第七節 今日も一日お疲れ様でした

「……なんてことがありまして。侍従長に宣戦布告をされちゃったんです」

「ふぅむ。パラヴィーナがそんなことをのう……」

 色々あったその日の夜のこと。

 『仕事』を終えて帰ってきた女王様に命じられて、私は彼女の寝室に招かれていた。

「っと、痛かったりしないですか?」

「平気じゃ。そのまま続けてよいぞ」

「はーい」

 今日の出来事を報告しろとのことだったけれど、せっかくだからお疲れであろう女王様にマッサージを提案してみた。これなら話をしながらでも出来るし。

 そういうわけで今は、ベッドにうつ伏せになっている女王様の足や太ももをじっくりと揉み解(ほぐ)している。

「最初はくすぐったかったが、慣れてみればなかなか心地が良いものじゃのう」

「ドラゴンってあんまりこういうことはやらないんですか?」

「んー、背中が痒いときに手を借りるくらいじゃな」

「あはは、それは人間もやりますねー」

 女王様の肌は見た目通りぷにぷにのすべすべで、こうして揉んでみてもあまり凝っている感じはしない。

 それでもマッサージされるのは気持ちが良い様子。機嫌良さそうに尻尾をぱたぱたと左右に揺らしているのは、失礼ながら実家で飼っている犬を思い出してしまう。

 三千歳を超えているって話だし、こう見えて実は結構凝っていたりするのかな? 整体師とかじゃないから詳しくは分からないんだけど。

 何であれ、耳かきと同様に気に入って貰えたのなら嬉しい。

「して、お主はどうするのじゃ?」

「どうって?」

「宣戦布告の件よ。聞く限り、あれが一方的に宣言しただけのようじゃが」

「そうですねぇ……。できれば決闘なんてしたくないんですけれど……」

「儂が言って取り下げさせてやってもよいぞ?」

 恐らく、そうしてもらうのが一番手っ取り早いだろう。『女王様の右腕』という立場に拘っていたパラヴィーナが、女王様に直接言われてなお食い下がるとは考えにくい。

 ……けれど、それで彼女は納得できるのだろうか。

「いえ、一応勝負は受けてみようと思います」

「? 何故じゃ?」

「これから一緒に働くことになる仲間ですし、彼女のことを知る良い機会だとも思うので」

 本当は決闘なんかじゃなくて、普通に話し合いとかで仲を深めたかったけど。

 でも、これが彼女なりのコミュニケーションの手段だというのなら、まずはこちらから歩み寄ってみないことには始まらないと思う。

「……なるほどのう。そういうことであれば、儂から口出しはせん」

 うつ伏せで表情は見えないが、女王様はクスリと笑った気がした。

「そういえば、お主。秘書の務めについて悩んでおったな?」

 そう言うと、女王様はくるりと寝返りを打って仰向けになり、そのまま立ち上がった。

 確かに、秘書が具体的にどんな仕事をするのかよく分からないとは言ったけれど、それがどうしたのだろう?

 ベッドの上に立った女王様は、私に顔を近付けて自信ありげな表情を見せた。

「お主の『価値』をあやつに分からせてやること。これを秘書としての最初の務めとしようではないか」

「えーっと……。な、なるべく頑張ってみます……?」

 私が悩んでいたのは普段する仕事についてのことなんだけど……。

 ただ、『良いアイデアが浮かんだ』って感じの顔をしている女王様に、余計なことを言うのは野暮かもしれない。

 人間関係──ならぬ、ドラゴン関係を良くするのも立派な仕事だろう。うん、頑張ろう。

「まぁ、あやつは自分がお主より上だと示したいだけじゃろう。本気でお主を排斥するつもりはなかろうて」

「そうなんですかね?」

「うむ。仮に決闘に敗れたとて、王宮から追い出したりはさせんから安心せい」

「それはとっても有難いです」

 今日一日で王宮の過ごしやすさを知ってしまった以上、ここから追い出されてしまうのは非常に辛い。

 失敗しても大丈夫ってことなら、思いっきり向き合ってくるとしよう。

「で、今日は耳かきはせんのか?」

 一通りの話を終えると、女王様は私の膝を枕にして、ごろんと寝転がってきた。

 耳かきを気に入ってくれたのは嬉しい。ただ──

「すみません。耳かきは毎日やると耳が傷ついてしまうので、今日はやめておきましょう」

「む、そうなのか……。ならば仕方ないのう……」

 目に見えてしゅんと落ち込む女王様。なんだか悪いことをしたみたいで胸が痛む……。

 けれど別に意地悪のつもりで言っているのではない。実際、耳かきを毎日やっていたせいで耳鼻科のお世話になるケースがあるからなのだ。

 頑丈なドラゴンなら平気なのかもしれないけど、万が一もあり得るのでやっぱり今日は控えておきたい。

 でもでも、この女王様の落ち込みようを見ていると、何かやってあげたくなってしまうのも人情というもので……。

 ……そうだ。あれなんてどうだろう?

