第四節 びばのん、びばのんのん
「えーっと、何でこんな大所帯になったんだっけ……?」
ソーンをお風呂に入れるためにやって来た脱衣所。何故か私はよく見知ったドラゴンたちに囲まれていた。
女王様はソーンを逃がさないために一緒に入ってもらおうとお願いをしたのだけれど、パラヴィーナにヴルカーン、プルートにニエーバまで居るのはどうしてだろうか。
おかしい。普段はみんな入浴する時間帯がバラバラなので、こんな一堂に会することはないはずだ。
「話は聞かせてもらったですよ! ヒカリだけ女王様とソーン様と一緒にお風呂に入るだなんて、ずるいのです!」
ぷんぷんと膨れっ面をしているのはパラヴィーナ。
お風呂に入るのでいつもの二つ結びを解いているけれど、髪の色は線対称できっちり分かれている。どうなっているんだろう、それ……。
「別に羨ましがられるようなことじゃないと思うんだけどなぁ」
「お主、なんじゃその言い草は」
「えっ?」
「儂と共に風呂に入れるのが嬉しくないと言いたいのか?」
「いや、そういう意味じゃなくてですね……」
「ふんっ」
私の発言が気に喰わなかったのか、女王様まで膨れっ面になってしまった。「羨ましがられることじゃない」っていうのはソーンをお風呂に入れることの方に対してのつもりだったんだけど……。
誤解を解こうにも聞く耳を持ってもらえず、微妙な空気が流れ始めてしまう。
「あー、ボクとプルートは大体いつもこの時間に入っているのだ。みんなと一緒になったのは偶然なのだ」
そんな空気を見かねたヴルカーンが助け船を出してくれた。ありがとう、流石ドラゴンの良心……!
「ソーンさまを連れているヒカリちゃんを見てね~。上手くいったみたいで良かったわ~」
「そうそう、女王様が協力してくれたの。ねっ、女王様?」
「……まぁ、のう。風呂にも入らん不潔なやつが儂の縄張りを闊歩するのは許せんからな」
「だからぁ、ワタシはちゃんと魔法で綺麗にしているから清潔なんだよ……」
件のソーンは脱衣所の隅っこで丸くなっていた。
そして入浴する前から、疲れ切った様子でため息を吐いている。水嫌いっていうのは嘘ではないらしい。
「それで、せっかくだからソーンさまがお風呂を堪能しているところを見てみたいと思って~。みんなも誘ったのよね~?」
「そんなことを娯楽にしないでほしいんだよ……」
「いやいや、娯楽にするつもりで来たわけじゃないのだ。ボクたちのことは気にしないでほしいのだ」
「ちなみに私様はめちゃめちゃ娯楽にするつもりで来ました。いぇい」
「ニエーバ君はそういうやつなんだよ……」
その後もやいのやいのと思い思いに話を続けるドラゴンたち。そうしているうちにパラヴィーナと女王様の機嫌も直っていた。
ただ、喋ってばかりではいつまで経っても進まない。途中でなんとか話を切り上げて、皆を押し込むようにして大浴場の中へと入ることにした。
☆
竜の王宮の大浴場は、まさに『大』と言えるほど敷地が広いのが特徴だ。
そのほとんどは露天の湯船になっている。屋根付きのお風呂も一応あるが、そちらは雨が降っているときくらいにしか使われない。こちらでは露天風呂が一般的なのだろう。
これだけ広いにも関わらず掃除がきちんと行き届いていているのは、メイドの仕事の賜物だろう。どこぞの温泉旅館などとも見劣りはしない。
「それじゃあ、お風呂に入る前に髪を洗っちゃいましょ!」
「うぅ……。水に囲まれていて、落ち着かないんだよ……」
湯船に入る前に髪や身体を洗うべく、ソーンを洗い場の椅子に座らせる。その背中は縮こまっているせいか、余計に小さく見えた。
洗い場には流石にシャワーなどは無いものの、木桶で楽にお湯を汲むことができる仕組みが用意されている。更には椅子の前に大きな鏡もあるので、こちらからもソーンの顔を見ることができた。これなら反応を見ながら洗髪をすることができる。
「まずは髪を濡らさないとだから、ちょっとずつお湯をかけていくね」
「ゆっ、ゆ、ゆっくり! ゆっくり頼むんだよ……!」
「はいはい。いきなりかけたりしないから」
木桶に汲んだお湯を両手で掬い取って、少しずつソーンの髪にかけていく。
正直この毛量に対しては効率が悪すぎるやり方だけど……まずは緊張を解いてあげるのが大事だろう。
少しずつお湯を流しては、頭を優しく揉んでマッサージ。髪を洗うというより、頭皮を洗った方が泡立ちも良くなって綺麗になるとか聞いた覚えがある。
「どう? まだ怖い?」
「これくらいなら、まぁ……。平気なんだよ」
頭皮のマッサージが心地良いのか、段々と緊張が解れてきたように見える。
そうしてお湯の量を少しずつ増やしていって、時間はかかったものの髪の毛全体をお湯で流すことに成功した。
「……じゃ、髪を洗っていくね」
「う、うん。お手柔らかに頼むんだよ」
次はいよいよシャンプーだ。こんなに長いロングヘアを洗ったことは無いけれど、基本はみんな同じのはず。私が緊張していたらソーンにも伝わっちゃうだろうし、堂々とやっていこう。
