第203話 山羊さんと

 転生者カナメは走り、戦った。


 今しがた地面に膝をついた老兵は死んだだろうか。背後から突き立てられた見るからに切れ味の悪そうな石を割っただけの槍の矛先は体を貫通し、胸のあたりから生えている。


 冒険者風の男は声を掛けても反応はない。うずくまって震えているだけ。瞼をあければ悪夢は過ぎ去って何事もない日常に戻れるとでも妄信しているのだろうか。そうでなければ走るなり武器を振り回すなどして抗うはずだ。


 豪奢な刺繍の入れられたローブを纏う女性も大量に迫りくる魔物を火炎の魔術をぶつけて紫煙と魔石へと変えていたが、魔力が尽きれば只の人間。眩暈を感じたようでふらりと上体を揺らしたかと思えば、次の瞬間に頭から喰われた。


「クソッ、キリがない――」


 劣勢の者を助け、躓いた者の手を取り、諦めかけた者に声を掛けながら走った。それでも一人、二人と味方の人間が倒れていく様は自然と目に入ってしまい、初めの内は無様に吐瀉物をまき散らした。

 それがこの戦場のあちこちで巻き起こり、次第に麻痺していったのだ。


 ここ数日で一気に書き上げて何度も修正を繰り返した彼なりの精霊術はついにユーミから魔力を借りなくても発動できるほどに至ったが、現状では完璧とまでは言えなかった。

 精霊の力を変換し発動する術式は難解で、制御できない自然現象のように安定した力を供給をしてはくれず、いかにユーミがこれまで安定した出力で魔力を与えてくれたが分かる。

 大きすぎる術が発動することも有れば、想定より小さい魔術しか起きないことも有った。しかしながら先般、障壁の魔術<アイギス>を思い切って発動したのは、あらかじめ大きめに設定して保険をかけておいたに過ぎない。


「変態、後ろ!」


 注意を促すルピナの声で後ろを振り返ると、戦利品である人が作り出した剣を振りかぶった通常目にする個体などより一回り大きいゴブリンの亜種が跳躍してカナメに襲い掛かるところだった。

 守ったのもルピナだ、初歩程度の魔術ではあったが彼女が発動させた術式は正しくゴブリンの双眸を焼き危機を逃れた。体勢を崩したゴブリンにカナメも短剣を抜いて胸を一突きして敵を紫煙に変える。


「まったくもう、キョロキョロキョロキョロ……周りの人にばっかり気を取られてないで、もう少し自分の周囲も警戒しなさいよ……」

「悪い」


 口調こそ強い言い方だったが、ありありと心配していることを感じさせる言葉はカナメに突き刺さって素直に謝罪の一言を引き出した。


「気持ちはわかるけど……でも私達は一刻も早く大物――魔族を見つけて倒しましょう。それが結局、一番早くこの戦いを終わらせることが出来ると思うわ。それにアナタの使っている術は――」

「――ああ、分かってるよ。まだ安定してぶっ放すのは難しいみたいだ。悪いな、迷惑かけちまってさ」


 走り出す。

 先ほどからアルジエナの西へと走りつつも、一般の兵士や冒険者では太刀打ちできないであろう強力な魔物と魔族に標的を絞ってルピナと二人、こうして戦ってきたものの、倒した魔族はそのどれもがさほど驚異的な者達ではなかった。


 ルピナが不死鳥召喚の準備をする傍らで、まずはカナメが光の弾丸を射出する――あまり大がかりな術を使わないのは誤射や範囲が強すぎて味方を巻き添えにしないためだ。

 光の術式が成功すればそのまま次の標的を探し、失敗すれば後方の不死鳥で屠る。そうして幾体かの魔族を倒してきたのだ。


「それに、やっぱり――」

「……怖い、か?」

「な! ば、ばかなこと言わないでよっ、ただ、ちょっと……」


 真面目な顔をして「怖いか」と聞いたカナメに少しだけ慌てた様子で否定をした。

 ルピナが抱いていたのは、迷惑などという感情では決してなく――。


「ただ、やっぱりアンタはあのお姉さん――ユーミが隣にいて、魔力を借りて、唐突にヘンテコな魔術を嬉々として放ってるのが、似合ってると思っただけ」


 少しだけ一人で戦う彼の後姿に違和感と寂しさを感じただけだ。今はこうして一人でも戦える方法を模索し、その糸口を掴んだカナメ自身も内心ではそう思っていた。僅かばかりの時間だけ口をつぐみ周囲を見渡した。そこら中で、人と魔物が戦っている。


「ぼ――」

「――ちょっとだけ! そう思っただけ……さ、急ぎましょう」


 僅かな逡巡のあとにルピナに顔を向けて言葉を発しようとしたが、すぐに微かに口角を上げたルピナの声にかき消される。

 ほんの少しこの混沌とした戦場の最中さなか、血の飛沫と匂いに麻痺しかけた神経に人間らしさを取り戻したような気がした。


「そうだな」、と声に出そうとした時だった、沢山の悲鳴と金属がひしゃげて命が刈り取られる音がほど近くで聞こえて二人は互いに見合わせて速度を上げて走り出す。


 そこで猛威を振るっていたのはどこから現れたのか、見上げるほど大きく、隆々とした筋肉を体毛に覆われながらにもはっきりわかるほど発達させた体に、猛々しい二本の角と山羊の頭を持った敵。

 人の身長のおよそ数倍ほどの体躯からはまるで目のない蛇のように口と牙を持った尻尾が生えていて、涎を垂らしている。


 周りの人間たちより強い力を持っていると感じたのか、カナメとルピナに気付いた彼は手に持った巨大な斧の様な得物を振りかぶりながら襲い掛かろうとしていた。


「変態、あぶな――」


 焦ってカナメに手を伸ばそうとするルピナだったが、呆けて突っ立っているカナメは何も、驚いて足がすくんだわけでも、観念して目を閉じたわけでもない。

 予感めいたものを感じていたのだ、それに名前を呼ぶ声が聞こえたような気がした。


 振り下ろされた山羊男の斧はカナメにあたるわけでもなく、唐突に高速で回転しながら飛来した『鉄の棒』が立派な角に衝突した衝撃で大きな腕から取り落とし、地面に突き刺さるのみ。


「ユーミ!」


 カナメがそう声をあげると、弾かれて宙へ舞う鉄の棒を跳躍した彼女が掴んで、傍らに駆け寄ってくる。


「カナメ! ね、あの山羊さん、魔族だ」

「おし、はっ倒しちまうか」


 ユーミの目の前には光の文字で宙に描かれたスクロールが浮かぶ。


 隣り合って役割を分け合う二人の後姿を見ると、ルピナは「最初から二人一緒にいればいいのに」と思う反面、湧きあがるような心強さと安心感にほっと息をついた。

 それは二本あるうちの一本の角をへし折られて怒り狂う山羊男の魔族が放つ悍ましい咆哮の前にも霞むことはない。


 しかし、山羊の魔族が襲ってくることはなかった。


 たった今、落ちてきた流星が着地の勢いを殺すために残った一本の角を力と勢い任せに鷲掴みして首ごと引き裂いたからだ。


 その黒い鱗できらきらと光を反射した流星は言った。

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