「では、代わりに『指かき』をしてみませんか?」

「『指かき』? 爪の手入れでもするのか?」

 女王様は自分の手をぐーぱー開いてみせた。

 耳かきが耳の手入れなら、指かきは指の手入れ、って考えになるのは当然だろうけど……ちょっと違う。

「いえいえ、指かきは耳かきの仲間みたいなものです。使うのは女王様の指じゃなくて、私の指」

 そう言って、寝転がった女王様の耳に優しく手を触れる。それに対して一瞬驚かれはしたものの、抵抗することなく身を委ねてくれた。

 触れた指で両耳をぐにぐにと揉んでみたり、内側をなぞるように擦ってみたり、裏側を押して刺激してみたり……。

 『指かき』とはつまり、指でする耳のマッサージだ。私が勝手に付けた名前なので、正しい名称は何て言うのかは知らないけど。

「おぉ……」

 指かきに対して、女王様は目を閉じてリラックスしている様子。よしよし、これも気に入ってくれそうだ。

「綿棒と違って耳の奥までは入らないですけど、これも気持ち良いでしょう?」

「確かに。耳かきとはまた違った心地良さじゃ。面白いのう」

 そうしてしばらくの間、指かきによるマッサージを続けた。

 触り続けているうちに段々と女王様の顔が温かくなってくるのを感じる。

 ……ああ、もしかして眠いのだろうか?

 妹もこんな風に身体が段々と温まって、そのまま眠ってしまっていたことがよくあった。そう思うと、またもや女王様と幼い頃の妹の姿が重なって見えてきた。

「んふぅ……。そろそろ、終わりにするか……」

 ふと、女王様が小さく呟いた。

 言葉に反して瞼は完全に垂れ下がってしまっており、目を開けるのも億劫なように見える。

「このまま寝ちゃってもいいんですよ?」

「……! いや、終わりじゃ。お主は部屋に帰れ」

 突如、女王様は目をぱっちりと開き、微睡みを振り払ってそう言い放つ。

 それと同時に機敏な動きで起き上がり、ベッドから飛び降りていた。

「えぇ? ちょ、ちょっと──」

「ご苦労であった。明日に備えてゆっくり休むがよい」

 そして、有無を言わさぬ勢いでぐいぐいと私の手を引っ張っていく。

 遂にはそのまま部屋の外へ放り出され、閉めた扉には鍵まで掛けられてしまった。

「……お、おやすみなさい?」

「うむ。おやすみ」

 急な態度の豹変っぷりから何か怒らせてしまったのかと思ったが、扉越しに聞こえた声から怒りは感じない。

 何だか釈然としないが、このまま廊下に突っ立っていても仕方がない。用意してもらった自分の部屋に帰るとしよう。


    ☆


「ふぅ、今日も疲れたなぁ」

 そうして戻って来た自分の部屋。ヴルカーンとプルートの部屋の近くに用意してもらった一室だ。

 もともと誰かが使っていた部屋をそのままにしていたらしく、最低限の掃除を済ませただけで充分使えるようになっている。

 洗濯済みの綺麗なシーツが敷かれたふかふかのベッドに飛び込み、疲れた身体を大きく伸ばす。私が伸びをしても平気なサイズのベッドで助かった。

「こんなに歩いたの、久しぶりだな~」

 王宮見学で歩き回った今日はとても濃厚な一日で、今はもう足がくたくただった。これならすぐにでも寝付けることだろう。

「それにしても、女王様はなんであんなに寝ているところを見られるのを嫌がるんだろう……?」

 初日に隣で寝ちゃった時もすごく怒っていたし、寝顔を見られるのがよっぽど嫌みたいだ。

 別に、いびきが酷いとか寝言が凄いとか、恥ずかしがるようなことはなかったと思うのになぁ……。

 さっきの様子を見る限り、何か別な理由がありそうだ。

「……まぁ、それより明日のことを考えなくちゃなんだけど」

 明日は侍従長であるパラヴィーナと決闘をしなければならない。

 内容は考えておけと言われたものの、今になっても何も思いついていない。

 何をしたらいいかなぁ、などとぼんやり考えながら……私の意識は夢の世界へと沈んでいった。

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