第142話 人探し

「ね、見て! 今降ってるの、雪だよ!」


  舞い落ちる白くて透明な結晶を掌で受け取り、体温で溶けていく様を見ながら彼女ははしゃいでいた。


「なんだ、初めて見たのか?」


  偶然にも島国ギワコウへ向かう海路で乗せてもらった格安の商船を見つけて船長へ声を掛けると、皆まで言わずとも快諾された。

 不安定な海上でさえ抜群の攻撃能力を見せつけた彼らが同乗していれば船旅の危険度はぐんと下がる。その代わりに無賃乗船してもらったとて、さして減るモノもない。効き目のいい酔い止めを渡してやればいい。


 上陸したのは小さな港。

 人類の砦であり希望、聖王のお膝元へほど近いここではあまり大きな港を作ることは好まれなかったらしい。

 船をとどめて置けるこの入江、それ以外はとても上陸できる気配はなく白波が陸にぶつかり、文字通り飛沫となって海に帰っていく。


 そして関所とみられる重厚な砦へと続く。

魔術師のユーミがはしゃいでいたのはそんな桟橋の上だった。


「初めて見たよ! 寒いね!」


 薄っすらと足元を白に染め上げて温度を奪っていく雪は、どこかお気楽な一同の心情へも水を差す。

 がたがたと体を震わせて鼻を垂らしている砂漠生まれのラスターを見て不憫に思いながら入国の手続きをするため、船着場からほど近い石造りの砦へと入って行く。



 入国手続きには時間こそ奪われたものの、それ以外には大した問題はなかった。グラシエル国王より賜った貴族としての身分証にはそれなりの効力と、偽装がなされないように施された何らかの細工があるとのことらしいが魔力を持たないカナメにはそれがどのような技術で作られたかは知る由もない。


「は……早く、どこか温かいところに行きましょう! 砂漠がいいですね!」

「えー。あんな暑いの嫌だよう」


 寒さに震えながらラスターは文句を言うが、確かに太陽が傾くにつれて強まった風は頬を刺すように冷たくなってくる。

 丁度良く浮いた船代で、代わりに厚手の衣服を購入しなければ体調を崩してしまうのは必然だろう。


「そんなに都合のいい砂漠があるか。さっき聞いたところによれば聖王国に至るまでで小さな村があるらしいから、そこで衣類を買おうか」


 両手に息を吐いて手先を擦りながら温めていたルピナもカナメの提案に頷き、召喚獣イプリスを呼び出して抱きしめ暖を取った。


「……待て」

「どうした、トキハル? あ、靴なら買ってやるからもう少し我慢――」


 ほとんど裸足の草履ではさぞ寒いだろうと気遣うが、彼の意識は足の寒さではなく一同の背後へと。警戒しているのか帯に差した刀の鍔に左手の親指を添えて、立ち止まって声を掛ける。


「――こそこそと気配なんか消して、何か用か?」


 彼につられて後ろを振り返ると、少し距離を置いて立っている頭からすっぽりと外套を纏った何者かの姿があった。

 ただし、逃げることも隠れることも、まして襲い掛かってくる様子もなく、目深く被ったフードを取り払って懐かしそうに声を掛けてくる。


「……やっぱり。覚えておいでですか? 私です!」

「君は――」


 見せてくれた顔には確かに、見覚えがあった。




 * * *




「――はぁぁぁああ~」

「あらあら、どうしたんです? それに溜息くらいもう少し静かにできないかしら」


 盛大な溜息は執務室の机、その上にとどまって処理を待っている高価な紙の束を吹き飛ばし、せっせとそれらを拾い上げる羽目になった妖艶な美女の顰蹙ひんしゅくを買った。


 窓をこつこつと叩く白いふくろうによく似た鳥が器用に咥えていた文書を受け取って読んでいた大男は、眉間に深い皺をよせながら大きな溜息の発生源を語る。


「溜息も出るだろ……信仰国の次は、聖王国。アルジエナからの正式な依頼だ。ある人物を探し出せってよ」

「人探しなら、灰銀級を何組か呼び戻しますか?」


 一通り拾い終えた書類の束を執務用の机――大男が足を豪快に乗せている――で端を打って揃えながら提案をしたが、男は気に入らなかったらしい。


「そうもいかねえんだなぁ……おめえが持ってるその書類。そいつらの多くが、魔物共が格段に強くなってるって報告だ。そっちにも戦力増強のうえで人を回さにゃあ」

「……確かに」


 机に置いたばかりの書類を再び手に取って捲りながら、その聡明な女性は頭の中で事態を推測してみる。


「人探しの依頼自体はひっきりなしに来るが、今回は注文が多い……疑問もな? この人探し、『秘密裏に』、『火急に』、『信頼できる人物、そして強者を』だそうだ」

「聖王国の要人……でしょうか?」


 魔物が強くなっていることと、今回の依頼を紐づける理由を探しながら、ややあってパティエナが言ったのはこうだ。


「――嫌です」

「そう言うと思った。ほんでこの依頼書にはこう書いてある。報酬は出来高、貴ギルドの年間予算の十五倍を支払う、と」

「じゅッ……え? え?」


 パティエナが報酬額を聞いて取り乱すことに不思議はなかった。

 このギルドは特段、規模の小さい集まりではないからだ。ギルドの年間予算、その十五年分は、職員として勤めるパティエナの月の給金の、およそ六千倍。それがたった一件の依頼の報酬だという。


