第四節 だらだら自堕落ドラゴン

「えーっと、それじゃあ始めたいと思うんです……が……」

 大きなソファーベッドに腰かけ、膝の上にソーンの頭を乗せる。まずは右耳から耳かきを始めるとしよう。

 私から見て、右手側には横たわったソーンの身体がある。左手側には、

「あの、女王様? そんなにくっつかれるとやり辛いんですけど……」

「……ふん」

 腕を組み、頬を膨らませた、見るからに不機嫌そうな様子の女王様がいた。

 その状態で私の方に寄りかかり体重を掛けてきている。見た目に反して相当な力があるため、この圧を無視するのはちょっと難しい。

「おやおや、女王の嫉妬とは珍しいんだよ。ヒカリ君がワタシに『耳かき』をするのが、よほど気に入らないようだねぇ?」

「はっ! 儂がそんな見苦しい真似などするものか!」

 女王様は吐き捨てるように言った後、そっぽを向いてしまった。

 しかし、尻尾をふりふりと動かしてソーンの顔の周りを行ったり来たりさせていて、明らかに耳かきを邪魔しようとしている。これではいつまで経っても始められない。

「もう、ダメですよ女王様。今はソーン様の番なんですから、大人しくしていて下さい」

「むぅ……」

 小さな子どもに言い聞かせるような口調でいさめる。

 女王様自身も流石に大人げないと思ったのか、尻尾を動かすのは止めてくれた。

「あっはは、あの女王がまるで雛のようなんだよ。キミはつくづく面白いヒトなんだよ」

「ソーン様も、喧嘩になるようなことを言うなら耳かきしませんよ?」

「おっと、これは失礼。余計な口は慎むとするんだよ」

 二人が大人しくなったところで、ソーンの右耳に耳かき棒を近付ける。

 彼女も耳かきは初めてとのことなので、最初はやはり慣れさせた方が良いだろう。まずは耳の形に沿うように、外側をカリカリと擦ってみることにした。

「んっ……。なるほど、その棒で耳を掻くから『耳かき』というわけだ。実に単純な名前なんだよ」

 ソーンの反応は恐怖よりも好奇心が勝っているようで、耳かき棒の感触にもすぐに慣れていた。

 この様子ならもう耳の中に入れてしまっても大丈夫だろう。

「じゃあ、お耳の中に入れていくので、痛かったりしたら言って下さいね?」

 急に暴れたりしたら危ないので、確認を取ってから耳の穴に耳かき棒を滑り込ませていく。

 まずは優しく、壁面を撫でるように擦って感触を伝える。

「おおっ!? こ、これはなんだか、むず痒いような、心地良いような……。何とも言えない感覚なんだよ……」

 一瞬ビクッと震えたが、痛がっている様子ではない。これなら続けても問題なさそうだ。

 耳の汚れを丁寧にこそぎ落とすように、耳かき棒で引っ掻いていく。引っ掻くといっても、傷つけないように柔らかい動きを心掛けて。

 そうやってしばらくの間カリカリ、カリカリと耳を撫で続けていった。

「……なるほど、なるほど。耳の中の神経を擦り、刺激し、脳に快感を送っているわけだね。ともすれば耳を傷つけてでも刺激を求めてしまいそうな、そんな恐れすらある心地の良さなんだよ」

「あら、詳しいですね。初めてじゃないんですか?」

「初めてだとも。島にはこんな文化は無かったんだよ。いやぁ、これはこの姿ならではの悦楽だねぇ」

 擬人化前──獣の姿では確かに耳かきなんて出来そうにない。大きさを考えると、デッキブラシみたいなので擦ることになりそうだ。

 ……なんか、デフォルメされた虫歯菌が歯を攻撃しているような、ああいう絵が頭に浮かんだ。


    ☆


 その後も集中して耳かきを続けていたら、大体は綺麗になってきていた。

「よし、と。次は左のお耳を掃除するので、反対側を向いてもらえますか?」

「了解したんだよ」

 ごろんと寝返りを打ち、ソーンの顔がこちら側に向く。

「ふふ、視界がヒカリ君のお腹で埋まってしまったんだよ」

「あんまり見ないで下さい……」

 肌を直に見られているわけじゃないけど、意識するとなんだか恥ずかしくなってくる。

「目は瞑っているとも。この『耳かき』というのは視界を閉ざして耳に集中した方が、より心地良くなれそうだからね。それに……」

 ソーンは目を閉じる前に、一瞬何かに目配せした。

「……隣の女王様も何だか怖いからね。余計なことは言わないようにするんだよ」

「へ?」

 そう言われて左隣に座っている女王様の方を見たが、背中を向けているのでどんな顔をしているのか分からない。ただ、背中からでも不機嫌なオーラが漂っているのは感じられる。

 ソーンが言うには女王様は嫉妬しているということだったけど、私がこの子に耳かきをすることの何がそんなに気に喰わないのだろうか?

