第五節 異世界転移の謎

「いやー、堪能したんだよ。とても心地が良かったんだよ~」

 私の膝から起き上がったソーンが、ゆるゆるとした動きで伸びをする。

 目はとろんとしており、しきりに欠伸もしていてとても眠そうだ。

「このまま眠ってしまうのも悪くなかったんだけれど──」

「よもや、約束を忘れたとは言わんじゃろうな?」

「隣で殺気立たれては安眠できないからね。ちゃんと話すんだよ」

「ふん、碌な情報でなかったら宣言通り首を絞めてやるからの」

 耳かきが終わったらソーンの知っていることを話す──それが交換条件みたいなものだった。

 さっきからペースを乱されっぱなしの女王様は苛立ちのあまり、威嚇するような唸り声を漏らしている。なんか、犬みたいだなぁ……って言ったら私が怒られるだろうから、言わないでおこう。

「さて、ヒカリ君は遥か彼方の世界──『チキュウ』という星の『ニホン』という国からやって来たんだったね?」

 ソーンがこほん、と一つ咳払いをして話を始める。

「で、その『チキュウ』と『ニホン』のことだが……ワタシも聞いたことがない。全くもって知らないんだよ」

「首絞めるぞ貴様!」

「ぐ、ぐるじい……もう締めでるんだよ……」

 随分と勿体つけた割には、新しい情報は何もなかった。女王様は怒り心頭の様子でソーンを締め上げる。

「とんだ無駄足じゃった。こやつはドラゴンステーキにして食卓に並べてやろう」

「いやいや、ダメですよそんなの……。きっと話に続きがあるんですよ」

「がぜづ……。仮説があるがらぎぐんだよ……」

「ほら、女王様。降ろしてあげましょう?」

「ちっ……」

 ソーンは叩きつけられるように乱暴に放り投げられ、ソファーベッドに倒れ込む。

「げほっ、ごほっ。キミは自分の腕力を考えてほしいんだよ……」

 そう言って涙を溢しながら何度も咳き込んでいた。

 端から見ると全然力を入れていないような動きだったけど、やっぱりドラゴンの力ってすごいんだなぁ。

「はぁ、はぁ、まったく……。暴力反対なんだよ……。ワタシは確かに知らないとは言ったけれど、このワタシも知らないというのが即ち答えなんだよ」

「む」

 ソーンの息が整ってから、話が再開される。

 知らないというのが答えというのは、一体どういう意味なのだろうか。

「竜族で一番の知識者であるワタシが知らないほどの奇跡、そして『太陽の光』という彼女の名前──それはすなわち『母様ははさま』の御業に他ならないということだよ」

「……やはり、か」

 ええと、どういうこと?

 女王様はそれで納得してしまったようだけれど、私は意味が理解できていない。

「『母様ははさま』ってその、ドラゴンたちの女神様……ですよね?」

「そうなんだよ。ワタシたちは『母様ははさま』より生まれ、『母様ははさま』の腕に抱かれてこの島に導かれたんだよ」

「その女神様と、私に何の関係が……?」

 異世界転移の際に、その世界の神様からチュートリアル的な説明を受けたりするのはよくある話だと思うけど……。

 私はその母様ははさまとやらに会ったことがない。本当に、気付いたらこの世界に流れ着いていたのだ。

「『母様ははさま』は太古の昔、闇を払い、天に昇られた太陽の化身──太陽竜である。故にお主の名は『母様ははさま』と大いに関係があるのじゃ」

「え、ええっ?」

「ヒカリ君の名が『太陽の光』を意味するのなら、言わばキミは神子みこ。『母様ははさま』の御使いであるに違いないんだよ」

「違いますよ!?」

 そんな、名前の漢字が一緒だから関係があるだなんて言いがかりに近い。

 私はこんな名前だけどインドア派だし、今まで自分に太陽と何か関係があるだなんて思ったことも感じたこともない。

「ただの偶然じゃないですかね? 名前だけじゃないですか、そんなの……」

「そんなことはない、名前には大きな力が宿るものじゃ。ましてや『太陽の光』など、儂らにとっては神の御使いに他ならん」

 ……私の名前(というか漢字)で驚かれた理由がなんとなく分かった。

 要するに『太陽』というワードはこの子たちにとって、神様仏様と同じような名前ってことだ。確かに『仏陀』や『釈迦』なんて名前の人が現れたら私も驚く。

 ただ、そんなことを言われたって私自身は単なる偶然としか考えられない。

「仮に私がその、御使い? だったとして。何の特別な力も無いし、使命とかも知らないんですけど……それで良いんですか?」

「ああ、それについてはヒカリ君が気にする必要はないんだよ。万物万象を理解しておられるのは『母様ははさま』だけなのだから」

「うーん、そういうものですかねぇ……」

 それでもせめて呼ばれた理由くらいは教えてほしいものだけど。

 というか、直接聞いてみればいいのかも?

