34話 キミと夏らしいことを

「青井くんは何を読んでるの?」


 お弁当のメニュー研究について、ひと段落ついたらしい優木坂さんが、俺の肩ごしに覗き込むように身を寄せてきた。その距離の近さに少し戸惑いながらも、雑誌の表紙を優木坂さんに見せてあげる。


「えっとね、旅行雑誌だよ」


 俺が選んだのは県内の観光スポットなどを紹介している旅行雑誌だった。


「へえ。青井くん、旅行はよく行ったりするの?」

「いや、全然。姉さんはアチコチ行ってるみたいだけどね」


 俺の言葉を受けて、優木坂さんが不思議そうな顔をした。たぶん「じゃあなんでこの陰キャは旅行雑誌を読んでいるんだろう?」と疑問に思っているのだろう。


「えっと、一緒に旅行に行くような友達もいないし、そもそも俺自身にアクティブさもないから、実際に旅行に行くことは滅多にないんだけど。旅行雑誌とか旅番組を見るのは、けっこう好きでさ……雑誌を眺めてるだけでも旅した気分に浸れるっていうか……」


 自分で言ってて少し泣きたくなってきたが、この脳内旅行は俺のシュミといってもよかった。

 そんな俺の悲しいことこの上ないシュミを聞いて、優木坂さんはあわれみとさげすみの表情を浮かべる……はずもなく。


「ちょっとわかるかも! 私もどっちかっていうとインドアだから、家族旅行くらいしかいったことないけど、旅行雑誌とか眺めてるとワクワクしてくるよね」


そう言って、優しい彼女は、あふれんばかりのニッコリ笑顔を向けてくれた。


 ああ、優木坂さんマジ天使。

 俺なんかに話題を合わせてくれるなんて、ホントになんていい子なんだ。


「どう? 青井くん的に気になる場所は紹介されてた?」

「そうだなぁ。やっぱりもうすぐ夏休みだから、夏っぽいスポットが特集されてるね。キャンプ場とか、花火大会とか、あとは海水浴にプールとか……」

「そっか……もうすぐ夏休みなんだよね」


 優木坂さんがしみじみとした口調でそんなことをつぶやいた。


「ねえ、青井くん」

「なに?」

「その……」


 優木坂さんは何かを言いかけて、そしてうつむいた。何故か体をモジモジさせている。トイレだろうか? コーヒー飲んだし。


「えっとね、もしよかったらなんだけど、さ」


 そして彼女は意を決したように俺の顔をまっすぐ見据えた。


「夏休み、私と一緒に行かない?」

「え、どこに?」

「その……夏っぽいところ。花火とか、プールとか……」

「夏っぽいところ!?」


 まさかの優木坂さんの申し出を受けて、俺はフリーズしてしまう。これは女の子からお誘いを受けているのか? え、マジで? 俺が?

 しかも、花火大会、それにプール。

 ということは。


 俺の頭の中にポワワワーンと情景じょうけいが浮かぶ。


 花火大会の夜。人込ひとごみでごった返す河川敷かせんじきの土手のうえ。

 俺の隣には涼し気な浴衣をまとった優木坂さんが、寄り添うように座っている。

 さっきまで夜店をひやかしていた俺たちは、各々おのおの、かき氷やたこ焼きを片手に、ふたりでそれをシェアしながら、なんてことないことを楽し気に語り合っていた。


 そして、迎えた花火打ち上げの時間。ドーンというお腹に響く重低音と、周囲の歓声をキッカケとして、夏の夜空に花火が次々と舞い上がる。

 華やかだけどどこか儚い、大輪の花火。そして、それを見上げる優木坂さんの透明で可憐な横顔。


 キレイだ――

 

 俺は花火じゃなくて、彼女のそんな横顔ばかりをじっと見つめてしまう。

 やがて、その視線に気づいた彼女が、ふと俺の方を向いて、少しだけはにかむように微笑む。

 そして、どちらともなく自然に手を合わせて、二人の顔がそっと近づいていき、唇と唇が――


 はわわわわわわ!


 また、こんな光景も目に浮かんだ。

 

 とある猛暑日もうしょび。プールにて。俺はプールサイドで優木坂さんの着替えが終わるのをソワソワと待っている。

 

「お待たせ」

 

 少し控えめな声を受けて俺が振り返ると、そこにはかわいらしい水着を身にまとった優木坂さんが立っていた。彼女の胸元には、存在感を隠し切れない、愛と夢と希望がみっちりと詰まった、たわわに実った二つのおっぱいが。


 ああ、おっぱい、いっぱいおっぱい、良いおっぱい……

 

 かのドフトエスキーも『戦争と平和』でこう述べたように、おっぱいさえあれば世界から戦争はなくなり恒久平和が実現する。


 そして合流した二人が向かったのはウォータスライダー。大きな浮き輪に二人で乗って滑降かっこうする、ラノベのデートイベントといえば大定番なアレである。

 ウォータースライダーに乗る直前、優木坂さんは少し怖がるような素振そぶりで俺を見上げながら言った。

 

「あの……私のこと、しっかり掴んでてね?」

「もちろんだとも」


 英国紳士の心を持つ俺は優木坂さんの後ろから、彼女の体を思いっきり引き寄せた。ほとんど後ろから抱きしめている感じだ。


 ギュッ。ぽよよん。

 

「きゃっ」

 

 小さな悲鳴を上げる優木坂さん。でも、すぐ俺に身をゆだねてきてくれる。

 密着した俺たちの体は、まるで一つの生き物のようにピッタリとくっついて離れない。

 俺は優木坂さんを安心させるように、彼女を抱きしめる腕に力を入れた。

 

「あッ……」

 

 その拍子に優木坂さんが甘い声をもらして――


 あわわわわわわ!

 


「青井くん?」

「は……!」


 妄想の世界にふける俺の意識を、優木坂さんの声が連れ戻した。


「ご、ごめん。ぼーっとしてて」

「ううん、こっちこそ急に誘ってゴメンなさい。もしかして迷惑だった……?」

 

 不安げな表情でそう尋ねてくる優木坂さん。

 そんな捨てられた仔犬のような表情で見つめないでおくれ。キミからの誘いが迷惑なわけないじゃないか。

 

「い、いや! 全然そんなことないよ! むしろ嬉しいっていうか、すごく楽しみっていうか……あの、ぜひよろしくお願いします……!」

 

 勢いよく答えてしまったせいか、なぜか敬語になってしまった。しかも声がデカい。周囲の視線を感じてちょっと恥ずかしくなる。

 だけど、俺の回答を聞いた優木坂さんは、そんな周囲の視線などまったく気にならない様子で満面の笑顔になった。

 

「やった! 嬉しいな。約束だよ」

「うん、もちろん」

 

 こうして俺と優木坂さんは、トントン拍子に、夏休みの予定を立ててしまったのだった。

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