60話 傷つける

 結局俺は、そのまま逃げ出すような形で、カラオケ屋を後にした。

 帰り道、俺は一人でトボトボ歩いて家路につく。


 現在時刻は八時前。駅前通りには、まだ沢山の人が行き交う。

 道ゆく人並みを、楽しそうに笑いあっている人達の姿を見ていると、自分だけ世界に取り残されたような、虚しい気分になった。


 自宅のマンションに到着すると、珍しく姉さんが家にいたようで、リビングで俺を出迎えてくれた。


「おかえり夜空~。今日も詠ちゃんとデート?」


 当然ながらこちらの事情など知らない姉さん。

 リビングテーブルに座り、いつものようにビール片手に晩酌ばんしゃくをしながら、能天気な口調でそんなことを聞いてくる。

 姉さんは何一つ悪くないのだけど、今はそのテンションに付き合う心のゆとりが俺にはなかった。


「別に」


 そう短く答えて、奥の自分の部屋に向かうため、姉さんの横を通り過ぎようとした。


「ちょっと、夜空」


 背後から姉さんの呼び止める声が聞こえる。


「……何?」


 俺は振り返らずに、ぶっきらぼうに返事をした。


「なにか、あったの?」


 姉さんの声色こわいろが低くなる。


「別に、何もないよ」

「嘘ね、いつも以上に表情筋が死んでる」

「その言い振りだと、いつも死んでるのか、俺の表情筋は」

「何かあったんでしょ。話し、聞くよ?」

「別に、大丈夫だって。ちょっと疲れただけだから。気にしないで」

「……」


 姉さんはそれ以上何も言わなかった。

 俺は、自分の部屋に入り扉を閉めると、そのままベッドの上にうつ伏せで倒れ込んだ。


 ふと、ズボンのポケットに突っ込んでいたスマホを取り出し、首だけを横に向けて、画面を見やる。

 

 メッセージが届いていた。


詠:(夜空くん。大丈夫?)

詠:(もし、余裕があったらLINKでも電話でも、なんでもいいから連絡ください)

詠:(私は何があっても)

詠:(絶対、夜空くんの味方だから)


 その言葉を見て、胸の奥が締め付けられるように痛くなった。

 詠に対して申し訳なく思う気持ちと、どうしようもない自己嫌悪におちいる。


 LINKの機能上、一度メッセージ画面を開いてしまったら、相手に既読したことは伝わってしまう。

 だけど、今の俺に、彼女のメッセージに返信をする気力は残っていなかった。


 瞳を閉じた。

 このまま眠りにつけたらいくばくかは気が楽だったに違いない。

 だけど、まるでタチの悪い風邪を引いて高熱を出しているときみたいに、身体は倦怠感けんたいかんで重たい一方で、意識だけは妙に冴えていた。


 時計の秒針がカチカチと時を刻む音だけが室内に響く。

 静寂に包まれているはずなのに、どこか耳鳴りがうるさく感じられた。


 そのままどれくらいの時間が経っただろう。

 部屋の静寂を破るように、スマホの振動音が響いた。


 まぶたを薄く開けて確認すると、相手は詠だった。

 出るべきか迷って。一度はそのまま見送った。

 だけど、少しだけ間が空いて、再びスマホが震える。


 このまま出なければ彼女を傷つけることになると思って、通話ボタンを押した。


「夜空くんっ!」


 開口一番かいこういちばん、詠の泣きそうな叫び声が耳に届く。


「詠、ごめん」


 俺は思わず謝っていた。


「ううん、ゴメン。私こそ。きっと夜空くん、今は一人になりたいんだろうなって思ったけど、我慢できなくて……」

「あの、俺は」

「夜空くん。私、夜空くんの味方だから。何があっても、絶対絶対ゼッタイ! どんなときも夜空くんの味方だから!!」


 詠の言葉が耳に届き、俺の心の柔らかい部分をくすぐった。


「――そのフレーズ、さっきメッセージで見たよ」

「でもッ。既読になったのに返信がなかったから。怖くなって、ちゃんと直接伝えたくて、それで。ゴメン、ワガママで――」

「ううん。ありがとう、詠」


 自然とお礼の言葉が出ていた。


 詠は本当に優しい。

 俺がクラス会の場から逃げ去った後、残ったクラスメイト連中で、どんなやり取りがあったかは想像にかたくない。


 俺と黒野の間でなにかイザコザが発生して、俺が黒野に暴力を振るった。


 かたやクラスで一番の人気者。勉強も運動もできて、おまけに顔も性格もいい。

 片やその正反対。陰キャで根暗なぼっち野郎。おまけにいつも不機嫌そうな顔をしていて、何考えてるかわからない、表情筋が死んでるヤツ。


 どっちが悪いなんて一目瞭然いちもくりょうぜんなのだ。

 

