第三節 ぐだぐだ自堕落ドラゴン

「やぁやぁ、ワタシの名はソーン。この大図書館の主であり、叡智えいちの極みであり、始祖竜の一翼であり、賢者であり、ロードであり、んー……あと、その他いろいろなんだよ」

「はぁ、どうも……」

 賢者ソーンはソファーベッドに横たわったまま、だらだらとした口調でそう言った。

 自堕落で出不精とは聞いていたけれど、まさかこれほどとは……。これではとても偉大な賢者には見えない。

「おや、何か言いたげな顔をしているが──」

「ソーン様、だらけ過ぎなのです! これじゃあ賢者の面目が丸つぶれなのです!」

 と、怒り心頭な様子のパラヴィーナが間に割って入ってきた。

 女王様やロードたちを尊敬しているこの子にとって、この有り様は目に余るようだ。

「おお、キミの言う通りだねパラヴィーナ君。面子を保つためにワタシはどうしたら良いと思う?」

「しゃんとして、部屋もきちんと片付けるのです! こんなだらしのない部屋はダメなのです!」

 この狭い部屋には足の踏み場が無いくらいに本が散乱し、あるいは積み上げられていた。いかにも片付けの出来ない人の部屋、という様子だ。

 そのせいで私たち三人は、辛うじて床が見える部分に立つしかないという状態になっている。

「素晴らしい観察眼だ、その通りなんだよ。というわけでパラヴィーナ君には本の整頓をお願いするんだよ」

「任せるのです! ソーン様の名誉を回復するですよ!」

 体よく仕事を押し付けられたことにも気付かず、パラヴィーナは元気良く部屋の整頓を始めた。この子、純粋すぎて不安になるってくるな……。

 っと、掃除をするなら私も手伝った方が良いよね。

「ああ、キミはいいんだよ。まずはワタシとお話をしようじゃないか」

「はぇ?」

「女王も、そのつもりで来たんだろう?」

「ふん。そうでなければわざわざお主のところになど来るものか」

 女王様はどことなく不機嫌な様子。もしかして、あんまり仲が良くないのかな?

「キミは、ヒトの……女の子だね? 名前は何と言うんだい?」

 ちょいちょいと手招きをされたので、ソーンのもとに近寄る。

「あ、えーっと、夏野陽光なつのひかり──ヒカリ、です」

 自己紹介の最中、空色の瞳が眼前に迫る。

 この子もやはりというか、ドラゴン娘の例に漏れず小さな女の子の姿をしていた。

 白に近い銀髪には青や水色などの色も所々に混ざって見える。色よりも気になったのはその髪の長さ。サイドで括っているというのに、それでも腰に届くほどの超ロングヘアだ。

「ヒカリ君か……。不思議な響きの名前なんだよ」

「こやつの国の言葉で『太陽の光』と書いて『ヒカリ』と読むそうじゃ」

「! なるほど、なるほど。そうか、そうか……!」

 それを聞いてソーンは驚いた様子を見せた後、何かに気付いたのかうんうんと頷き出した。

 最初は女王様も、私の名前を聞いて驚いていたような……。日本人の名前は異世界じゃ珍しいかもしれないけど、そこまで驚くようなことかなぁ?

