるなんて、思えるわけないじゃない! 急ぎなさいよ! ……普通に考えたらどうにかなるわけない。――あまりにも危険だわ!」
下へ下へと走り出す二人の事などまるで気にも留めず、そびえたつ山の八合目。その集落のある場所から山頂まで。
本来ならば、八合目がこの、もとは名もなき山の頂。
ここに繋がれし太古の害獣。
動けぬ体に塵を積もらせ砂を乗せ。
山の斜面を卵殻さながら落とし剥がして覗かせる目は恨みか辛みか。
二度目の娑婆に、厄災――
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