第178話 弟子と絵画と七夜の夢
「弟子……ねぇ」
眉を寄せ顎を手で擦りながら言ったのは精霊使いの四聖騎士ダンカン・ジョブ・リゼレブラ。言葉の端々に億劫であるという意思が、混じる溜息から感じられた。
――昨日、精霊術というワードにそれが自らが異世界で戦う光明である、と感じ申し出たのだった。
「ボクは便宜上『精霊術』という名で呼んでいるけれど、何を隠そうボク自身……誰かに教わったわけでも魔術にのめり込んだスパイゼル翁の様に体系として明らかにしているわけじゃない。場合によっては君をことさら混乱させてしまうかもしれないし、善意で君の助力をしている精霊の機嫌を損ねてしまうかもしれないよ? 知っているかもしれないけど精霊はそれほど人懐こくはないんだ。何よりボクは――男が嫌いだからね」
なにも嘘を付いているわけではないだろうが、彼の真意は台詞の後半――男が嫌い。それに集約されていることは明らかだ。それは彼の侮蔑するような表情から読み取れたし、女性陣への挨拶からひしひしと伝わっていた。
「僕を助けてくれてる精霊達に興味はあるだろ」
「それはそうさ。ボク以外の精霊使いはこれまで会ったことも聞いたこともないんだからね。だけど僕は四聖騎士だ。来たる戦の準備や手回しで忙しい。何より自分自身も研鑽し研ぎ澄まさなければならない――君ごときにかかずらわっている時間はないんだ」
ごもっとも。彼には彼の仕事がある。
それは王を――人々を守る騎士としての役割、尊敬に足る仕事だ。それでもカナメには勝算があった。
「――ホーリィ、来てくれ」
腰に下げた短剣に意識を集中させて精霊を呼ぶ。気付けばこの世界で地に足を付けてから最も長い付き合いだ。
淡く光が舞ったら、ほのかに光を灯しながら期待通りに姿を見せる。
『主よ。おいそれと見世物にされるのは心外ですが……なるほど。この殿方もどうやら中位精霊の加護を――』
「――なん、だと……」
驚愕、といった表情で口をあんぐりと開きながらも彼の顔立ちは端正に整ったまま。
そのことに嫉妬とまではいかずともいささか不平等だと感じながらカナメは言った。
「精霊が姿を成して現れるってのはだいぶ珍しいことだ、って聞いたんだけど。どうかねぇ? 僕もなんでか良く分からないけど……騎士様の精霊術の更なる発展の役に立つかもしれなくないかな?」
精霊が姿を現すさまを見ると、出会った人々は皆一様に驚いたのを覚えていた。それはとても珍しいことだと。カナメの勝算というのはつまり『精霊が姿を現す条件を――ことさら精霊達と直に会話することで何らかの研究ができるのなら彼はきっと乗ってくるに違いない』という事だった。
しかし――。
「……なんという――“可愛らしさ”だ――」
『ヒッ……』
彼の反応は予想とは反していた。怪しく笑みを浮かべながら小走りで近づいたかと思うと流麗な所作で跪き、小さな精霊ホーリィの手を取ろうとする。ホーリィは小さく悲鳴をあげるとカナメの背後へと隠れてしまった。
「貴様……ッ、何故その子を隠すのだ!」
「あ、いや別に隠したわけじゃないけど……騎士様がそんな形相で近づくから驚いちゃったんじゃないか?」
『あ、主よっ! ひか、光の剣を取るのだ! 目を……目を狙うのですッ!』
右肩の辺りに隠れながらホーリィは光の剣を山ほどカナメの傍らに出現させると、相手の視力を奪う事を提言した。意図せず力を行使させられた主人は頭痛を覚えるほど。
「落ち着けよ……」
眉間を押さえながらそう言ってホーリィを短剣へとひっこめると、同時に光の剣も粒子となって風に舞いあげられて消える。
「おのれ、今度こそ隠したな! もう一度会わせてくれッ」
霧散していく光の粒子をかき集めるように動かして空を切る手に何もないことを確認すると、今度はカナメの両肩を鷲掴みにして懇願をした。
「ちょ、あんたも落ち着いてくれ……シズク」
ぼそりと名を呼べばどこからともなくダンカンの頭にティーカップ一杯ほどの水が降り注いだ。
「く、水を掛けたな!? 侮辱――決闘の申し入れと捉えさせてもらうぞッ」
