30話 イヤじゃないよ

「青井くんは私と恋人に見られたら……その、イヤだったりする?」

「へ? いや別に、イヤとかそういう話じゃなくて……そもそも俺みたいな影キャと変な噂が立ったら、優木坂さんに迷惑かけちゃうでしょ? だから――」


 俺がそう言うと、優木坂さんは大きくかぶりを振って否定の意を示した。

 

「私は全然イヤじゃないよ。迷惑なんてことも、ひとつもないよ」

「そ、そう?」

「そうだよ!」


 念押しのようにそう答える優木坂さんの表情は真剣そのものといった感じだ。


「だから、私への迷惑とかそういうの抜きにして、って――」


 彼女は再び同じ問いを投げかけてきた。今度は先ほどよりも強い口調で。

 

「俺がどう思ってるか……?」

「うん」

 

 優木坂さんの質問の真意はいまいち掴めなかったが。それでも、ここまで強く言われたのなら正直に自分の気持ちを伝えるべきだと思った。


 優木坂さんへ迷惑がかかるとか、周囲への影響とか、そういうことを抜きにした、シンプルな自分の気持ち。

 それを、俺は優木坂さんの目を見ながらはっきりとこう告げた。


「イヤじゃない……」

 

 むしろ、嬉しいとさえ思っている――とまでは恥ずかしくて伝えることはできなかった。


「ほんと!?」


 優木坂さんは俺の返答を聞くや否や、ぱっと顔を明るくした。そして俺の方に身を乗り出してくる。

 

 その拍子に。

 傘を持つ俺の手が優木坂さんに触れてしまった。


 ぽよん。

 

 優木坂さんの制服のシャツ越しに、手の甲辺りに感じる柔らかーい感触。

 彼女の身体のどこに触れたのか――その答えについては、俺の脳が結論を導き出すことを拒否した。

 その代わりに、一刻一秒でも早く優木坂さんに謝れという指令が俺の脳内から発信された。


「ごめん! わざとじゃなくて……本当に偶然触れちゃっただけで……! すいませんでしたねえ今包丁持ってる? すぐぶった斬るから――」

「もう、そんな謝らないで。全然平気だよ」

 

 俺は大慌てで謝るが、当の本人は身体の接触などまったく気にしていないようだ。

 それよりも先ほどの問いの答えを受けて、浮かれているようだった。


「えへへ、良かったぁ」

 

 優木坂さんは心底嬉しそうな笑みを浮かべていた。


***


「ありがとう青井くん。なんかごめんね、結局家まで送ってもらっちゃって」


 優木坂さんの自宅前。

 玄関のひさしの下に立つ彼女が、改めて俺へのお礼の言葉を口にした。


 俺は結局、優木坂さんを彼女の自宅まで送ることにした。

 電車で最寄駅まで移動した後、優木坂さんは、駅前のコンビニで傘を買うから大丈夫だと遠慮したのだが、そんな彼女をやや強引に押し切って、家まで送り届けることにしたのだ。

 不意に振られた雨に迫られて購入するビニール傘ほど、無駄な出費はないからな。


「気にしないで。俺が好きでやったことだから」


 俺がそう返すと、優木坂さんは照れたように微笑んだ。

 

「あのさ。青井くんって、本当に優しいよね」

「え?」

「ほら、こうしてわざわざ私のことを家まで送ってくれたこともそうだし。途中、ずっと私の歩くスピードに合わせてくれたでしょ。あと、傘の位置も私が濡れないようにしてくれたよね」

「いや、まあ、そりゃね」

「だから私は全然濡れてないのに――青井くんの肩はビッショリだよ」

「別にそんなの帰ったら洗えばいいだけだし……」


 優木坂さんが指摘したことはすべて事実だったけれど、別に褒められるようなことじゃなくて、むしろ男として当然のことだと思っていた。

 とはいえ、褒められて悪い気はしない。俺は照れ臭くなって頭を掻く。

 

 すると優木坂さんはそんな俺の顔をみて目を細めてから、こんなことを言った。


「私は、そういう青井くんの優しいところが、す――」

「す?」


 そこまで言うと、優木坂さんはハッとした顔をして、自分の口を両手で塞いだ。それから、みるみると頬を紅潮させていく。

 

「えっと……優木坂さん、今のって……」

 

 俺が恐る恐る尋ねると、優木坂さんは耳まで真っ赤にして、口元を押さえていた両手のひらを前に出してから、慌てたようにぶんぶんと左右に振った。


「あの、その! えっと……! す、素敵だよってこと! そ、それじゃ! ほんとにありがと! 風邪ひかないようにね!」


 優木坂さんはそう言い残すと、ぴゅーっと逃げるようにして家の中へと入っていった。

 残されたのは、呆然と立ち尽くす俺ひとり。

 

「な、なんだったんだ一体……」

 

 雨音だけが響く住宅街の中。

 俺は、ただ独り言ちることしかできなかった。


 初めての優木坂さんとの相合傘。

 一つの傘の下で、なぜか今日の彼女はいつもよりグイグイきていた気がした。

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