9話 優木坂詠は楽しい一日を過ごしたようです

「それじゃあ、また明日ね――」


 はスマホしに、青井くんに向かってさよならの言葉を伝えた。

 

 すぐに電話を切ってもいいのに、なんだか電話を切るのが名残なごしくて、私から電話を切ることができない。

 数秒後、どうやら青井くんの方から電話を切ったらしくて、ツーツーツーという音が聞こえてきた。

 

 通話時間を表示するスマホの画面を見つめながら、私はしばらくぼんやりとしていた。


 私――優木坂詠ゆぎさかよみは、自分の部屋のベッドの上に腰掛こしかけていた。


 青井くんとの電話を終えた後、あらためて今日一日のことを思い出す。

 

 今日は妹の誕生日。

 放課後は、青井くんと一緒に教室の掃除をパパッと終えて、まっすぐ自宅に帰るつもりだった。

 だけど、そんな日に限って、急な用事が降りかかりそうになる。


「誰かこの後、倉庫整理を手伝ってくれるヤツいないかー」


 帰りのホームルームで先生がそんな頼み事を告げた。

 誰もが避けたがるやっかいな面倒ごと。こんなときは優しい私の出番。きっとクラスの誰もがそう思ったことだろう。


 だって私自身もそう思ったんだ。

 私はクラスでの自分の役割を自覚していたから。


「優木坂、頼めるか?」

「はい、大丈夫です――」

 

 しょうがない、これが自分の役割なんだと思って、私は引き受けることにした。


 妹の悲しそうな表情が頭をよぎって、心の中で「ゴメン」とつぶやく。


 そのとき。私の隣の席に座っていた彼の手があがった。


「先生、倉庫の整理は俺がやります」


 青井くんが助けてくれた。

 

 彼の申し出は、私にとって予想外すぎた。

 だから、まず感じたのは、青井くんに迷惑をかけてしまったことに対する、途方とほうもないくらいの申し訳なさだった。

 だけど、彼はなんてことないようにニッコリと笑って、私に「いい誕生日会になるといいね」と言ってくれた。

 


 結局、私は青井くんに甘える形で、まっすぐ家に帰ることになった。

 帰り道、ずっと青井くんの言葉が、顔が、笑顔が、私の頭の中にフワフワと浮かぶ。

 なんでか分からないけど、胸の奥がむずかゆいような感じがした。


 ***


「ただいまー……」

 

「にゃあん」

「ムギ」


 家の玄関ドアを開けると、まず飼い猫のムギが出迎でむかえてくれたので、しゃがみ込んで少しじゃらしてあげる。

 そうしていると、リビングの向こうからドタバタとこちらに駆けてくる足音が聞こえた。


「お姉ちゃーん! お帰りー!」

「ただいま、あや


 嬉しさを抑えきれないといった様子で、満面の笑顔を浮かべた妹の文が出迎えてくれた。

 そのまま文に手を引かれながらリビングへと移動する。

 すでに誕生日会の準備は整っていた。


 リビングテーブルの中央に置かれた大きなホールケーキ、その周りを華やかに彩る、お母さんが腕によりをかけて作ってくれた手料理の数々。

 

 それに、テーブルの奥には……


「詠、久しぶり。元気だったかい」

「お父さん――」

 

 単身赴任中のお父さんが座っていた。


「もう帰ってたんだ」

「ああ、ついさっきね」


 お父さんは、眼鏡ごしに柔らかい笑顔を浮かべる。

 久しぶりに見るお父さんの顔は、少し疲れているように見えた。たぶん、今日の誕生日会のために、忙しい仕事の合間をって、駆けつけてきたんだろう。


「ちょうど良かったわ。今、準備ができたところよ」

 

 キッチンの方からエプロン姿のお母さんもやってきた。


「詠、先に着替えてきちゃいなさい。そしたら誕生日会はじめましょ」

「お姉ちゃん! 早く早くー!」

「わ、分かったよ、文。押さないで」

 

 私は文にかされながら自室に戻ることにした。

 部屋に戻って制服を脱いで、部屋着にそでを通す。

 そうして、改めて家族が待つリビングへと向かった。


 

「それじゃあ、皆揃ったことだし、暗くしようか。ロウソクの準備はいいかい」


 お父さんのかけ声を合図に、部屋の照明が落とされる。

 暗闇の中に、十本のロウソクの小さな炎だけがともった。

 

「ハッピバースデー、トゥー、ユー♪」


 お父さんの歌声に合わせて、私達はバースデーソングを歌う。

 

「ハッピバースデー、ディア、アヤ~♪ ハッピーバースデー、トゥー、ユー♪」


「せーの――ふう〜!」


 歌い終わりのタイミングで、文が大きく息を吹きかけて、勢いよくロウソクを吹き消した。

 

「おめでとう、文!」

「ありがとう! パパ、ママ! お姉ちゃん!」


 文に大きな拍手を送った後、部屋の照明をつける。文は少し自慢げな様子で、満面の笑顔を浮かべていた。


 その後は文にプレゼントを渡した。

 お父さんとお母さんからのプレゼントは、文の好きなキャラクターの大きなぬいぐるみ。

 文は大喜びでそれを抱きしめて、ほおずりをする。


 私からは、しおりとブックカバーのセット。文は私と同じく本が好きなので、これも喜んでくれたみたいだ。


「ケーキを切る前に、せっかくだから写真を撮ろうか」


 プレゼントの後に、お父さんがそんなことを言った。


「文、詠。並んでくれるかい?」

「わーい! お姉ちゃんと一緒だー!」

 

