第158話 悪い子

「おとうさまっ、おかあさまっ……!」


 あんなことがあって、少し混乱してしまっているのだろう、などと楽観的に考えることは出来なかった。

 以前の彼女から溢れんばかりに漂っていた高貴な雰囲気も、気品の感じられる所作も、美しさのなかに陰りを内包するような表情も、洗練された言葉遣いも、幼さにかき消されてしまって見る影もない。


「落ち着いてくれ、ミリアム……」

「おとうさま、おあかさまっ、どこ? どこ?」


 頭を撫でるわけでも握手をするわけでもなく、どうしてよいか分からないまま差し出されたカナメの手に、布団を盾にして身構えたミリアムはついに父と母を呼びながら声をあげてわんわんと泣きだしてしまう。


「爺さ――スパイゼルさん。彼ら今、『ミリアム』と」

「お前は以前から爺さんと呼んでいた気がするが……ああ、確かにミリアムと。聖王様がお心を許されていたいうヘイリッテの貴族、預けられた先では確かに『ミリアム』と名付けられたらしいな。いずれにしても、いよいよ彼らを無視することは出来なくなった。偶然にしては――いや、これは軌跡、神の思し召しなのかもしれん」


 泣きじゃくるミリアムと、必死に彼女をあやすカナメとユーミ。悟られぬよう二人の騎士はひそひそと話し合っていた。


「大丈夫だよ、ミリアムちゃん。いい子、いい子」

「ひっく……おとうさまは、おかあさまはどこにいっちゃったの……」


 ゆっくりと優しく頭を撫でるユーミには少し心を開いたようにも見える。

 もともとミリアムは利発で賢い子供だったのか、泣いてばかりいても事態は進展しないと心のどこかでは分かっているのかもしれない。


「そうだなぁ……お父さんとお母さんは、どんな人だった?」

「おとうさまは……優しい。おかあさまはね、えっと、優しい」

「そっか。二人とも優しいんだねえ。お父さんとお母さんはちょっぴり遠いところにお出かけしちゃったけど、二人はとっても優しいから、ミリアムちゃんが泣いていると二人も悲しくなって泣いちゃうかもしれないなぁ」

「なら、がんばって泣かないようにするよ……でも、でも……どうしてミリアムを置いて行っちゃうの? ミリアムが悪い子だったの?」


 流石のユーミでさえ、一瞬言葉に詰まる。彼女が何か悪いことをしただろうか。罰を下されなければならない何かをしただろうか、と。


「そんなこと……ミリアムちゃんは悪くないんだよ」

「だったら、だれが悪いの……だれか悪い人がいるの……?」

「ミリアムちゃん、悪い人や悪い事なんて探さないで、楽しい事や嬉しいことを探しに行こう。お父さんもお母さんもきっとそうして欲しいんだと思うな。お腹減ってないカナ? ごはんを食べる?」


 それっきり、ミリアムはうなだれて首を横に振るだけだった。時折、目に涙をいっぱいに浮かべたかと思うと、顔に力を入れて一生懸命に袖で涙をぬぐい、布団を握りしめるだけ。


「なんだ? どうして先ほどから幼子のように泣いている? しかしやはり、聖王様にお会いしていただかなければならない――本当の事を話して、同行願おう」


 まるで子供のように泣きじゃくってさほど年頃も離れていない二人にあやされている目的の人物をやや不審に思いながら、ランダリオは真実を話し聖王のもとへと同行してもらうため近寄ろうとしたが、一歩目を踏み出した途端に目前に現れた東の島国の刀に阻まれた。


「今はやめといてくんねえか? どうせ放っといてもあいつらは聖王様とかいう野郎のもとには行くさ。今はあの嬢ちゃんにややこしい話をしねえでやってくれよ」


 そう言ったトキハルの言葉は依願の体をしていたが、その目は暴力的なまでにはっきりと、引き下がらねば斬ると告げていた。

 それはランダリオにも正確に伝わり彼は、小さく舌打ちをしながら抗議した。


「時間がないのだ。一刻を争う。貴様も日に日に強くなる魔物達の存在感には感づいているだろう!」

「やっぱし、あの嬢ちゃんがそうか。“継承者”ってのはあの嬢ちゃんの事なんだな?」

「――っ! なぜ貴様如きがそのことを知っている!」

「知られたくねえんなら、そんなにはっきりと反応するもんじゃねえぜ……知ってるも知らねえもここを襲った魔族がそう言ってたんだよ。一体全体、継承者ってのはなんだ?」

「誰が貴様なんぞにっ」


 ランダリオの眼が怒気を孕み、頑なに拒絶をすると彼の肩に手が置かれた。振り返るとスパイゼルが静かにじっとランダリオを見つめ、首を横に振って言った。


「私が話そう」

「しかしっ――」

「私には知る権利があると思うけれど?」


 トキハルの後ろから現れたのはルピナ。聖王と召喚術師は人々を救うために古来に固く盟約を結んだ。その生き残りたる彼女には教えてもいいだろうという主張だ。


「ペルセ・ルピナ殿の言う通り、彼女には話しても良いだろう。いや、話すべきなのだろう。そして彼女に話せばその仲間には伝わる、同じことだ」

「泣き疲れてじきに、また眠るだろう。そうしたら眠っている間に連れ出すとしようや。この町の惨状なんかとてもじゃねえが見せられねえ。道中にでも話せ。今は嬢ちゃんにややこしい問題をくれてやるな」


 刀を納めてそう言うと、ルピナもそれに賛同した。

 トキハルの宣言通り、ややあって泣きつかれたミリアムは再び眠りについたようだった。


「おい、ガキぃ」

「いつまでもガキガキ言わないでくれないか?」


 眠りについたミリアムをやるせない感情に支配されながらも眺めていると背中にトキハルの声がかかり、振り向きざま返事代わりに文句を返した。


「まあいいじゃねえか。ところでこの嬢ちゃんが眠っている間にここを離れようぜ。町がこんなになってるなんて知っちまったらまるっきり、傷口に塩だ」

「そうだな……あぁ、そうだな……」


 再びミリアムの寝顔を見ると、うわごとのように父と母を繰り返し呼び、閉じた目尻から涙を流して枕に染みを作った。

 これが仮に試練だというのなら、試している側はよっぽどタチが悪い糞っタレだと、ぼんやりカナメは考えていた。

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