16話 ピザパーティーがお好きでしょ

 時間は絶対的な概念ではなく相対的なものだ、と言った有名な物理学者の学説はさておいて、この一週間は俺の体感時間において、まるで一瞬かのように過ぎていった。


 というわけであっという間に、優木坂さんが俺の家に来る土曜日を迎えた。


 現在時間は午後五時十五分ジャスト。

 俺は自宅の最寄駅のロータリー広場にあるベンチに腰掛こしかけて、優木坂さんがやってくるのを待っていた。

 待ち合わせ時間は五時半にしたので、あと十五分ほどで彼女はここにやってくるだろう。


 あれから当日のプランを色々と考えて、結局今日は、姉さんと俺と優木坂さんの三人で、晩ごはんを食べる食事会ということにした。

 

 姉さんが酒が飲めればなんでも良いと言い出したのがひとつ目の理由。

 優木坂さんとは既に二人で食事をしたことがあるというアドバンテージが二つ目の理由。

 そして最後にして決定的な理由は、最悪その場の空気がイマイチだったとしても、食事を早めに切り上げて、早々にお開きとすれば傷は浅いだろうというネガティブな打算だ。


 姉さんがいるので二人きりでないにせよ、異性を自宅に招くなんて俺の人生ではじめての経験だ。

 とにかく失敗しないように、出来る限りの準備はしてきたつもりだが……正直いって、俺は緊張していた。


「青井くん、お待たせ!」

 

 そんなことをアレコレと考えていると、聞き慣れた声が耳に届いた。

 声のした方へ顔を向けると、こちらに向かって小走りで駆けてくる優木坂さんの姿が見えた。

 俺はベンチから立ち上がって彼女に歩み寄る。 


「ごめんね、待たせちゃった?」

「ううん、全然。俺も今きたところ」

「よかった」

「そもそも、まだ待ち合わせ時間前だしね」

 

 今日の優木坂さんは、檸檬れもん色を基調としたワンピースの上に、白い薄手のパーカーを羽織っており、足元はキャンバス生地の黒いスニーカーという出立ちで、手には紙袋をぶら下げていた。

 

 いつも制服姿しか見ていないので新鮮だったし、カジュアルな私服姿もよく似合っている。


 俺のそんな視線に気付いたのか、優木坂さんは照れたような笑みを浮かべた。


「えっと……変じゃない?」

「全然。むしろ似合ってる」

「ほんと? よかったぁ……」

 

 ほっとしたように息をつく優木坂さん。

 それから彼女は、お返しとばかりに俺の服装に目を向けた。


「青井くんも、いい感じだね」

「あ、ありがとう……」


 今日の俺の服装は、チノパンにオックスフォードシャツといった格好。このフルセットは先週末に慌てて服屋で買ってきたものだ。

 休日をいつもジャージで過ごす俺は、女の子と会う時に着るような、まともな服を一着も持っていなかった。

 ちなみに俺はファッションのファの字も知らないので、潔く服屋の店員に聞いて、マネキンコーデをそのまま購入したのは君と僕だけの秘密。


「それじゃあ行こうか。姉さんは家で待ってるから」

「うん!」


 そうして俺たちは並んで歩き出した。


***


「いらっしゃーい! はじめまして、ヨミちゃん!」


 家の玄関を開けるなり、パタパタとスリッパの音を立てながら姉さんが出迎えてくれた。


「えっと、優木坂さん、これが俺の姉です」

「夜空、これってなによ。人のことモノみたいに」

「いや、友だちに身内を紹介するテンションがよく分からなくて……」

「あーあ、アンタどんだけ友だち少ないのよ。お姉ちゃん悲しいわー」

「うっせー」

 

 こんな感じで、俺はちょっとぶっきらぼうに姉さんのことを優木坂さんに紹介する。

 

「あ、あの! わたし、優木坂詠といいます。あの、青井くんと同じクラスで、いつもお世話になっていて……それで今日はその……よ、よろしくお願いしますっ!」

 

 優木坂さんは深々と頭を下げて挨拶をした。

 緊張している様子で、変に丁寧語だし、声が若干じゃっかんうわずっている。

 姉さんは手をヒラヒラと振って挨拶をした。

 