 ケーキの前に、文と並んで座る。

 横目でチラッと見た文の顔は、嬉しくて嬉しくて仕方がないといった表情をしていた。

 

「ほらほら二人とも、もっと寄らないと入らないぞ」

「えへへー」

「さあ、撮るよ。ニッコリ笑って――」

 

 私達が近づくと、お父さんはスマホを構えた。

 カシャッというシャッター音が部屋に響く。


「うん、いい写真が撮れた」

 

 お父さんに今撮った写真を見せてもらう。

 写真の中の私達はとても幸せそうな顔で笑っていた。

 

 それから、ケーキを切り分けて、みんなで食べた。

 ケーキを食べながら、いろいろな話をした。


 文の学校での様子とか、友達の話。この前の健康診断で、身長が一四〇センチを超えたこと、などなど。

 お父さんからは最近の仕事の話や単身赴任先での生活の話。

 お母さんはそんなお父さんの健康の心配をしてから、最近ハマってる趣味の話とかドラマの話。


 久しぶりの一家団らんの時間は楽しく過ぎていく。


「詠は、どうだい」

「え?」


 ふと、お父さんが私の方を見て、そんなことを聞いてきた。


「高校生活、ちょっとは慣れたかい?」

「うん」

「そうか。友達は?」

「うん……できたよ」

 

 友達という言葉を聞いて、私の頭には、青井くんの顔がまず浮かんだ。

 

「……すごく優しくてね。一緒に話していると、楽しくて。だから、学校も楽しい」

「それはよかったね」

 

 お父さんは嬉しそうに笑う。

 すると、文が会話に入ってきた。


「お姉ちゃん。カレシはできたー?」

「かっ!? 」


 いきなり文から予想外のことを聞かれたので、思わず声が裏返ってしまった。


「文! 何言ってるの、できるわけないでしょ!?」

「えーそうなのー? せっかくお姉ちゃん『高校デビュー』したのにぃ?」

「こ、高校デビューって……! どこでそんな言葉を……!」

「お姉ちゃんが高校生になって、メガネをしなくなってー、髪型が変わってー、ファッションの本も見るようになってー、なんでだろうってママに聞いたら、それは高校デビューだよって」

 

 文は指折りをしながらそんなことを言った。

 

「お、お母さん!?」

「あら違うの?」


 私がキッとお母さんをにらむと、お母さんは悪びれた様子もなくニコニコと笑っている。

 その隣では、お父さんが苦笑いしていた。


「お姉ちゃんは、まだカレシはいなかったのかぁ。せっかく高校デビューしたのにねぇ」

「文ぁ、変なこといわないでよ」

「だってー。お姉ちゃんにカレシができたら、文にもお兄ちゃんができるんでしょ? 文、お兄ちゃんもほしーなー」


 お、お兄ちゃんって……

 文が無邪気な様子でトンデモないことを言い出す。

 私の頭の中には、またしても青井くんの顔が浮かんだ。

 

 って、なんで!? おかしいよ!

 青井くんは全然関係ないわけでっ!

 

 ああ、もう!

 

 私は思わずギュッと目をつぶってブンブンと頭を振った。

 

「お姉ちゃん、顔が真っ赤だよ? どうしたの?」

「な、なんでもない! それより、ほら、ケーキ食べよう?」


 私は十歳なりたての妹相手に、タジタジになってしまった。


***


 そんな誕生日会が終わって、お風呂に入った後。

 自分の部屋に戻った私は、ベッドのうえに仰向あおむけに寝転がって、じっと自分のスマホとにらめっこしていた。


 ほんとうに楽しい誕生日会だった。

 そんな時間を与えてくれた青井くんに、キチンとお礼を言うべきだと思ったのだ。


「う〜ダメだ……まとまらない……」

 

 最初はLINKでメッセージを送ろうと思った。

 だけど、今日のお礼、それと仕事を押し付けてしまった謝罪、楽しかった一日のこと、伝えたいことが多すぎて、内容が上手くまとまらなかった。

 何回も文章を作っては消して、作っては消してを繰り返す。そして、結局諦めてしまった。


 メッセージはムリだ。

 だけど。


「電話なんて初めてだしなぁ……」


 メッセージでのやりとりは、何度かあった。

 だけど、電話で話すというのは、今まで一度もない。


 そもそも、家族以外の男の人と電話をしたことがないんだ。


 だけど、どうしても今日中にお礼を言いたかった。

 ううん、お礼を言わないといけないと思った。


 私はスマホを握り直して起き上がる。

 そして意を決して、通話ボタンを押した。

 

 ドキン、ドキンと心臓が高鳴る。

 こんなに緊張するのはいつ以来だろうか。もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 大丈夫かな、変な声になっちゃったらどうしよう。

 

 プルルルルという呼び出し音が鳴る。

 一回、二回、三回、四回。

 そして五回目で――プツリと音が切れた。

 

「もしもし」


 その声は少しだけ低くて、でも優しくて。

 耳元から聞こえるその声は、私の鼓動こどうをさらに早くした。

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