6章 変わりたい⇄変われない

56話 迫り来る陽キャの影

 俺と詠が手を繋いでから一週間が経過した。

 だけど、その間、俺と詠の関係に変化はなかった。


 いつも通り、一緒に学校へ行って。週に一度、お昼ご飯を一緒に食べて。放課後は二人で教室の掃除をしてから、その後一緒に帰る。


 メッセージのやりとりはダラダラと毎日続くし、二人一緒にいるときも、他愛のない会話は尽きることはない。


 だけど、手を繋ぐことはなかった。

 なんとなく、あの日のことは二人とも口に出さない。

 少なくとも俺は、努めて意識の外へ押しやるようにしていた。


 そうでもしないと、自分の欲求に歯止めが効かなくなりそうな気がしたから。


 俺はあの日、詠への気持ちの変化をハッキリと自覚したけれど、それゆえ、急に怖くなってしまった。


 この大切な日々を壊してしまいかねない、自分自身の凶暴な感情。

 その求めに従って、二人の関係を先に進むためには、ガラスの壁を壊す必要があった。

 そして、一度壊したその壁は、二度と元には戻らない。


 結果がどうあれ、一度俺の気持ちを彼女に伝えてしまったら、もう二度と俺たちの関係は、この場所には戻ってこれないんだ。


 そんなのは、耐えられない。


 だから、今はただ、彼女と過ごす時間を大切にしたいと思っているだけだ。

 そんなわけで今日も、俺は彼女との日常をダラダラと謳歌おうかする。

 俺にとって、それだけで十分だった。


 ***


「なぁ――青井。一緒に昼飯食おうぜ」


 とある昼休み。

 クラスメイトの声がガヤガヤと飛び交う教室の中で、そのうちの一つの声が俺に向けられた。


「え?」


 椅子に座ったまま、思わず、声をかけられた相手――黒野太陽くろのたいように視線を向ける。

 その先で、黒野は、実に爽やかな笑顔を浮かべていた。


「なんで?」

「いや、なんでって……別にいいだろ? クラスメイトなんだしさ」


そう言って、黒野はちょっと呆れたように苦笑いを浮かべる。


「実は、昼飯ついでにさ。青井に相談したいことがあるんだ」

「俺に? 相談?」

「そそ」


 クラス一の人気者から、日陰者へ向けられた意外すぎる誘い。

 しかも、俺に相談があるだって?

 心当たりがなさすぎて、大げさに首をひねってしまう。


「教室じゃ何だから。学食に行こうぜ。俺がおごるからさ」

「いいのか?」

「ああ」

「じゃあ、行こうかな……」

「そうこなくっちゃ」


 昼食をおごると言われてまで、誘いを断る理由はなかった。席を立ち、俺は黒野に連れられて、学食へと移動した。


***


「悪いな、いきなり誘ったりしてさ」

 

 学食の一角にあるテーブルに向かい合って座りながら、黒野が言った。

 二人とも、日替わり定食が乗ったトレイをテーブルに置く。


「いや、別に。むしろ悪いね、おごってもらっちゃって」

「まあまあ、遠慮なく食ってくれ」

「いただきます」

 

 しばらく、俺たちは黙々と食べ進める。

 それから、少しずつ会話が生まれた。

 

 黒野はその人当たりのよさで、色々と俺に話を振ってくれる。ただ、悲しいかな。話題が絶望的に合わない。そのうえ、俺はあまり話が上手くないので、「へぇ」「ふぅん」などと生返事ばかりになってしまう。

 

 黒野は特に気にした様子もないのだが、段々と俺の方がそんな状況なのが、申し訳なくなってきてしまう。

 そんなわけで、半分くらい食べたところで、今日の本題――黒野の相談事について、俺から訊ねてみることにした。


「それで、俺に相談事って?」


 すると、黒野は定食を食べる手を止めて、俺の方を見た。それからおもむろに口を開く。


「その前に一個確認」

「確認?」

「青井ってさ――詠ちゃんと付き合ってる?」


「ぶっ!」

 

 俺は思わずむせた。慌てて水を口に含む。

 

「なんだよ、急に!?」

「いや、ほら。この前、お前と詠ちゃんが一緒にいるときに会ったじゃん? それからなんとなく気になってさ。二人の様子をなんとなく伺ってたんだけど、しょっちゅう二人一緒にいるなーって思って」

「それは……」

「それにお前と一緒にいるときの詠ちゃんの表情とか仕草っていうか……なんとなく雰囲気が違う気がするんだよね。もしかしたら二人はそういう関係なのかな~なんて思っちゃったわけですよ、俺は」


