23話 一つの教科書と二つのアレ
とある金曜日の休み時間。
前の授業が体育だったので、更衣室で体操着から制服に着替えた後、教室に戻る。
自席に着席して、次の授業である英語の教科書を取り出そうと、机の中を漁ったところ。
「あれ、ない……」
引き出しの中には目当ての英語の教科書が見当たらなかった。念のためと思い、リュックの中をあらためてみるけれど、そこにも教科書は入っていなかった。
「あー、家に忘れたか……」
俺は小声で呟く。というのも家に置き忘れた心当たりがあったのだ。
英語の授業では、必ず教科書のキーフレーズの音読パートがある。出席番号順で指名された生徒が音読をするのだが、今日は俺が指名される日だった。
なので、昨日の夜、自分の部屋で教科書を開いて予習していたのだ。
俺らしからぬ
「あーどうしよっかな……」
俺がため息をついて頭を抱えていると。
「どうしたの? なにか困ってるみたいだけど……」
そんな俺の様子を見て、隣の席に座っていた優木坂さんが声をかけてきた。彼女は心配そうな表情を浮かべてこちらを見つめている。
「英語の教科書を家に忘れちゃったみたいで」
「え、そうなの?」
俺は優木坂さんに事情を説明した後、「我ながら間抜けすぎて笑えてくるよ」と頭をかきながら苦笑いを浮かべた。
すると優木坂さんは、顎に手を当てて少し思案するような表情を見せた後、顔を上げて俺の方を見つめた。
「じゃあ私の教科書、一緒に見ようよ」
「え、いいの?」
「うん、隣の席なんだし。困った時はお互い様でしょ?」
「でも……」
正直とてもありがたい申し出だったけれど、少し
というのも、一つの教科書を二人で使うということは、必然的に机をピッタリとくっつけることになるからだ。
それこそ肩を寄せ合うような距離感になるわけで……先日の満員電車の一件が思い起こされて、ちょっと恥ずかしかった。
それにクラスの中で、そんな俺たちの姿が悪目立ちしてしまわないかも心配だった。あらぬ誤解を周囲に与えて、優木坂さんに迷惑をかけるのは申し訳ない。
「その、迷惑じゃないかな……」
「迷惑なわけないよ。その代わり、私がもし忘れちゃった時は、青井くんが見せてね」
そう言って優木坂さんはニッコリと笑う。
真面目でしっかりものの優木坂さんに限って、永遠にその機会は訪れないように思えた。
優しい優木坂さんの本領発揮といったところだろうか。
俺は彼女の好意に素直に甘えることにした。
「ありがとう、優木坂さん」
「じゃあ、机くっつけるね」
そう言って優木坂さんは自分の机を俺の方にぐっと寄せてくる。そして二つの机の境界線の上に一冊の教科書を開いた。
「はい、これで大丈夫だよ」
「うん……」
一冊の教科書をお互いに見合うことになるので、俺と彼女の距離はグッと近くなった。
ふわりと優木坂さんから石鹸のような、いい匂いが香る。前の時間が体育だったから、きっと制汗剤のものだろう。
そのうえ、近い距離にある整った顔立ちや長いまつ毛、透き通るような白い肌。それら全てが否応なく視界に飛び込んでくる。
やっぱ、可愛いよな……
あまりジロジロみるのも悪いと思いつつも、俺の視線はつい彼女に吸い寄せられてしまう。
すると、そんな俺の視線に気付いたのか、優木坂さんと目が合ってしまった。
「どうかしたの?」
「ああいや! なんでもないよ!」
不思議そうに見つめ返してくる彼女に対して、俺は慌てて目を逸らす。
そんな俺の様子を見て優木坂さんはクスリと笑った。
「変な青井くん」
ちょうどその時、授業開始の時刻を告げる
日直が挨拶をして、授業が始まった。
よし、授業が始まったんだ。音読もしなきゃなんだし、気持ちを切り替えて授業に集中しよう。
俺は自分に言い聞かせるように心の中でそう呟いた。
そして教科書の内容に集中しようと視線を落とす。
だかしかし。それはある意味
というのも、視線を下に移動させると、必然的に視界にアレが映るのだ。
ボリューミーで、柔らかそうで、ふかふかな、たわわに実った、二つのアレが。
そう、それすなわち彼女のおっぱいである。
制服のシャツ越しに見える暴力的なまでに膨らんだおっぱいが俺の心を惑わせるのだ。
優木坂さんはスタイルがいい。巨乳である。だからこうして座っているだけでも、重力に引かれた双丘が「私はここにいるよ」と言わんばかりにその存在を主張するのだ。
って俺の馬鹿! 何を考えてるんだ?
優木坂さんのせっかくの善意に対して失礼すぎるだろう!?
おっぱいじゃなくて教科書を見るんだよ!
ああもうダメだ! 意識するな、意識するな! 今は英語の授業中! リビドーじゃなくて、リピートアフタミーだ!
俺は邪念を振り払おうと、瞳をぎゅっとつむり、心の中で今日の授業のキーフレーズを唱える。
俺がそうやって必死に
「青井くん……! 青井くん……!」
「へ……?」
ふと気づくと、優木坂さんが小声で俺の名前を呼びかけていた。
「先生に当てられてるよ。音読! 音読!」
「あ……」
我に帰って教壇の方に視線を向けると、先生が
どうやら俺はすっかり上の空になっていたようだ。
「すいません、聞いてませんでした……」
「ミスター青井、二十六ページの音読をお願いしますよ」
「は、はい……!」
気付けば音読のパートになっていたようだ。俺はそそくさとその場で立ち上がる。その拍子に椅子にぶつかりガタンと派手な音を立てた。
「大丈夫ですか? 先程からずっと上の空のようですね」
「あ、いえ、すみません……大丈夫です」
そうして俺は慌てながら教科書の指定パートを読み上げた。
こうして色々な意味でタジタジになりながらも英語の時間は過ぎていった。
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