この世界の魔術師
第10話 ユーミ
ぱちぱちと燃えた薪の爆ぜる音が聞こえる。
「…………」
それ以外は何も聞こえない。静寂、夜。
「…………あ」
城の窓から手放した意識は幸運にもまた帰ってきてくれたようだ。
あたりはすっかり暗くなっていて、焚火の薪が立てる音だけが静寂に水を差す。
「よかった、気が付いたんだね!」
声のした方を見ると十七か、十八歳くらいだろうか。肩くらいまでの髪、毛先が跳ねている少女だ。
黒色のフード付きのローブに身を包み、優しそうな目をしていて、心配そうにこちらを見ている。
「……っ、ゆ、誘拐犯!」
脇腹の衝撃を思い起こして情けなくお尻で後ずさる。
「ご、ごめんなさい! あまりにも幸運が重なって、その時しか逃げ出せなくって。今しかないって思ったんだよ」
幸運。よくよく思い出してみればカナメにとっても幸運だったのかもしれない。あのまま審判を待っていれば、首をはねられたか、黒焦げにされたかもしれない。
「わたしはね、二年くらい前からお城の地下に幽閉されて、ちょっとした邪悪な魔力装置の動力源をさせられていたんだよ」
「お城? ……邪悪? だって、王様はとっても立派な人なんだろ、町の人は口を揃えて言ってたぞ」
「そうだよ。王様は、ね。だけど大臣は違う。あの人は、きっと、人間でじゃないと、思うんだ」
確証はないが、自信はある。
とぎれとぎれの口調から、そんな感情が伝わってくるようだった。
「人間じゃないとするとなんだってんだよ。早速『魔族』の侵略と鉢合わせってか?」
そう愚痴をこぼすと、驚いた顔で少女はこちらを見た。『どうしてわかったの』、そんな表情だ。
「まさか……君は見抜いていたの?」
畏怖のような感情を抱かれそうになったが、慌てて否定する。
「いやいや、大臣に成りすますのは、大抵敵国のテンプレート的な戦略だろ、昔ながらの。この国でそんなことする目的っていえば、たとえば、あのありがたい世界樹を枯らしてしまおうとか」
「……っ! どうして装置の目的まで……っ!」
どうやら初めての魔族との接触イベントはすでに発生していたらしく、カナメは辟易とした。
「それで、君はなんで僕を拉致したんだ? 幸運だったっていうのは?」
「うん。ちゃんと説明してみるよ。まず、君の協力を仰いだのは―――」
(いや、仰がれていない。パワープレイで拉致されて、巻き込まれただけだ)
「君が一瞬で上手に絵を描けるのを知ったこと。幸運なのは偶然それを知れたことが一つかな」
(んん……? 絵がうまい? ……僕の〈
ひとり、ある種の犯罪的な事をこんな女の子にも知られているのは非常に恥ずかしい事と感じて焦るカナメをよそに彼女は話し続けた。
「――町の広場で風景を上手に絵に描いていたでしょう! わたし、捕まっていたけど夜にはお城の見張り台に上ることが許されててね、魔力の補充のため、魔素は月の引力に引っ張られるから、月に近いところにいるほうが効率がいいって、看守さんに嘘をついたから」
「あー、うん」
(たまたまお金に余裕があるときに描いた夜の酒場と風景、あの絵だったんだ。風に飛ばされちゃったから気にもしなかったけど、運がよかったな)
ホッと胸を撫でおろしていると、少女が気にかけてくる。
「まだ痛む? ごめんね?」
「あ、痛みはもう大丈夫だ、これは別件だから……!」
急いで痛みはないことを伝える。一瞬、訝しい表情になったがまだ説明は続く。
「それでね、風で飛ばされてきた絵を見て、君の協力があれば偽の大臣に勝てるかも、って思ったの」
「いやいやいや、勝てないだろ! 絵じゃん!」
「聞いて! お城の地下の一室には、王朝が築かれたばかりの時代、古代のスクロールがあって――スクロールは知っている? ルーンに魔力を封じ込め、術式を発生させる簡易的な儀式のこと。術式が発動するとスクロールは、灰になる」
カナメが想像したのは、びっしりと謎の文字が書かれていてぐるぐる巻きにされた書物。開いて読むと魔法が飛び出すというモノ。
「地下室にあるスクロールは光の術式と言われているんだよ、強い魔族を打ち倒せるほどの――」
「あ、町に来るときにスクロールで飛ばしてもらったような気がするな。うんうん、なるほどね。それで、なんで僕が?」
「うん、スクロールは厳重に封印されて、光を透過しない黒い水晶に覆われてる。普段は見ることができないんだよ。水晶を割ろうとすると封印されたスクロールも粉々になってしまう。だけど、ある条件を満たした日だけ、ほんの一瞬だけ水晶が透けて見える日があるんだ」
「なるほどな。ああ、もしかして僕の協力って、その特別な条件の時にお城に忍び込んで、僅かな時間のうちに文字を記憶して、とても素早く描き、大臣にぶち込むってこと……?」
「すごいね! すこし話しただけでここまで理解できるなんて! でも安心して。スクロールの発動はわたしがやるから。必要な魔力量が足りないと詠唱者の生命を代償にされる。現代に簡単な術式のスクロールしか残っていないのは、実は、とても危険なものだからなんだよ!」
(魔力のない僕が読んでしまうと、命を燃料に意地でも発動しちゃうってことね……危ないじゃないか!)
「それで、魔族大臣はその黒い水晶にそんな兵器みたいなのが封印されていることは知っているのか? ん? そんな重要な国家機密みたいなことまで、どうして君は知っているんだい?」
「大臣はまだ、知らないと思う。気付いていればすぐ壊しちゃうはずだし。お城の人でさえただの黒い骨董品としか思っていないはず。わたしが知っている理由。それは……、その」
どうも言いにくそうにしている。少女は何か隠し事があるようだ。
「まあ、言いにくければ今はいいさ。絵ばっかり描いていたけど、そろそろ世界を救う本業も少しは始めないとなっ」
「世界を救う……!」
少女は口元を抑え、驚きを隠せないでいる。
「君は一体……先代聖王様の、生まれ変わり……?」
そんなわけあるかと心のなかで突っ込みながら自己紹介をした。
「僕はカナメ。間違いと失敗でこの世界に生まれた、ただのアーティストだよ」
「わたしは、ユーミ、魔術師」
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