「……要人の域じゃ、ない」

「ご明察。冒険者共は、どういう訳か進化しつつある魔物共の相手で一杯一杯。信頼できて、戦える奴をこの依頼に回さにゃあならん。おまけに――」


 妖艶に腕を組んで爪を噛みながら考え込んでいた彼女は厚い包みにくるんだ不満を彼に返す。


「――おまけまでもらえるなんて、ずいぶん太っ腹ね?」

「……探すのはこいつだ、“ミリアム・ヴァイス・ロズ”――覚えてるか? ゴブリンキング討伐作戦の、生き残りだ――」

「ええ、とてもよく……覚えています」


 それは彼女に凄惨な、数多くの才ある冒険者達、その未来を摘み取った事件を思いださせる。

 綺麗に整えられた右手親指の爪は艶やかな唇のその奥にある、綺麗に並ぶ歯に潰されて調和を崩した。


「これ以上は、聞いたら戻れねえぜ?」

「え? ちょ、聞きたく――」


 しかし彼は待たない。意見は聞かない。今はそうも言っていられない。

 とにかく確実に嫌だと主張しようとする彼女の言葉を遮って淡々と続きを語る。


「そいつぁ、世間を欺く仮名だそうだ。本来与えられた名は、『ミリアメテル・フォス・アルジエナ』――聖王国アルジエナの、正当で真っ当で唯一の、後継者らしい」


 パティエナは世界中が苦虫に埋め尽くされたような顔をして、周到に周囲の気配を探りながらも言葉を発したギルドマスター、大男のガラルドを呪った。


「……恨みます」

「だろうな? 国の要人どころじゃねえ、人類の要と来た。もっとも、本人は自分の本名もそんな奇特な家系の末裔だとも知らねえって書いてある。勿論世間を欺いているつもりも本人には無い。――俺も参加してえところだが、そうもいかねえ……手練れを同行させる」


 恨み言は一言で受け流しおどけた調子で話しているものの、表情は強張って神妙だ。

 行かせたくないという気持ちは知っているし、だからと言って、依頼を断ることのできない立場だという事も知っている。

 そして、彼の言うところの手練れが誰なのか、という事も。


「わかっています……さぁ、セラ。行きましょう」

「あれれ! 何でわかったかなー!」


 扉の向こうで気配を殺して聞いていたのだろう、ガラルドは知りながら放っておいたし、パティエナは気配を感じ取ることこそできなかったものの、そこにいるということは容易く察した。

 元気そうな声と裏腹、のっそりと扉を開けて顔を覗かせたセラに声を掛け、部屋を出ていく。


「いいか? これは国家機密に等しい、或いはそれ以上だ。他言するなよ? それと――」

「――死なせたくねえ、でしょう? ええ。そのような気は毛頭ありません。その代わり終わったら休暇を頂きますね? 一月……いえ、一年は」


 少しだけ眉を吊り上げ、不機嫌であるという事を惜しみなく表現するパティエナに、ガラルドは表情を変えず――それどころか笑みを浮かべてそれを承諾した。条件付きだが。


「構わねえが、戻ったら休暇の前にお前らがいねえ間に俺が作った書類の、校正だ」

「……それは随分と手間がかかりそうね。それで、その聖なる令嬢はどこに?」

「わからねえから、人探しっていうんだ」

「…………はぁ。では、行ってまいりますね――」


 ガラルドは彼女らが部屋を出ていく後姿を瞼に焼き付けてから、燭台の蝋燭、そのゆらゆらと揺れる炎で依頼書に火をつけ執務机の上に置いてあった陶器の皿に移し、灰になるまで見届けた。

 机の引き出しを開け、土産物として贈られた普段は吸わない葉巻煙草を取り出して端を噛みちぎり背後の窓から吐き捨てる。

 依頼書と同じように燭台で火をつけゆっくりと煙を室内に充満させる。


「あの小便たれの小娘が……人類の要、ってか」


 あの時、あの少女を助けられなったとしたら、人族を導く王の末裔は――。

 ガラルドは考えるのをやめ、二口めの煙草を吸い込んだ。

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