7話 キミの大切な一日だから

「明日は妹の誕生日なんだ」


 ある平日。

 いつもどおり二人で教室を掃除した後、帰りの電車の中で。俺の隣で吊り革に捕まって立つ優木坂さんが、ふとそんなことを言った。


「妹さん、小四だっけ?」

「うん。だから十歳」

「おめでとう……って、一回も会ったことのない俺が言うのもなんか変だけど。てことは、明日は優木坂家は盛大な誕生日パーティーだね?」

「あはは、そんな盛大じゃないけど。家族みんなでケーキを食べる予定だよ」


 そういって優木坂さんは目を細める。

 

「プレゼントはもう用意したの?」

「うん! 妹も私に負けず劣らず本好きだから、ブックカバーとしおりのセット。喜んでくれるといいなぁ」


 彼女の言葉の節々ふしぶしからは、姉妹仲しまいなかの良さが伝わってくるようだ。


「あ、じゃあ、明日は掃除なんかしてる場合じゃないよね。俺がやっておくよ」

「んーん、掃除くらいならそんなに遅くならないし、大丈夫だよ」

「そう? でもせっかくだから早く帰ったほうが……」

「ふふ、気を使ってくれてありがとう、青井くん。でも本当に大丈夫だから」


 優木坂さんはあくまでも明日もいつもどおり、俺と一緒に掃除をするつもりらしい。

 俺もそれ以上、余計なことは言わなかった。


「ふふ、明日が楽しみだなぁ」


 優木坂さんはそうつぶやいて、にんまりと笑った。


***


 そして翌日。

 帰りのホームルームで、教壇きょうだんに立つ担任教師がこんなことを言った。


「あー、実は来週から新しい教材が入る関係で、今日中に教材倉庫を整理しないといけないんだ。突然で悪いんだけれど、誰かこの後、倉庫整理を手伝ってくれるヤツいないかー」


 先生のその言葉を受けて教室が少しざわめく。

 先生は頭をボリボリと掻いて、言葉を続けた。


「ちょっと今倉庫の中がしっちゃかめっちゃかになっていてな。もしかしたら、二時間くらいはかかるかもしれん。そんなわけだから、放課後に部活とか用事がない者で、手伝えそうなヤツー、よかったら手を挙げてくれー」


 俺は思わず「まじか」とつぶやいてしまった。

 

 急な用事。しかもみんなが嫌がるような、結構な負担感のある作業。

 この状況。いつもなら間違いなく優木坂さんが引き受けるパターンだ。


 頼み事といえば、いつでも優しい優木坂さん。

 そんなある種のが、このクラスでは形成されてしまっている。それは生徒だけじゃなく、先生にも。


 俺はちらりと優木坂さんに視線を向けた。

 優木坂さんは手を挙げず、うつむいているようだった。


 そりゃ当たり前だ。今日は優木坂さんだって、妹の誕生日っていう大切な用事があるんだ。


 そのうちに、クラスの中に「なんで?」という、空気が生まれた気がした。

 クラスメイトたちの視線が何となく優木坂さんにそそがれる。


『アレ、どうしたの?』


『ほらほら、優木坂さんの出番だよ』


『皆、忙しいんだからさ、いつもみたいに頼むよ』


『優木坂さんは、優しいんだからさあ』


 そんな皆の心の声が聞こえてくるような気がした。


 いつまでたっても志願者が現れない状況にしびれを切らしたように、先生は口を開いた。


「じゃあ、悪いんだけど、優木坂。お願いできるか?」

「え……?」

「いつもお前に頼んじゃって申し訳ないんだけど、皆忙しいみたいだからさ、な?」


 「申し訳ない」というフレーズが含まれているくせに、ちっとも申し訳なさそうじゃない声色こわいろなのは何故だろう。


 先生の言葉を受けて、優木坂さんの表情がくもる。


 優木坂さん。別に断っていいんだよ。キミがやらなきゃいけない理由も義理もない。キミにも大切な用事があるんだから。


 だけど、そんな俺の思いとは裏腹うらはらに、その表情はつかの間。優木坂さんはすぐ笑顔になって。


「はい、大丈夫です」


 何でもないように彼女はそう言った。


 それをきっかけに、クラスの空気感は急速に元に戻っていった。

 

 かくして優しい優木坂さんのおかげで、このクラスの安寧あんねいは続く。あー本当に優木坂さんがいてくれてよかった。

 皆、そんなことを思っているのだろうか。




 ふざけんな!




「先生」


 俺は手を挙げた。


「どうした? 青井」

「倉庫の整理は俺がやります。先生も男手のほうが助かりますよね?」

「え……? まあ、そうだな」

「じゃあ、俺がやります。よろしくお願いします」

「あ、ああ。わかった。それじゃ、よろしく頼む」


 クラスメイトの好奇こうきの視線が、今度は俺に注がれた。

 

 俺という生き物は、本来はロボロフスキーハムスターみたいにナイーブで繊細せんさいだから、基本的に注目を集める行為が大の苦手だ。

 だけど、今の俺はそんなこと構いもしなかった。


 理由はわからないけど、俺はクラスの奴らに、無性にイライラしていた。

 

 お前らガン首そろえて、一人の女の子の優しさに頼ってんじゃねぇ!


 そしてホームルームは終了し、放課後。


「あ、あの! 青井くん!」


 教材倉庫に向かおうとした俺を、優木坂さんが呼び止めた。


「あの……私……」


 バツの悪そうな、なんだか今にも泣きだしそうな顔の優木坂さんは、俺に向かって声をかけようとする。


「大丈夫。俺に任せて」


 俺はそれを手で制して、そう言った。

「でも……」

「今日は、優木坂さんの大切な一日なんだから」


 そういって彼女に向かって笑顔をみせる。


 

「いい誕生日会になるといいね」

 


 俺はそれだけ言って、優木坂さんの返事を待たずに、教室を出て行った。

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