 ……とりあえず、手を動かさなければ終わらない。そんなわけで左耳も右耳と同じように耳かきを進めていった。

 それからみんな特に喋ることもなく、作業は黙々と進む。

 部屋にはパラヴィーナや文官たちが出たり入ったりとしながら、バタバタと本の整頓を進めている音だけが響いた。

 ……あれ?

「文官の子たちが入って来ていますけど、ソーン様はサボっていて怒られないんですか?」

 こんなところに隠れていた上司が寝転がって耳かきをされている姿など、部下が見たら良く思わないのは想像に難くない。

 ドラゴンはそんなことで怒らないのかもしれないけど、この子の場合は普段の行いも悪そうだし……。

「ははは、ワタシは怒られるような立場じゃないんだよ。ワタシが必要な仕事なんてものもないしねぇ」

「嘘を吐くな。霧の幻術でこの場を覆っておるだけじゃろうが」

「あ、そういう……」

 私には全く分からないけれど、どうやらこのソファーベッド一帯には誰にも認識されなくなるような幻術が掛けられているらしい。

 そのせいで部屋を出入りしている文官たちは、ここに図書館の主がいると気付くことが出来ないようだ。

「てへ。本当はバレたらめちゃめちゃに怒られちゃうんだよ。やるべきことを全然やっていないからねぇ」

「ちゃんとやらないとダメじゃないですか……」

「そうは言うけど面倒くさくてねぇ。後回しにし続けたら、凄い量になっちゃったんだよ。もうどこから手を付けていいか分からないから、いっそ全部やらないことにしたんだよ」

 清々しいほどに自堕落だった。

「んー、でもここはもうバレちゃったし、また次の引き籠もり場所を考えないといけないんだよ……。ああ面倒くさい」

「隠れておらんで真面目に働かんか、たわけめ」

 女王様が呆れたように深くため息を吐く。どうもここに来てからため息の回数が凄い。

 話をしているうちに、なんだかんだで左耳の手入れも終わりに近づいていた。

「ところで、ヒカリよ。その、後ろに付いている綿毛のようなものはなんなのじゃ?」

「これはですね、梵天ぼんてんって言うものなんです」

「ボンテン? 以前はそんなものなかったろう」

「ええ、ニエちゃんに頼んで付けてもらった新型です」

 耳かき棒の後ろ側についている、ふわふわの毛。これは梵天ぼんてんと呼ぶらしい。ウチではずっと『もふもふ』って呼んでいたので、これにそんな名前があると知ったのは結構最近のことだったりする。

「して、それは何に使うのじゃ?」

「これはこうやって使うんです。仕上げに……もふもふ~~!」

 掃除を終えたソーンの左耳に梵天ぼんてんを差し込み、もふもふとした感触を与えて耳の中を撫で回す。

「ふにゃぁ~~~」

 すると、ソーンから猫なで声というのか、とろけたような声が漏れ出てきた。

 よしよし、この様子なら気持ち良くなっているのは間違いない。

 妹もこのもふもふを喜んでいた。これをすることで汚れを落ちるのだとか、具体的にどういう効果があるのかは知らないけれど……気持ち良いならそれでいいだろう。

「ボンテン……。良さそうじゃな……」

 天にも昇るような心地良い表情のソーンを見て、女王様がそわそわしている。さっきまでの不機嫌な顔つきは和らいでいて、尻尾も上機嫌に振っている。

 これはこれは、女王様も興味津々のようだ。

「ふふ、女王様も後でやってあげますからね」

「っ!? 儂は別に催促などしておらんわっ!」

 ふんっ、と鼻息を荒げて顔を逸らす。

 別にそんなに照れることでもないと思うんだけどねぇ。

「ヒカリくぅーん。次は右耳も頼むんだよ~」

「はいはい、こっちもですね~」

 そうして、梵天ぼんてんもふもふタイムはソーンが満足するまで続いた。

 ……というか全然終わる気配が無かったので、途中で女王様がキレて強制終了させたのであった。

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