 黒野はそこまで言うと、身を少し乗り出してきた。


「で、実際のところはどうなの?」

「付き合ってない」


 俺は目をそらしながら、そう答えた。


「マジ?」

「優木坂さんとは、確かに仲良くしてるほうだと思う。でも、友達だよ」

「本当に?」

「本当だ」

「そっか、なるほど」


 黒野は納得したように何度か小さくうなずくと、椅子の背もたれにもたれかかった。


「よかったぁ」

「え?」

「いや、だってさ。もし二人がくっついてたら、諦めるしかなかったからさぁ」

「どういう意味?」


 俺が視線を前に戻して問い返すと、黒野はニヤリと口元に笑みを浮かべた。


「俺さ、詠ちゃん狙おうかと思って」

「……は?」


 一瞬、黒野が何を言っているのか理解できなかった。


「おいおい、なんかコメントしてくれよ。恥ずかしいだろ」

「えっと、いや、その」


 俺は黒野に返すべき言葉を探す。

 たっぷり五秒くらい間が空いて、ようやく俺の口から、先の言葉が出てきた。


「――俺にそのこと言う必要ある?」

「いや、だから。俺がお前に相談したいことっていうのは、つまりそれなんだって」

「どういうこと?」

「お前が詠ちゃんのことが好きだったら、一応ライバル宣言みたいな感じ? でも、恋愛感情がないなら、普通に友達として応援してほしいって話」


 黒野は自信に満ちた表情で、俺を真っ直ぐ見据えている。まるで、俺に宣戦布告するように。

 俺はその真っ直ぐな瞳に気圧けおされるように、つい視線を逸らしてしまった。


「昼飯をオゴってもらった立場で悪いんだけど、そんな器用なマネ、俺にはできないよ」

「ハハッ。まぁ、そうだよな。ほぼほぼ初対面なのに、いきなりこんなことを言われても困るよな。青井からしたら、お前をダシに使って詠ちゃんに近づこうとしてるようにしか見えないだろーし」

「別に……誰が誰を好きになろうと、俺が口出しする権利はないから」


 俺はそう言いつつも、詠と黒野が二人で楽しそうに話している光景を想像してしまう。胸がずくんとうずいた気がした。


「やっぱ、お前。思ったとおり、おもしれーヤツだよ」


 黒野はそう言うと、先程までとは打って変わって、人懐っこい表情を浮かべた。

 そして、懐から自分のスマホを取り出して、俺に差し出す。


「なあ、まずは友達になろうぜ?」

「……なんでそうなる?」

「だって友達なら、恋バナくらいするじゃん?」


 黒野は屈託のない笑顔を浮かべてそう言った。


「……」

「ダメか? 嫌なら無理強いするつもりはないけど」

「まあ、別にいいよ」


 俺は自分のスマホも取り出して、黒野と連絡先の交換をした。


「サンキュー。これからよろしくな。あと、クラスのLINKグループにも招待したから、後で加入しといてくれよ。お前だけだぜ、まだ入ってないの」

「わかったよ……」

「それと、テストも終わったことだし、近々クラス会をもう一回開こうと思うんだ。この前のクラス会は青井と詠ちゃん来なかったから、今度は参加してくれよ。皆で盛り上がろうぜ」


 クラス会の誘い。それには素直に首を縦に振ることができなかった。

 

「正直、あんまり大勢でいるのは苦手なんだ」

「まぁ、そんな感じだよな。でも一回くらいそういう集まりに顔を出したってバチは当たらないだろ?」

「いや、でも俺みたいな陰キャがいても、皆をしらけさせるだけで――」

? 何がキッカケになるかなんて、分かんないもんだぜ」


 自分を変える――

 これまで考えたこともなかった、黒野のその言葉が、何故だか妙に胸に響く。


「まあ、考えとくよ」

「おう! ってやべー、話し込んでたらもうこんな時間だ。残りの飯、早く食っちゃおうぜ」


 黒野は慌てた様子で言うと、食事を再開した。

 俺はその様子を眺めながら、さっき黒野が俺に告白してきた内容を思い返していた。


 黒野は詠に好意を持っている。

 彼女ともっとお近づきになりたい。

 そこで、現状、詠と一番仲良くしていると思われる俺に対して、探りを入れてきた、というところだろうか。

 あまりにストレートすぎて、かえって嫌悪感などは抱かなかった。


 ……


 黒野は自分の心の内をいとも容易たやすくさらけ出す。

 自分が誰かに好意を持っていることを、堂々と宣言してしまう。


 それは自分に対する自信が為せるワザなのだろうか。


 俺には逆立ちしたって絶対にできないことだ。


 そんな彼のことが、少しだけ、羨ましかった。

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