第231話 半分

「いらっしゃぁ~……あ! お兄さん、来てくれたんだねっ。そんなにアタシに会いたかったんなら言ってくれればこっちから押し掛け――」

「うるせえ」


 贔屓ひいきにしている酒屋のささくれだった木製の扉を開けると、先日は戦場にいたというのにもう本業――いいや、あの身のこなしはやはり血筋か。暴走したランダリオをなだめるために協力してくれ、一騎打ちまで漕ぎつけることが出来たのはこの尻の軽いんだか重いんだか良く分からない剣聖の孫、テリプと祖父である剣聖のおかげだ。

 そしてその役者達がこのひなびた酒場のカウンターへと集まっているのを見てきびすを返して別な店に行こうかと迷っていると、声がかかる。


「――先のいくさでは……世話になった」

「あぁ? なんの事でぇ」


 安定して故郷で食うさかなに似た味を出してくれるのはこの店くらいなものだ。思い直して永遠桜を抱きかかえ、さして興味なさげにそう答えるとカウンターの前、いつもの席へと陣取るとテリプが何も言わずに徳利とっくり猪口ちょこを差し出した。


「謙遜しなくてもよいと思うがな――あの状態のランダリオを単騎で打ち倒せるのはこの世界を見渡してみてもそう多くはいまいて……若い頃のワシならば云わずもがな――」

「へっ……そうかねえ。最後の方にゃ化け物が出てきて俺も負けちまった。大して変わりゃしねえ」


 相変わらず猪口は使わない。出された徳利を煽ると口を伝う酒を乱暴に拭ってランダリオの方を見た。彼が自分の境遇を語り始めるのとほぼ同時だ。


「聞いたのだろう? 俺の血の事だ」

「忘れちまったなぁ」

「嘘を付け。俺の母は人の血を分け、父は魔族の血を俺に与えたらしい……その結果が、あの有様だ」

「そうかい。……で?」


 トキハルの徳利が空になったとみると、すぐにテリプは次を付けてくれる――。

 

 聖戦の翌日からすでにトキハルは町の外に出かけると、朝早くに戻ってきて酒を飲んで昼からいびきをかく。夕方そこかしこで飯の支度が始まるころに起きだして、トキハルはまた町の外に出かけて行った。彼は頑なに『酒代を稼ぎに行く。人と出くわす時間に出かけてたらぁ獲物がいなくなっちまわぁ』と言っていたが、恐らく彼は魔物の残党やら魔族がそこらにいないかを探しに行っている。


 ――それを察してかつての剣聖も見上げた青年だと認めたし、同時に何と不器用な生き様かとつい笑ってしまう。

 テリプにとっては稼ぎになって有難いことだ。釣りは要らぬと冒険者やらに考えなしに奢るものだから、噂を聞きつけた冒険者達もこぞってこの店に来る。


「『で』 だと? 驚かないのか……魔族なのだぞっ、普通で在れば恐れおののき、汚いものでも見るように俺を見るッ」


 すでに並みの徳利では満足がいかなくなり、かめを受け取って『ひしゃく』で飲み始めたトキハルの目は据わっていて、ちらとランダリオを一瞥いちべつすると小さな焼き魚を口へ放り入れた。


「なんでえ。てめえも『自分が一番可哀そうだ同乗してくれ』って口か。見飽きたぜ――それに怖ぇ事があるかい。てめえなんかに負けるわけねえんだからよ」

「この……」


 つい挑発的な口調で話してしまうのは最早直しようがないし、本人も特段どうにかしようなどとは思っていない。ねじ伏せればいいだけだと。


「ちょっとー! 揉め事はよしてちょうだいよねランダリオ! ここはアタシのお店だよ」


 がたりと椅子を倒しながら立ち上がるランダリオをテリプがいさめ、老人が彼の服の裾を掴んで引き留める。


「てめぇ、おっ母さんは?」

「……魔族の子を産んだという因縁で幽閉されていたが、俺が騎士となる代わりに牢を出してくれることになった。今は信仰国にいる、らしい」


 ゆっくりと椅子へ座りなおすとちびちびと酒に口をつけて、遠い眼をしながら母の事を思い出しているようだった。


「そうかい。ならそのおっ母さんのために剣を振りまわしゃあ良いじゃねえか。『見飽きた』ってのは自分の顔の事だ。俺が『世界で一番可哀そうだろ』ってツラをしてたんだとよ。こいつぁあのガキに言われた。おっ父さんとおっ母さんの血が半分ずつ流れてんだったら魔族になってやる必要はねえだろうが。人間なんぞになり切れなくても、別に魔族じゃなきゃいけねえわけじゃねえ。どうせてめえが思ってるほどは、誰も気にしてねえよ」


