41話 報告タイム

「おかえり~夜空! さあさあこっちにおいでなさいな」


 詠と別れて家路についた俺を、ニッコニコの笑顔を浮かべた姉さんが迎え入れた。

 いつもなら土曜日の夜なんて、ほぼ一〇〇パーセント外出しているくせに、今日に限ってバッチリ在宅しているのが本当にこざかしい。


「ちょ、まって……! まだ靴も脱いでないから……! 痛い、イタタタッ」


 俺は姉さんに腕を引っ張られて、ほとんど無理やりにテーブルに着席させられる。

 テーブルのうえにはロングサイズの缶ビール六本セットが鎮座ちんざましましていらっしゃり、俺の対面といめんに座った姉さんは、おもむろにそのうちの一本に手を伸ばした。


「とりあえず、夜空の初デートにカンパーイ」

「いや、乾杯っていうけど、俺、飲み物もなにも持ってないんですけど」

「カンパーイ! ウェーイ!」


 俺の抗議の声などまるで気にせず、プシュッっとタブを開けて、そのままグビグビ飲み干す姉さん。


「ぷはーっ! 美味しー!」


 まるで一仕事終えたサラリーマンかのように、満足げに息をついてから、姉さんは俺の方に向き直る。

 

「さあて、じゃあ聞かせてもらおうかしら?  ヨミちゃんとの初デートの一部始終を」

「いや、そんな話すことは特に何も……フツーにショッピングモールにいって、ブックカフェでゆっくりして、そのあとフツーに買い物して……」

「はい、先生。フツーってなんですか。ボクわかりません」

「いや、普通は普通だよ……」

「ええい、フツーとヤバいで会話の八割をまかなおうとする現代っ子め」


 不満げな様子で口をとんがらせる姉さん。


「そういえばアンタなんか紙袋もってたわね」


 ふとそんなことを言い出した。そして体を折り曲げてテーブルの下を覗き込む。


「あっ……それは……」

「さては二人の愛のスーベニアね」

 

 まずい……まさか紙袋それについて言及されるとは思ってなかった。

 俺はあわてて足元に置いていた紙袋を姉さんの魔の手から引き離そうとするが、それよりも早く、姉さんの手が蛇のように這い寄り、ガシッと掴んだ。


「みーせて。いーいよ」

「ちょ、返せ!」

「まあまあ、ちょっと中を見るくらい、減るもんじゃないし、よいではないか」


 姉さんはひょいっと紙袋を持ち上げる。俺はそれを取り返すために必死になって手を伸ばすが、姉さんはそれをひょひょいっとかわしながら、中身を取り出した。


「えーと、まずは本……タイトルは、なになに『銀河鉄道の夜』? フランス書院文庫しか読まないアンタが一体どういう風の吹き回し?」

「読んでねえ! ……ハア。別にいいだろ、たまにはそんな本を読んでも」

「ふーん。じゃあこのちっちゃい置物は? ネコ?」

「箸置きだよ」

「おそろい!?」


 姉さんの声のボリュームが一段と大きくなった。

 やかましいわ。

 

「いや、まあ。結果的にはそうなるんだけど。別に深い意味はなくて、詠が飼ってる猫と似てたから一緒に買ったんだ」

「ヨミ?」

「あ、いや……優木坂さんが……」


 しまった。さっきから意識して詠のことを下の名前で呼ぶようにしていたから、そのまま口から出てしまった。

 そして当然そのミスを、姉さんは逃さない。


「あらあらまあまあ、ヨミちゃんのこと呼び捨てにしてるんじゃないの~この子ったらもう~」


 グビグビグビグビ――

 ノドを鳴らしながらビールをかっ喰らう姉さん。


「あー美味しい」

 

 クソッ……今のは完全に失言だ。俺としたことが。


「とうとう、ヨミちゃんと付き合うことになったのね?」

「いやいや、なんでそうなるのさ。ただ、お互いに今後は名前で呼ぼうってなっただけで」

「なにそのムダに小刻みなステップのあげ方! とっとと付き合えばいいのに。わけがわからないよ」


 姉さんは両腕を胸の前で交差させて、自分の体を抱きしめるように悶える。


「でもそんなところが青春。尊い。尊みに過ぎる。はあはあ、はあはあ」

 

 く、また暴走が始まった。うぜぇ。


「だからなんで付き合うって話に――」



「だって、夜空はヨミちゃんのことが好きなんでしょ?」




 抗議の声を上げかけた俺に対して、姉さんはド直球な言葉を投げかけた。


 俺が、詠を?

 はっ、何をバカな。

 そんなことは。どこからでた発想だ。

 

 このままじゃ、姉さんの暴走はエスカレートしていく一方だ。はやく否定をしなければ。

 

「――ぁッ」


 だけど、すぐに言葉がでなかった。

 なんで? 以前の俺だったら、考える間も無く反射的に、否定の声を上げていただろう。

 

 俺と詠はただの友達だって。


『夜空くん』

 

 ふと、俺の名前を呼ぶ、詠の声が耳の奥に響いた。


 耳をふさぐ代わりに、思わずギュッと目をつむると、今度は詠の笑顔が暗闇に浮かぶ。


 不思議な息苦しさを感じて、水泳の息継ぎみたいに呼吸を求める。

 すると、詠から薫る、ほのかな石鹸の香りが鼻先をくすぐるような錯覚を抱いた。


 俺の記憶のあちこちにちらばる詠のカケラ。

 そのすべてが、俺の心をギュッと握りしめる。


 不思議なが、俺の全身を駆け巡る。

 それがなんなのかは分からないけど、今、俺は確かに感じている。

 

 俺は訳も分からずに顔をうつむかせて、その波が過ぎるのをじっと待つしかなかった。


「夜空」


 不意に、姉さんの声がしたので、おずおずと顔を上げる。

 姉さんは優しいほほえみを浮かべていた。


「よかったね」

「……なにが」

「なんでもないわよ」


 姉さんがそんな、を浮かべたのは、ほんの一瞬。

 またすぐに悪魔のような笑顔になり、「さーて、後はなにが入ってるのかなー」と紙袋の内容チェックに戻っていった。


「あら、これは……」


 そして姉さんは、俺が購入した水着を取り出す。四つ折りに折りたたまれていたそれを無造作に開いて、端っこに結ばれていた商品タグの内容にしげしげと目を通した。


「水着?」

「いや、これは……その……成り行きで」


 俺の言葉を聞いた姉さんの口角が、みるみるうちに吊り上がる。


「どういう経緯で水着の購入に至ったのかなぁ? 先生怒らないから正直に話してごらん?」


 ああ、今日は長い夜になりそうだ。

 詠。キミは俺と違って、きっと穏やかな夜を過ごしてるんだろうな。


 俺は機関銃のように放たれる姉さんの追及を浴びながら、そんなことをボンヤリと思った。

 

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