「ヒト嫌いのキミがヒトを連れて来たから何事かと思ったけれど、この子はただならぬ事情があるってことだねぇ?」

「ただのヒトなら連れて来んじゃろう」

「ふふ、分かるとも。じゃあ、ヒカリ君は海を越えただけでなく……次元の壁を越えたということかな?」

「そういうことになる」

 私が口を挟む隙もなく、ソーンはどんどんと理解を示していく。

 まだ特に何も説明していないのに、異世界人であることまで察するなんて、まるで探偵みたいだ。

 そういえば、ここに来る前に女王様は「ソーンは危険だ」なんて言っていたけれど、こうして見るとそんな雰囲気は全く感じない。

 あれはどういう意味だったんだろう。自堕落なだけで、特に警戒する必要はなさそうだけれど……。

「──っと、勝手に話を進めて失礼したんだよ」

「あ、いえ。大丈夫です」

「ワタシの自己紹介がまだ途中だったねぇ。ワタシは霧竜ミストドラゴンという種でね、霧を使った幻術なんかが得意分野なんだよ」

「扉を隠していたのも霧の魔法じゃな」

 霧竜ミストドラゴンとは今まで見たことのない、初めて会ったドラゴンだ。初対面だけど、どこか掴みどころのない彼女の雰囲気はミストという名に合っている気がする。

 ミストっていうとなんとなく泡竜バブルドラゴンと近い感じもするけれど、プルートと何か繋がりがあったりするのだろうか。

「この幻術のお陰で文官たちに見つからないから、寛ぎ放題で快適なんだよ」

「でも、図書館の主なのに隠れていていいんですか?」

「いいんだよ。普段は文官長が何とかしてくれているんだよ」

 司書──文官と呼ばれている図書館のドラゴンたちを取り仕切っている文官長。実質的な大図書館の主はその子が務めているらしい。ソーンは裏ボスというわけだ。

 ちなみに文官長室は最上階にあるそうで……いかにも表向きのボスって感じ。

「ふん、要するにお主はお飾りの役立たずということじゃろう」

「それが許されているのは平和で素晴らしいことなんだよ」

 やはりソーンに対して女王様の当たりが強いように見える。喧嘩になるってほどではなさそうだけど。

 女王様は毎日忙しなく働いているから、彼女のような怠け者には厳しいのかもしれない。

「まぁ、ワタシの話はこれぐらいでいいだろう。それよりキミの話だ、ヒカリ君。答え合わせをさせてもらおうじゃないか」

「答え合わせ?」

「そうとも、キミが女王に連れて来られたということで、キミが何者なのかはある程度予想がつく。まず、キミはヒトではあるが海の向こうの大陸……ではない、次元の壁すら越えた別世界のヒトである。そうだろう?」

「ええと、当たっていると思います、多分」

 ここが異世界であるという確証は未だにないけど、私が異世界人であるのはほぼ確実だろう。

「そして、どうやって来たかも、どうやって帰るのかも分からない。だからこのワタシの知識を頼りに来たんだろう?」

「それも……当たっています」

 隣で女王様もこくりと小さく頷く。

「で、ここで一つ疑問が浮かぶ。それはキミの『価値』なんだよ」

 話を一旦区切り、ソーンは悪戯っぽく笑った。

「ただの異世界人だったとて、なんの『価値』も無いヒトを女王が手元に置くわけがない。キミにはどんな『価値』がある? 何を隠しているんだい?」

「え、ええっ? 別に何も隠してなんてないんですけど……」

 急に本筋から外れた質問を投げかけられて少し戸惑う。

 何かを隠しているなんて疑われても、異世界転移はこの身一つで行われてしまった。

 携帯電話くらい持っていれば異世界人の証明が出来たのに、と思っていたくらいだ。隠し持っている物なんて何も無い。

「見当違いじゃな。こやつはただの小間使いとして王宮に置いておる」

「そ、そうです。炊事とか洗濯とか、普通のことしか出来ませんよ」

「苦しい嘘なんだよ。それならただのメイドで充分なんだよ。ヒカリ君でなければならない理由にはならないんだよ」

「嘘など吐いておらん。本当にその程度のことしかさせておらんわ」

 その通り。私は異世界人っていっても、凄い力を持った勇者とかそんなのじゃない。

 そんなに疑われたって買い被りってやつだ。

「他にあるはずだろう? キミにしか出来ない仕事が」

「他って言われても……」

 私にしか出来ない仕事? そんなのあったかなぁ……?

 ……あ。

「女王様の耳かきとか、マッサージとかですかね?」

 そういえば最初はあれで『価値』を認められたんだった。

 ここのところ日課の一つになっていたから忘れていた。

莫迦ばかもの、余計なことを──」

「『耳かき』! いいね、ワタシも聞いたことがない言葉なんだよ!」

 女王様が何か言おうとしていたが、ソーンの声が掻き消してしまう。

「それはなんだい? どんなことをするんだい? 教えておくれよ!」

「ええっ? ただの耳掃除ですけど……」

「耳掃除……耳の手入れか! そんなのやったこともない、面白そうじゃあないか!」

 ソーンは急に興奮したような口ぶりになっていた。ゆったりと喋っていた先程までと違い、随分と早口だ。その急な変わりように圧倒されてしまう。

 耳かきがドラゴンにとって一般的な文化じゃないことは知っていたけど、ここまで興奮するようなことかな……?

「実に興味深いんだよ、それをワタシにも試してほしいんだよ!」

「ええと、そんな期待されるようなものじゃないと思うんですけど……」

「その通りじゃ。お主の望むようなものではない」

「ははは、その口ぶりがもう『価値』を認めているようなものなんだよ! 決めた、ヒカリ君が『耳かき』をしてくれなければ、ワタシは何も情報を喋らないんだよ~」

 そう言ってソーンは再びソファーベッドに寝っ転がってしまった。どうすればいいんだろ、これ……。

 耳かき棒は持ち歩いているし、この場でやれって言われて出来ないことはないんだけど……。

 女王様の方をちらりと見ると、とてもげんなりとした顔でため息を吐いていた。

「……仕方あるまい、やってやれ」

「いいんですか?」

「その代わりソーンよ、碌な情報でなければ首を絞めるからな」

「なんでもいいんだよ。ヒーカーリーくーん、はーやーくー」

 ソーンは寝っ転がりながらパタパタと足を動かしてソファーベッドを叩いている。まるで駄々をこねる子どものような仕草だ。

 それを見て女王様が「これだから連れて来たくなかったのじゃ……」と小さく、苦々しく呟いたのが聞こえた。

 う、うーん……? 耳かきをすると何か不味いことでもあるのかな?

 私はそうして一抹の不安を抱えながら、ソーンに耳かきをすべくソファーベッドに腰掛けたのだった。

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