「そう、か」


「知るか。あの……竜のガキも大概だが――」



 *  *  *



「どうぞ――」


 人族の頂、聖なる王のみが座ることを許された玉座に座っているのは、ミリアム。或いはミリアメテルだ。彼女が兵の合図に対して良く通る声で返事をすると、何かを思い出して騎士ポーレルスはやや目を細めた。

 

「……き、貴様ッ」


 思わず王の間へと訪ねてきたその姿を見てスパイゼルは身の毛をよだたせて警戒した。

 聖王に謁見を乞うて来たのは盟約の召喚術師ペルセ・ルピナと――。


「ベリデリル、謝りに来た」


 黒竜の力を望まずとも与えられた人間の少女。


「おのれ魔族めっ、どこに潜んでいたのだ――自ら姿を現すとは、目的はなんだッ!」


 鼻息荒く、僅かに俯くベリデリルに息巻くスパイゼルを手で制して、組んだ足を解し姿勢を正したミリアムが目配せする。

 

「しかしミリアメテル様、何を隠そうこの魔族こそが――」


「潜んでない……ベリデリル、探してただけ」


「何を……ですの?」


「生きてる、人」


 心配そうに佇んでいたルピナがミリアムとベリデリルの顔を交互に見ると意を決して語りだす。


「ミリアム……あぁ、えっと、聖王様っ。私達はお伝えしなければいけないことが」

「いいえルピナさま。短い時間とはいえ、一緒に旅をしたのです。そのように堅くならずとも」

「ありがとう、でも、こんな――でも聞いてミリアムっ、この子は利用されていて! 魔族に研究者って悪いのがいて――」


「――ベリデリル、自分で言う。ベリデリルが悪いから」


 堰を切ったように必死な顔でミリアムへと訴えかけるルピナの頭を軽く撫でてベリデリルが少し前へ出た。


「……ベリデリル、七本腕と一緒にあの町を攻撃した」

「――聞いて、ミリアム! この子だって元は人間なのにっ」


 瞳孔を開いて首を微かに横に振りながらミリアムが立ち上がった。彼女の瞳の奥では燃える街並みと崩れる家屋、横たわる父と母の姿が揺れる。少し心臓の音がいつもより早い。思わず帯刀している剣の柄に手を伸ばしそうになりながらベリデリルとルピナの顔を見る。


 ――利用されたならば、構わないのか?

 今すぐ玉座から飛びあがり、ぼそぼそと喋るルピナとそう背丈の変わらない子供の様な彼女の首を切り落としたいなどという衝動がミリアムを曇らせる。

 

「ベリデリル悪いことしたから、ひどいことしたから、人をころしたから、お仕置き受ける」


 ――仕置き? 罰を受ければ咎が許される?

 ミリアムの胸に湧いてくる疑問に心がくすんでいくような気がした。剣を、盾を、足元を見る。友人達の温もりは、今は感じられない。


「ベリデリル竜の力があるから、翼をがれても直るし、脚を千切ってもくっつくと思う。痛いのは好きじゃないけど、ひどいことされてもしょうがない。ベリデリル、悪いことしたから」


 ――子供の姿ならば涙を浮かべて謝罪をすれば帳消しになるのか?

 煮えたぎりそうなはらわたが熱い吐息を口から漏らし、唇を振るえさせた。

 王たるものであれば逆賊ははりつけにして後、公衆の面前で王の力と国威を示すため、首をはねるべきだ。

 王たるもの、そういう毅然とした行いがふさわしいのだ。

 

「働きなさい」


 ミリアムの口から出た言葉はそれだった。


(――許すことのほうが、きっと私にふさわしい)


「アルジエナのため……人々のため、その竜の力を振るうのです。そうして償うのです」


「ベリデリルを……壊さないの?」


「絶対に許さないっ……ですが、赦しますっ」


 ついに王たるものは両手で顔を覆って、泣き出した。


「ごめんなさい」


「許します」


「……ごめんなさいっ」


「……許さないっ、死に物狂いで働きなさいっ」


「――ごめんなさいっ」


「――赦しますっ、悪しきを絶ち人として生きるのですっ」


 新たな王と小さな咎人は二人そろって泣いている。

 スパイゼルとポーレルスは二人でどうしたものかと顔を見合わせて口を開けていた。

 しかしルピナは思う。優しい世界には優しい王の方がいい。きっとふさわしいと。

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