第七節 FIRST HOPE
「……ありゃ?」
真夜中。
月の光だけが部屋に差し込む静寂の中、私はふと目が覚めてしまった。
隣にいるソーンは気持ち良さそうに寝息を立てている。そのまた隣にいるヴルカーンたちも眠っているので、私一人が変な時間に目を覚ましたというわけだ。
流石に、まだ起きて活動するには早すぎる。目覚めたのは気のせいだったということにして、もう一度眠るために目を閉じた。
しかし、どういうわけか睡魔は襲って来てくれない。こうなると、困ったことになかなか眠れないものだ。
それでもどうにか眠ろうとするため、身じろぎをしたり寝返りを打ったりして、安眠できそうな姿勢を探す。
「あれ、女王様……?」
寝返りを打ったところ、ソーンとは逆側の、隣にいたはずの少女の姿がないことに気付いた。
静かに身体を起こして辺りを見渡すが、ベッドにいるのは私を含めてソーン、パラヴィーナ、ヴルカーン、プルート、ニエーバ……女王様だけがいない。
「……トイレかな?」
「ここにおるわ」
「わっ」
寝ている子たちを起こさないように気遣った小さな声が聞こえた先には、女王様のシルエットが見えた。
どうやら窓際にある椅子に座って、月を眺めているらしい。
返事をしなければと思ったが、私の声でみんなを起こしてしまうのも良くない。そっとベッドを降りて、静かに女王様の方へ近付く。
「……眠れないんですか?」
椅子に座って佇む女王様の傍で、内緒話をするかのようなトーンで話す。
「そういうわけでは……。いや、そうかもしれんな……」
暗くてあまりよく見えないけれど、女王様は困ったような顔をしている気がした。
何というか、自分で自分がよく分かっていないような感じ。いつも自信たっぷりに振る舞っている彼女にしては珍しい。
「女王様はいつも一人で寝ているんですよね?」
「そうじゃが」
「誰かと一緒に寝るのが嫌とか、そういうことなんですか?」
「嫌、というわけではないが……」
女王様は皆が寝ているベッドの方を見て、複雑そうな表情を浮かべる。
一人じゃないと落ち着いて眠れないのかと思っていたけれど、前に私が耳かきをしたときはそのまま寝落ちていた。
それ以降は女王様が寝る前に追い出されるようになってしまったから、寝顔を見たのはあの一回だけなのだけれど。
「あー、その、なんじゃ……」
何かを話したそうにしているが、どうにも歯切れが悪い。
どこから話したらいいのか迷っている、という感じの様子だ。
「ゆっくりで大丈夫ですよ。ちゃんと聞いていますから」
「む……」
こほん、と小さく咳払いをして、女王様はぽつぽつと喋り出した。
「眠っている時というのは、誰しも無防備なものじゃろう」
「え? まぁ、そうですね」
「儂はあれが嫌でな」
「ええ?」
無防備なのが嫌って、どういうこと?
「寝ている間に何か……悪戯されたことがある、とかですか?」
「そういうわけではない」
悪戯というか、王様だから暗殺されかけた……なんていうのは、この平和な島ではないことだろうけど。
そもそも、寝ている女王様に何かしようなんて子はいないように思う。
「儂はな、皆に対してそのように隙のある姿を見せたくないのじゃ」
「隙のある姿って、眠っている時のことですか?」
「その通り。女王がそのような不甲斐ない姿を晒すわけにはいかん」
そう語る女王様は、とても真剣な顔をしていた。冗談で言っているようには見えない。
「でも、誰だって眠っている時はそうなりますよ。不甲斐ないなんてことはないと思いますけど……」
「それでも、じゃ。儂は女王として、いつでも頼れる指導者でありたいのじゃ。王者が不甲斐ない姿を晒してしまえば、臣下は幻滅してしまうじゃろう」
「はぁ……」
なんとなくではあるが、言っている意味が分かってきた。
要するに、眠らない完全無欠の女王というものが彼女にとっての理想であり、それに近付くために、眠っているという事実を皆に見せないようにしているのだろう。
ただ、正直私にはちょっと理解が出来ない。別に女王様が寝顔を晒しても、誰も幻滅なんてしないはずだ。少なくとも、私が今まで接して来たドラゴンたちは皆そうだ。
「……まぁ、それが張る必要の無い意地だというのは儂自身も分かっておる」
私の反応を見て察したのか、女王様がため息交じりに話を続けた。
「じゃが昔からの習慣ゆえ、そうそう変えられないのじゃ。どうも、誰かの前で眠ることには、無意識に抵抗してしまうようでな」
「なるほど……。確かに、ずっと続けてきたことなら急にはやめられないですよね」
「今宵が良い機会じゃからと試してみたが、やはりどうにも寝付けん。あやつらが少し羨ましいわ」
そうして再び、ベッドの方に目をやった。