 それに実際、俺は悪いことをしたんだ。皆のクラス会を。楽しい雰囲気を、俺がぶち壊した。そのことに対して、きちんとした説明をするでもなく、ただ逃げ出した。

 それは揺るがない事実だった。


 だけど、詠は。

 詠だけは、俺の味方でいてくれる。

 変わらない信頼を俺に向けてくれる。


 こうして、今、俺が一番聞きたい言葉を届けてくれる。


 それは、俺にとっては何よりも心強い言葉で。

 そんなキミだから、俺は――


 だから。



 



 この事件をキッカケに、おそらく俺のクラス内の立ち位置は一変する。

 存在感の薄い単なる陰キャから、クラス内の爪弾つまはじき者になる。

 流石に高校生にもなってイジメなんてガキ臭いことはないだろうけれど、それでも俺に好意的な態度を取る人間はいなくなるはずだ。


 スクールカーストなんてクソみたいな言葉を借りるなら、俺はカーストの底辺になる。


 詠はきっと、そんな中で、ただ一人、俺の味方でいてくれるだろう。

 これまでと何ら変わらずに俺と接してくれるだろう。


 だって彼女は優しいから。


 これまでどおり、朝一緒に登校して。

 金曜日はお昼ごはんを食べる。この世の終わりみたいな味がする彼女のお手製お弁当だ。

 

 放課後は一緒に教室の掃除をして、それから二人で一緒に下校する。

 たまの帰り道には、寄り道なんかしたりしてみたり。


 テスト前は図書室で一緒に勉強をして。

 休みの日は二人でどこか遊びにいったりして。


 俺の家では、姉さんの酒飲みに付き合って。

 詠の家では、文ちゃんも一緒に、加代子さんの美味しい手作りお菓子を堪能たんのうして。

 

 何気ない世間話で一緒に笑い合って。

 気がつけば日付をまたぐくらい、メッセージのラリーして。


 俺に笑顔を向けてくれて。

 俺も彼女に笑いかけて。


 二人で何気ない、普通の日々を送る。




 そんなことをしたら! 俺は詠の積み上げたものをブチ壊してしまうッ!!




 自分を変えようと必死に努力して、そして自分を変えた詠を!

 俺なんかのために! 全部ッ!



「詠」

「なに?」

「来週の月曜日なんだけど、朝一緒に学校に行くのはやめとこう」

「え、なんで……?」

「ほら、流石に今は悪目立ちするっていうかさ」

「私はそんなの気にしないよッ」

「ごめん、俺が気にするんだ」

「でも……」


 スマホ越しに届く、詠の悲しそうな声を聞き続けるのが辛い。

 俺は努めて明るい声を出そうとした。


「大丈夫。月曜日は終業式だし。そしたら夏休みに入るから。二学期になればほとぼりも冷めるだろうし、そしたらまた一緒に行こうよ」


 俺は嘘をついた。

 そして、長い沈黙。

 

 何度か、詠は何かを言いかけて、だけど、その言葉を飲み込んで。そんな気配が伝わる。

 

「わかった……」


 彼女はそう答えた。


「ありがとう、詠。ごめんね」

「ううん」


 これで伝えるべきことは全部伝えた。

 これ以上、彼女の声を聞き続けることが辛かった。


「それじゃあ――」


 そう言って、スマホの通話ボタンを切ろうとしたとき。


「夜空くんッ!」

「……なに?」

「あの、その……」


 電話口の向こうで、詠が言いよどんだ。


「一人で、抱え込まないで」


「相談するのは、私じゃなくてもいいから。亜純さんでも、他の友達でも。誰でもいいから。お願い、約束して」


 詠の声は、震えていた。


「ありがとう。わかったよ。約束だ――」


 俺はそう一言答えてから、スマホを耳から離して、通話ボタンを押した。

 画面に通話終了の文字と、通話時間が無機質に表示される。

 

 それから、ベッドの上にスマホを放り投げた後、ごろんと仰向けになった。


 いつか姉さんが言っていた言葉を思い出す。

 

 嘘には二種類あって、人を傷つけるための嘘と、人を傷つけないための嘘とがある。

 

 は、どっちのための嘘なんだろうか――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る