シャンプー剤を手のひらにちょっと出して、軽く泡立てる。一気に大量に使うのではなく、こうやって少しずつ足していくのが大事だ。
「泡が入ったら痛いから、目は瞑っていてね?」
「りょ、了解したんだよ」
ソーンの目が閉じると共に、身体はまた少し強張った。その緊張を解いてあげるように、泡を使って頭皮をマッサージする。
ゴシゴシと擦るのではなく、揉み込むように優しく洗う。引っ掻くのではなく指の腹で撫でるように。
……それにしても、石鹸とかではなくシャンプーやボディソープまであるなんて驚きだ。髪を洗う文化って比較的新しい時代のことだと思っていたんだけど……。
聞いた話では
何はともあれ、こうしてシャンプーが出来るのはとてもありがたいことだ。お陰で毎日髪がサラサラだし。
「痒いところはございませんかー?」
こうやって人の髪を洗っていると何だか言いたくなってくる、例の台詞。
ただ、ソーンからの返事はない。鏡の方に目を向けると、きゅっと口を一文字に結んでいるのが見えた。口を開いて泡が入るのも嫌なのだろう。
幸い、シャンプー自体を嫌がっている様子ではない。とはいえあんまり長引かせるのも可哀想なので、手早く済ませてあげるとしよう。
雑にならないように気を付けつつ、スピードを上げて頭皮と髪の毛全体を泡で包み込む。毛量がすごいから泡もすごいことになっているなぁ。
「よしっ! それじゃ、流しちゃうからねー」
木桶に掬ったお湯をゆっくりと頭から流して、泡を洗い流す。
一杯じゃ全く流れ切らないので、二杯、三杯と続けて流していく。この泡の量じゃ仕方ないよね。
「オッケー。もう目を開けて良いよ」
「……ふうっ!」
泡を流しきった後、ソーンは犬猫のようにぶるぶるっと震えて髪の水分を飛ばした。
口を閉じるだけでなく息も止めてしまっていたようで、大きく深呼吸を繰り返している。
「お疲れ様、次は背中を洗っていくよ」
「ま、まだやるのかい? ワタシはもう疲れ切ってしまったんだよ……」
「次は顔にかからないから平気だって。ほら、前向いて」
「むぅ……」
今度はボディソープを泡立てて、ソーンの背中を洗っていく。
この赤ちゃんのようなぷるぷるの肌にタオルなどを使って擦るのはなんだか気が引けて、自分の手を使って撫で洗いしていった。ドラゴンなのは分かっているんだけどね。
毛量のせいで洗うのが大変だった髪に比べて、小さな背中は楽に泡で包み込むことができた。
背中はこのくらいで充分。そして、残っているのは人間には無い
「翼とか尻尾って、洗うと痛かったりするの?」
「ん、平気なんだよ。ソレは魔力の塊みたいなものだから、痛覚は通っていないんだよ」
「そっか、じゃあ洗っちゃうね」
ドラゴンにとって翼や尻尾はなんとなくデリケートゾーンみたいなものだと思っていたので、あんまり触れないようにしていた。話題にも出さなかったので、魔力の塊だというのは今初めて知ったけど。
触られるのを嫌がっているわけでもないし、せっかくだから洗ってしまおう。
まずは翼をゴシゴシと擦って洗う。痛覚が無いというのは本当のようで、結構強めに擦っても反応は変わっていなかった。
「厳つい見た目に反して意外と柔らかいんだねぇ」
「尖っているところもあるから、怪我をしないように気を付けるんだよ」
「はーい」
言われた通り、翼の先端なんかは素手で触るとちょっと切れたりしそうだ。そんなわけでここからはタオルも使って洗うことにする。
なんかこう、翼や尻尾を洗っていると動物園の飼育員になったような気分だなぁ。
そこそこの時間をかけて翼や尻尾を洗ってはみたものの、ソーンは特に何の反応を示さなかった。痛覚が通ってないって話だったし、洗われても大して気持ち良くないのかもしれない。
「お、おお、そこ……。そこ、中々気持ちが良いんだよ」
「ここ?」
終わろうとしたところで、翼や尻尾の付け根の部分を擦った時のこと。急にソーンが反応を示した。
言われた通りにその部分を、洗うというよりはマッサージをするように押し込んだり揉み込んだりしてみる。
「あぁ~。良い、良いね。上手なんだよ~」
「ここが凝ったりするのかな」
「ん~、そうかもしれないんだよ~。いわば魔力の支点のようなところだからねぇ~」
そう言って蕩けたような声を漏らすソーン。いつの間にかお風呂というか、水に対する恐怖はすっかり忘れてしまったらしい。
それなら都合が良いと考え、しばらくの間付け根のマッサージを続けることにした。
☆
そんなこんなで背中も流し終えて、ソーンの丸洗いは無事に終了。
思った以上に時間がかかって大変だったけれど、達成感は大きい。あとはお風呂に入れてあげるだけだ。
「それじゃあ私も軽く洗うから、そしたら一緒に湯船に……」
「待て」
自分も身体を洗うべく、椅子を取り出して座ろうとしたところ、横から現れた何者かが先にその椅子を占領してしまった。
「儂のことも洗え」
「じょ、女王様?」
椅子に座った女王様は、とても不機嫌そうにそう言った。
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