第六節 油断大敵!

「はぁ~~~疲れた。足が棒になっちゃったって感じ」

 その日の夜のこと。大図書館での用事を終えた私たちは、再び歩いて王宮へと戻って来た。

 普段の仕事でも身体を動かしてはいるけど、こんなに歩いたのは久しぶりな気がする。もう脚がくたくただ。

「ふぅ。ベッドがふかふかで気持ち良いなぁ~」

 夕飯も済ませ、お風呂にもゆっくり浸かって、寝る準備は万全。

 自室のベッドに大の字になって、寝る前のストレッチのような真似事をする。

 真似事というのは、もう眠気と疲れでろくに身体を動かせそうにないから。このまま直ぐにでも寝落ちてしまいそうだ。

 日本にいたころは、寝る前に携帯電話を弄っては中々寝付けなくなってしまっていたものの、こちらではそんなことがない。毎日すっと眠れて、朝は気持ち良く目覚められる。実に健康的だ。

 こちらで生活を続けていて、ゲームや動画なんかが恋しくなることは確かにある。ただ、こうして一切の電子機器から離れてみると、無くても別に良かったんだなぁという気持ちにもなってくる。

「そのせいなのかなぁ……」

 私の中には、何が何でも帰りたい、というような強い気持ちが湧くことがない。帰れなくても別に良いか……という気分がずっと続いているのだ。

 それは別に悪いことではない。むしろ、どうやっても帰りようがないこの状況でホームシックに罹ってしまったらと考えるとゾッとする。

 ただ、私には未練というか、残して来たものが本当に何も無いのか? と疑問にも思ってしまう。家族や友達、趣味や生きがいだってあったはずなのに。

 それらを置いて来ても平気でいられるのは、私という人間はそんなに薄情者だったのだろうか。

「未練って言ったらなんか、死んだみたいになっちゃうか」

 こうして歩いて、疲れて、お腹が減って、ご飯を食べて、眠ろうとしている。

 そんなここが死後の世界ってことはないだろう。今日だって色んなことがあったわけだし。

「……私が神の御使い、かぁ」

 ソーンの話によると、私は太陽の化身である『母様ははさま』の遣いなのだという。正直、今でも名前が偶然そうだっただけのだと思っているけれど……。

 もし本当にそうだったとしたら、そのうち『母様(ははさま)』が私の前に現れて御告げとかが下されるのだろうか?

 例えば「この世界を救うために戦いなさい」みたいな感じの。RPGにありがちなやつ。

「まぁ、そうなっても、耳かきくらいしか出来ないんだけど」

 私には大それたことをするような力も度胸もない。世界の命運に関わる出来事がどうのみたいな、ゲームの主人公にされるような御告げを下されても困る。

 この平和な島でそんなことが起こるとは思えないけど……。


 そういえば、今日も寝る前に女王様に耳かきをした。

 やっぱりソーンに使った梵天ぼんてんが気になっていたようで、仕上げに使ってあげたらとても喜んでくれた。相変わらず、素直ではなかったけど。

 そして例の如く、女王様は寝る前に私を部屋から追い出した。理由を聞いてみても答えてはくれない。

 どうして女王様はあそこまで寝ているところを見られるのを嫌がるのか? ちょっと気になってヴルカーンやプルートにも聞いてみたこともあったけれど、誰も理由を知らないという。

 ただ、就寝中の女王様の部屋に入るのは厳禁というルールがあって、みんなそれを守っているのだとか。破ったからといって何か罰せられるわけでもない、とも言っていたけれど。

 つまり人間の私だからダメってわけじゃなくて、同じドラゴンであってもみんなダメみたいなんだよね。そこまで頑なだと、何か特別な事情があるんじゃないかと思ってしまう。

 こうなると余計に気になっちゃうなぁ……。『鶴の恩返し』のお爺さんはこんな気分だったのかもしれない。

 ……瞼を閉じてそんなことを考えていると、いつの間にか眠ってしまっていた。



    ☆



「──やぁっと見つけたんだよ」

 暗闇の中、何かがもぞもぞと動く音で目が覚めた。

 日は昇っていない。眠ってから何時間経ったか分からないけど、まだ夜中であるのは間違いないはず。

 もぞもぞと動いているナニカは、私の──身体の上にいた。

「やぁ、ヒカリ君。さっきぶりなんだよ」

「……ソーンちゃん?」

「そうとも。キミのソーンちゃんがやって来たんだよ」

 暗いし瞼が重いせいでよく分からないが、そのねっとりとした声は、今日散々聞いたソーンのものだった。

 大図書館にいるはずの彼女はなぜか、馬乗りになるようにして私に跨っていた。

「……なんでぇ?」

「ワタシは聞き分けが悪くてねぇ。女王には跳ね除けられたけど、キミのことがどうしても欲しいんだよ。だから、ちょーっとだけ、貸してもらうんだよ」

「んー……?」

 ソーンが何かべらべらと喋っているが、上手く聞き取れない。

 というか、これは現実なのだろうか? 私はまだ夢を見ているのかもしれない。

「ああ、寝惚けたままで構わないんだよ。ワタシにとってその方が、都合が良いんだよ」

 跨ったソーンの顔が近付いてくる、気がする。

「さぁワタシの指先をよーく見て……これでキミはワタシの虜になるんだよ」

「指……?」

 眼前に差し出された人差し指を見つめる。


 ……。


 だが、別に、何も起こらない。

「なぁに、これ?」

「……まさか、なんともないのかい?」

「?」

「このワタシの魅了の幻術が……キミには通じないというのか! あっはっは、やはりキミは神の御使いに違いないんだよ!」

 人の身体の上で、ソーンが何やら高笑いをしている。随分とテンションが高い。

 うーん、何かよく分からないけど、もう寝かせてほしいなぁ……。まだ夜中なんだし……。

「さて、予定が狂ってしまったけれど──」

「もう、後でいいからー、寝ましょーっ」

「うひゃっ!?」

 乗っかっていたソーンを引き寄せて、抱き枕のようにして自分の横に寝かせる。

「はーい、ねーんねこー。おやすみなさーい……」

 そのまま、小さな子どもをあやすようにして、ソーンの頭を優しく撫でる。

 この辺からもう記憶がない。というか、そもそも全部曖昧で夢のようだった。

 もう眠くて眠くて……。

「う、うーん、こんなつもりじゃ……。まぁ、これはこれで……良いかもしれないんだよ……」

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