「はいはーい、私は夜空の姉の、青井亜純です。夜空からヨミちゃんの話は色々聞いてるよ。よろしくね〜」

「え、色々って――」


 優木坂さんがハッとしたような様子で聞き返すのを、姉さんは制止する。


「まぁまぁ、その辺りの話はあとでゆっくりね。ささ、こんなところで突っ立ってないで中に入って入って」

「お、お邪魔します……」


 姉さんと俺の後に続き、優木坂さんは恐る恐るといった様子で、我が家へ足を踏み入れていった。


「どうぞ、そこ座って」

「うん……」


 俺は優木坂さんをダイニングチェアに座るよううながした。

 テーブルの上には、Lサイズの宅配ピザを筆頭に、お菓子やおつまみなどが所狭ところせましと並べられている。


「今日はとりあえずピザを頼みました」

「わっ、すごいね、なんだかパーティーみたい」


 テーブルに掛けた優木坂さんは、にぎやかな卓上の様子を見て、感嘆の声を上げる。

 その対面といめんに座った姉さんからは、さっそくアルコールのオーダーが飛んだ。

 

「あたし、ビールねー!」

「はえーよ。まったく……今日の相手は未成年二人だってこと、忘れないでよ」


 俺は愚痴ぐちをひとつこぼしてから、優木坂さんの希望も確認する。


「優木坂さんは何飲む? とりあえずお茶とコーラとオレンジジュースを用意したんだけど……」

「えっと、じゃあ……オレンジジュースで」

「了解、ちょっと待ってて」


 二人のオーダーを聞いてから、キッチンへと向かった。

 食器棚に置いてあるグラスを二つ取り出してから、冷蔵庫で冷やしておいたオレンジジュースを注ぐ。ついでに姉の注文通り、缶ビールを一本――いや、どうせ一本じゃ収まらないだろうから、ケースごと取り出して、お盆に乗せることにした。

 うちのキッチンはカウンター式になっているので、お盆をそのままカウンター越しに、ダイニングテーブルの上に置く。


「どうぞ」

 

「ありがとう……」

「サンキュー」

 

 俺は二人に飲み物を配ってから、優木坂さんの隣の椅子に腰掛こしかけた。


「じゃあ、二人とも! まず乾杯しよっ!」

「は、はい」

「姉さんが言うと、なんか飲み会っぽいね」

「私にとっては飲み会ですが何か?」

「姉さん……優木坂さんとは初対面なんだし、この中で唯一の大人なんだから、節度ある対応をね――」

「あーもう、ごちゃごちゃうるさい弟だねぇ。ねえヨミちゃん、夜空はヨミちゃんといる時もこんな感じなの?」

「あ、えっと……」


 突然話を振られて、優木坂さんは少し慌てた様子だ。

 真面目に答えようとしている素振そぶりだったので、俺は助け舟を出した。


「優木坂さん、姉は終始こんな感じだから。適当に聞き流してね。放っておいても一人で永遠に話し続けてるから」

「なんだとー。ぼっちよりマシでしょー!」

「残念でしたー。今はぼっちじゃありません。この通り、優木坂さんっていう友だちができました」


 などなど、乾杯そっちのけで言い合いをしていると。


「ぷっ……」


 ふと隣を見ると、優木坂さんが口元に手を当てて笑いをこらえていた。


「うふふ、あはは――」


 そして、我慢できなかったのか吹き出すように笑いだす優木坂さん。

 

「ど、とうしたの優木坂さん? 何かおかしかった?」

「ご、こめんなさい……! ただ、ふたりの掛け合いを聞いてたら、なんだかおかしくなっちゃって……」

「いや〜それほどでも」

「いや褒め言葉じゃねーから」


 俺のツッコミを少しも気にせずに、姉さんは照れ臭そうに頭をかく。

 それから改めて、手元に置いていた缶ビールを掲げた。


「まあヨミちゃん。こんな感じで、あんまり固くならないでね。楽しくやっていこう?」

「はい、わかりました! よろしくお願いします」

「うん、いい返事。それじゃ二人ともグラス持って〜」


 姉さんの促しに応じて、俺と優木坂さんはグラスを片手に持ち上げた。


「かんぱーい!」


 姉さんの音頭に合わせて、俺たちはグラスをぶつけ合った。

 カンッという音が部屋に響き渡り、優木坂さんを招いての食事会が幕を開けた。

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