第二節 私の困りごと

「ソーン様がお風呂に入ってくれない?」

「そうなんだよー。それで、どうしたらいいのかなって悩んでるの」

 一日の終わり。私は戦士長ヴルカーンとメイド長プルートの相部屋に来ていた。

「ヴルちゃんはソーンちゃんがお風呂に入っているの、見たことある?」

「確かに、言われてみれば……。見た覚えがないのだ」

 薄い肌着を寝間着にして、健康的な褐色の肌を見せているこの子は火竜ファイアドラゴンのヴルカーン。

 その名の通りに燃えるような色の瞳に、炎のような色の髪型。ただ、熱血っぽい見た目に反して性格は結構落ち着いていて大人びている。変わり者揃いのドラゴンたちの中での良心的存在だ。

「プルートはどうなのだ? 君は風呂の点検や掃除をよくやっているだろう」

「うーん……? そういえば、そうねぇ……。わたしもお風呂場でソーンさまを見たこと、一度もないかも~?」

 そう言って、私の膝の上で寛いでいるのは泡竜バブルドラゴンのプルート。

 水色のエアリーボブの髪は、内側の色がシャボン玉のように千変万化せんぺんばんかして見えるという不思議な性質を備えている。それゆえにバブルなのだろうか。

 彼女はおっとりとした雰囲気に違わぬのんびり屋さんで──しばしばフリーズしてしまったかのような素振りで長考をしてしまうので、会話の際には気を付ける必要があったりする。

「それにしても、この……蒸しタオル? 気持ち良いわね~」

 その深い青色の瞳を覆い隠すように、プルートの目元には温められた蒸しタオルが乗せられていた。

「こうやって温めた布を乗せると、なんとなく目の疲れが取れていく感じがするでしょ?」

「ええ、本当だわ~」

 デスクワークなどで目が疲れた時にやっていたのを思い出したので、ここ数日、こちらの世界でも蒸しタオルを再現できないか試していたのだ。上手く出来たら女王様の日課のマッサージに加えてみるつもりで。

 今回は良い感じに出来たので、せっかくだから同僚の彼女たちにテストをお願いしてみたのである。

 反応からしてドラゴンにとっても心地が良い様子。これなら女王様も喜んでくれるだろう。

「ヒカリは色々なことを知っていて、すごいのだ」

「あんまり大したことじゃないんだけどね」

 耳かきしかり、この蒸しタオルだって別に私が思いついたことじゃない。最初に考えたのは別な人だ。

「それで、ソーンちゃんが何でお風呂に入ってくれないのか聞いてみたんだけどね」

 膝上で微睡み始めたプルートに軽くマッサージをしながら、話を元に戻す。

 蒸しタオルを試したかったのもあるけど、今日ここに来たのは悩みの相談の方がメインなので。

「なんて言っていたの~?」

「面倒くさいから嫌だー、の一点張りで。詳しくは分からなかったの」

「ソーン様はそういうお方なのだ」

「でも、あれはそれだけじゃないと思うんだよねぇー……」

 ソーンが大図書館からこちらに引っ越してきて、何度か交流する機会はあった。

 幸い、彼女は私のことを気に入ってくれている様子で、王宮での暮らしについてもきちんと私の言うことを守ってくれている。いつも「面倒くさい」と言いつつも、出来る範囲のことはやってくれるのだ。

 そんなわけで、短い付き合いではあるものの、彼女のことはなんとなく分かってきた。

 だからこそ、彼女のお風呂に対する嫌がり方は何か特別なものに感じたのだ。単に面倒くさい以上の理由があるように思える。

「二人とも、何か理由とか知っていたりしない?」

「聞いたことがないわねぇ~」

「ボクも知らないのだ」

「そっかぁ……」

 一応聞いてはみたけれど、やはり二人とも知らないようだ。

 まぁ、わざわざ誰かに話すような子じゃなさそうだもんね。

「そもそも、なぜソーン様が風呂に入らないことでヒカリが困っているのだ?」

「そうねぇ。洗浄魔法で綺麗にしているんでしょう?」

「それは……。そうなんだけど……」

 最初はソーンがずっとお風呂に入らないことに対して、不潔だと思っていたのでなんとかお風呂に入れようと考えていた。

 しかし、彼女は定期的にそういう魔法を使って身体の汚れを落としているらしい。

 実際、彼女に耳かきをすることなどは何度かあったが、近くにいても臭いや汚れが気になったことはない。むしろ、良い匂いがしたくらいだ。

 お風呂が汚れを落とすためだけのものならば、魔法で清潔を保っている彼女には必要がないのかもしれない。

「でも、せっかくあんなに良いお風呂があるのに、入らないのは勿体ないと思うんだよね」

 この王宮には整備の行き届いた大浴場が用意されている。ここで暮らしてから毎日入っているが、本当に、とても良いお風呂なのだ。

 ドラゴンはもともと水浴びをするくらいで、入浴という習慣はないらしい。曰く、女王様が綺麗好きだから王宮に造られたんだとか。

 これには正直とても助かっている。こんなファンタジーな世界で毎日お風呂に入れるなんて思いもしていなかった。

「うーん、わたしもお風呂は好きだけれど……。誰かに強制されることじゃないわよね~?」

「それは分かってはいるんだけどぉ……」

 これは私のエゴ。単なる押し付けだ。

 お風呂に入らないことで誰かに迷惑を掛けているわけでもないのに、無理強いされる謂れはないだろう。

「……それでも、せっかく王宮に引っ越してくれたんだから、一回くらいは入ってもらいたいんだ」

 良いものを分かち合いたい。食わず嫌いなら、一度試してもらいたい。

「こんなに良い王宮に住んでいるんだってこと、知ってもらいたいし」

 私はこの王宮でとても良い暮らしをさせてもらってきた。それを、ソーンにも伝えたいのかもしれない。

「それは素敵な考えだけれど……。ソーンさまはまともに取り合ってくれないでしょう~?」

「うん。お風呂の話をしようとすると逃げられちゃうんだよねぇ……」

 今日も夕飯の後に誘ってみようと思ったものの、どこかに隠れてしまったのか見つけることすら出来なかった。

「ソーン様はボクたちやパラヴィーナ様よりも格上。普通に探しても見つかるわけがないのだ」

「困ったわね~……」

 最近はもう、お風呂の時間になると先手を打って逃げられるのでどうしようもなくなっている。

 彼女の得意技である霧の幻術を使われたら、私にはどうやっても見つけようがない。

 ヴルカーンやプルートでも無理なようだし……

「……あっ!」

 そうだ。一人だけ、あのソーンを捕まえられる子がいるんだった。

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