「その『母様ははさま』とコンタクトを取ることは出来ないんですか? 神子(みこ)の力とかがあるなら、こう、なんとか……」

「それは難しいのう。『母様ははさま』は儂らにあまり干渉することはなく、儂らもまた『母様ははさま』に頼ることは控えておる。干渉がないだけで、いつも見守っておられるがな」

 どうにも放任主義のお母様なようで……。まぁ、そんなのどこの神様も一緒か。

 しかし、神様に直接聞けないとなると、私は一体どうしたらいいのだろう。

「使命や理由などを難しく考える必要はないんだよ。ヒカリ君は今まで通り、自由に気楽に過ごすと良いんだよ」

「それなら助かりますけど……」

「おや、それともここでの暮らしには何か不満があるのかい?」

 王宮での暮らしは快適で、不満などはない。ドラゴンたちも意外と優しくて平和だし。

 それに、帰らなければいけない理由も特に──

「……あれ?」

 ふと、今朝と同じようなことを考えた途端、血の気が引くような感じがした。

 帰らなければいけない理由がないって、それはちょっと変じゃない? 私は突然こっちに飛ばされたんだから、何かしらやり残していることとかあるはずだし、それに……

「そうだ! 王宮の仕事が面倒くさくて不満なら、ワタシのお付きになるといいんだよ!」

 パン、とソーンが手を叩いた音で思考が途切れた。

「ワタシのお付きになればずうっとダラダラしていていいんだよ? 仕事なんかワタシに耳かきをするくらいで充分さ」

「おい、何を勝手に……!」

「どうだい、ヒカリ君? 毎日掃除や洗濯をするなんて面倒くさいだろう?」

「い、いえ私……家事は好きでやっている方ですし……」

「それに、ここに住めば本だって読み放題なんだよ。島で一番楽しい場所だと思うんだよ」

「この世界の文字は読めないんです」

「ならワタシが一つ一つ教えてあげるんだよ。キミが望むなら読み聞かせだってしてあげてもいい」

 ソーンはぐいぐいと詰め寄ってくる。……やけに押しが強いけど、何のつもり?

「あの、ソーン様」

「そんなつれない呼び方も止めるんだよ。もっと友好的に接しよう、ワタシはキミのことが気に入ったんだよ」

「え、ええっと……じゃあ、ソーンちゃん?」

「いいね、それが良い……。ワタシがそんな風に呼ばれるのは初めてなんだよ。キミとの出会いには運命を感じるんだよ……」

 いつの間にかソーンは、まるでコアラのように私に抱き着いていた。

 なんだかすごく距離が近いんだけど……。

「せいっ」

 そう思ったのも束の間、すぐに女王様によって引っぺがされてしまった。

「こやつは儂のものじゃ。お主になどくれてやらん」

「おやおや、ヒトを物扱いだなんて酷いんだよ。それに、ワタシはヒカリ君に聞いているんだよ?」

 ソーンがこちらウインクを送ってくる。「悪くない条件だろう?」と言ったのも聞こえた。

 確かにこの世界の文字を教えてくれるのは有り難いし、これだけ本があるなら退屈しなさそうだ。けれど、

「止めておきます。私、女王様に拾ってもらった恩があるし、王宮で暮らすのも楽しいので」

「ヒカリ──」

「……むぅ、フラれちゃったんだよ」

 なんだかんだ今の暮らしが一番性に合っている。これを変えたいとは思っていない。

 図書館にはまた、遊びに来るとしよう。


    ☆


「それでは、用も済んだし帰るとするかの……そらっ!」

 話がひと段落した後、女王様がぱちんと指を鳴らした。

 ただの合図か何かと思ったら、それに対してソーンが急に慌てふためいた。

「あ、ああーっ!? キミ、なんてことをしてくれるんだい!?」

 それに反応して、今まで此方のことを見向きもしなかったパラヴィーナが駆け寄ってきた。

「女王様、それにソーン様! こんなところにおられたのですね!」

「うむ。話は終わった、そろそろ帰るとしよう。後の始末は文官たちに任せるぞ」

「分かったのです!」

 そうか、今の指パッチンで霧の幻術を解いたというわけだ。

「あれ? でもそうすると……」

「ここに文官長が来ちゃうんだよ~! このままじゃめちゃめちゃに怒られちゃうんだよ~! 助けてほしいんだよ~!」

「自業自得だ、怠け者め」

 女王様は泣きつくソーンを振り払い、私の手を引っぱって部屋の外に出た。

 そこに入れ違いでやってきた、眼鏡をかけたドラゴン娘。恐らく、彼女が文官長なのだろう。一瞬だったが、とても険しい表情をしているのが見えた。

 そして彼女が部屋に入ると同時に……中からはソーンの悲鳴が響いてきた。

 そりゃあ怒られるよね。うん。

「ふん、いい気味じゃ」

 その声を聞いて、女王様はとてもいい笑顔をしていた。

「あやつの前にヒカリを連れて来るのは嫌だったのじゃが……まぁ、結果として良しとしよう」

「あ、女王様。ソーンちゃんのことを危険だって言っていたのって、もしかして……」

 私を引き抜かれるかもしれなかったから、ってことだったり?

「……ふん。儂はそんな器の小さな王ではないわ」

 そう言って、女王様は早足で先行する。

 どんな表情をしているかは見えなかったが……今は見えずともなんとなく分かる。

「ふふっ、待って下さいよ、女王様~」

 こうして大図書館の訪問は無事に? 終わったのだった。

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