こちらは二人でひそひそと喋っているが、あちらは誰も起きる気配も無く熟睡している。
「パラヴィーナなんぞ、頭と足が逆になっておる。寝相が悪すぎるじゃろう……」
「パラちゃんらしいですねぇ」
「……仮に、儂がああなっていたらお主はどう思う?」
「ああって?」
「儂があのように枕に足を置いて、腹を出して寝ていたとしたら、じゃ」
「え? うーん、女王様って寝相悪いんだなぁ……ってくらいは思うかも」
実際はそんなことはないんだろうけど。一度添い寝したときは何ともなかったし。
「まぁ、そんなものじゃろう。きっとあやつらもその程度にしか思わんはずじゃ」
「そうですよ。女王様の寝相が悪くたって、幻滅する子なんていません」
「その通り。あやつらは善い子たちじゃ」
ベッドを見つめる女王様は、愛おしい子を見守るような目をしていた。
三千年を生きている彼女にとっては実際に、皆可愛い妹であり、娘であり、孫なのだろう。
「そんなあやつらのことを信じてやれていないようで、情けなくてのう……」
そう呟いて、女王様は自嘲するように苦笑いをした。
皆を信じて寝姿を晒すため、今夜、頑張って皆に囲まれて眠ろうとしてみた。けれど、女王としての威厳やプライドが邪魔をして、上手くいかなかった。
上手く出来ない女王など、彼女の理想である完璧な女王とは程遠い。そこにまた溝を感じて落ち込んでいるのだろう。
……ああ、やっぱりそうだ。
何時ぞやのこと。ヴルカーンたちと話をしていたときの違和感。
曰く、「女王様はいつも完璧で間違うことはない」なんて言われていたけれど……この子だってみんなと同じだ。こうやって悩むし、間違うし、苦心し続けている。
完璧な女王の下に絶対王政が為されているから、この島が成り立っているんじゃない。
この島が平和に成り立っているのは、彼女がものすごく頑張ってきたからだ。ずっと、ずっと頑張り続けて、壊れないように大事に保っていたからだ。
でも──
「女王様は、頑張りすぎなんですよ」
「あん?」
「たまには力を抜いて休憩しないと、溜まった疲れが爆発しちゃうかもしれません」
「何の話じゃ……?」
この子は少し、頑張りすぎている。
皆と一緒に眠ろうとすることさえ、頑張って取り組もうとしていたのだから、なおさらだ。
「『
この世界と私の世界を繋げた、竜の女神様。
彼女は何をもって私を選び、ここに送り込んだのか。今、その意味がようやく分かった気がする。
「私がここに呼ばれたのは、きっとあなたを癒すためだったんだと思います」
「……どういう意味じゃ?」
「初めて会った日に私が寝かしつけた時は、独りじゃなくても眠れたでしょう?」
「あれは……!」
一瞬、女王様の顔が羞恥に染まるが、すぐに元通りになった。
そうだ。彼女は私の隣で眠れたんだ。頑張らなくても、眠れたんだ。それは恥ずかしいことなんかじゃないはずだ。
「……そう、かもしれんな」
二人の思考がシンクロする。女王様も同じことを考えていたようだ。
「きっと、『
「ヒカリ……」
「そう考えると、この名前も悪くなかったなぁって思えますね」
太陽の竜である『
最初に聞いた時は無理のあるこじつけだと思っていたけれど、今では不思議な縁すら感じている。
この世界に来て、この島に来て、女王様と会えて、本当に良かった。
私はここで、私のやるべきことを見つけられた。
「──というわけで、私が女王様を寝かしつけてあげましょう!」
私のやるべきこと、それはこの頑張り屋の女の子を癒してあげることだ。
そんなわけでベッドに戻るべく、小さな手を取って引っ張る。
「……ミール」
「え?」
手を取ったところで、ぽつりと女王様が呟いた。
「ミール。『
「ええっと……?」
「名前は大事じゃと言ったろう? 『ヒカリ』がそうであったように、な」
そう言って月明かりに照らされた彼女は、にこりと笑って見せた。
その笑顔からなんとなく……『ミール』という名が意味するもの、彼女が望んだ願いが伝わってきた。
「……さて、そうまで言うなら寝かしつけてもらうとするかのう?」
ぼーっと考えていたところ、握り返された小さな手に、凄い力でぐいと引っ張られる。
「そうじゃ、あの、胸をとんとん叩くやつをやっておくれ。あれはなかなかに心地が良かったからのう」
そういえば、初日にそんなこともしたような気がする。
「分かりました、女王様」
返事をすると、女王様はぴたっと足を止めて、私の方を振り返る。
「『女王様』ではない。きちんと名前で呼ばぬか」
「……ふふっ。畏まりました、ミール様」
「うむ。苦しゅうない」
窓の外では、月も笑っているように見えた──。
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