突如として頭から水を掛けられたと勘違いしたダンカンは少し距離をあけて、少し冷静になったのか――はたまた怒りに震えているのか険しく凛々しい表情へと変貌した。
『あぁ~ん、主さまぁ。怒らせちゃったみたいですぅ』
しかし現れた、浜辺の一部だけ切り取ったような『さざ波』に乗って下半身が魚――いわば人魚の姿をした小さな水の精霊を目にすると彼の留飲は一瞬で下がり切る。
「……なんと、“麗しい”」
再び感嘆としてシズクを舐めるようにひとしきり眺め終えるとダンカンは軽く咳払いをして今度は冷静な様子で精霊との会話を試みた。
「や、やぁ。私は四聖騎士が一人、精霊術師ダンカン・ジョブ・リゼレブラと言う。失礼でなければ美しい精霊さん、君の名を教えてくれないかい?」
『あぁ~ん、主さ――』
愛らしくその場でくるりと回って尾びれを優雅になびかせたシズクが話している最中に、消す。
そしてもう一度希望を伝えた。
「――僕を弟子にしてくれないか!」
「貴様……」
折角の出会いをふいにされたダンカンの奥歯をぎりぎりと噛みしめる音が聞こえてくるようだった。しかし首を縦に振らない彼にカナメは次の一手を。
「(もう一押しか……)ホムラ……どこだ? ここまで来てくれるか?」
刀を仮初の宿として居候している炎の精霊ちゃんはいずこか。トキハルは相変わらずぶらりとどこかへ出かけて行ってしまい、彼女が来てくれるか分からなかったが心配は杞憂で終わる。
『主殿……戦はまだか!』
「――何たる“美美しさッ”!」
己が力を振るいたいと。待ちきれないといった様子で出現したホムラを見るとダンカンはもはや形相は険しいままに吠えた。彼を見たホムラを纏う炎は彼女の表情が引きつると同時にその勢いを弱める。
(いけるッ、トドメだ!)
いつかの港町で、いつか役に立つであろうと考えて買っていたものがあった。
それは安い買い物ではない。まだ技術の発達していないこの世界では。しかし人は進歩し続ける。いつの日か大量に作られ、消費されることだろう――。
「――“
額に走る痛みなどわけはない。自分自身が戦う術を身に着けるためならば、こんなもの。そう思って走らせた線の一本一本に、魂よ宿れと願いながらカナメは描いた。
密かに購入していたのは紙。そして絵具に、筆。
出来上がったきらびやかな絵を見ると、ホムラはそんなモノは燃やしてしまいたいという衝動に駆られ、カナメは加護を以てそれを抑えつけた。
一糸まとわぬ精霊王とあられもない三体の精霊が花園で遊ぶ絵画――。
ただしその絵を流通させることは何らかの法に触れる危険もあるし、彼女らの機嫌をひどく損ねる恐れもある。
だからこの一度きり――一度きりと誓って『かの王』の肖像権を犯し、汚す。
「こ、この……
息を切らせ汗をかき出来上がった絵をちらりと見せた後、すぐ背中側に隠したカナメ。
ダンカンは辺りの様子を目だけ動かして確認すると、静かに小さく二回頷いた。
「……ボクは四聖騎士が一人ダンカン・ジョブ・リゼレブラ――具現化するほどの力をもつ精霊と会話をできる機会などそうそうないだろう。ボク自身の成長のため……ひいては人類の勝利のため。君が精霊の力を『術』と呼べるまで昇華することができるのならば大いなる戦力となるかもしれない……いいだろう! その絵をボクに――ぁぃゃ人々のため、君を弟子とし精霊術について教えることを承諾しよう!」
「ありがとうございます!」
「今夜は晩餐……大いに楽しんでくれたまえ。そして明日はゆっくり休むといい。明後日、迎えに行く。いいかい? 決して楽な鍛錬になることはないと覚えておいてくれたまえ――」
――そうしてカナメは、およそ四十日間と言う短い期間ではあるが、四聖騎士の精霊使いに従事することとなった。
晩餐の後にユーミと見た星空を心に焼き付け、眠りについた夜。
夢の中で精霊の王に、強烈に張られた頬の痛みは不思議と翌日も現実に残っていて、その夢は七夜に渡って繰り返された。
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