第21話 不利

 二度目の緊張が走った。また告訴か? こんなペースでゲームは進んでいくのか? そう考えて思い至る。

 状況証拠でもゲームマスターは納得できる。

 ゲームが進むにつれ部屋の選択肢が少なくなる。

 俺以外の三人は結託している。

 絶望的だった。やはり圧倒的に俺に不利な状況になっているのだ。駄目だ。脱落させられる。唇を噛み、拳を握りしめたが何も状況は変わらない。何か、何か手は……食堂に行かなければいいのか? いや、駄目だ。きっとあの黒づくめの男たちが総出で俺を探しに来る。くそ、くそ、くそ。

 でももう、行くしか……。

 震える足で一歩踏み出した。脳裏に浮かんだのはさっき脱落させられた富樫だった。あいつみたいに……あいつみたいに正々堂々と消えれば散り際に花を飾れるか。いや、飾ったところでどうなるんだ。そもそも「あの部屋」の向こうには何があるんだ。「あの部屋」に連れていかれた人はどうなってしまうんだ。

 廊下に出て、階段を下りて、ドアを開けて。

 食堂に入る頃には肺も心臓もすっかり冷え切っていた。

 それはそう、当たり前だが。

 俺以外の参加者は、既に全員食堂に集まっていた。天井のモニターも展開された後だった。画面にはあの、黒い男。

〈大関未菜〉

 告訴台の上に立っていたのは彼女だった。耳元までのショートカット。丸い顔。白い肌。華代にそっくりな、あの女。俺は浅い息を吸いながら食堂の端に立ち尽くした。

〈君は誰を告訴するんだね?〉

 ゲームマスターの問いに、彼女が答える。

「若槻明宏……」

 ゲームマスターが続けて訊いてきた。

〈どの部屋の犯人として?〉

 大関未菜が続けた。

石槫いしぐれ荘密室殺人事件」


 *


「まず本件を簡単に」

 俺はどうやって被告台に立ったのか、全く覚えていなかった。

 ただ男たちに押さえつけられていなかったから、多分自分の足でそこに向かったのだと思う。

 呆然とする俺を前に大関未菜は淡々と推理を始めた。俺はぼんやりと彼女の足がある辺りを見ながら、それを聞いているより他なかった。

「発覚は二月終わり、春になろうとしている時期のことでした。立宗大学学生寮、石槫荘二〇五号室の住人、細江啓二が部活の帰省期間が明けて三日経っても部活動に顔を出しませんでした。そのことを不審に思った同じ部活の部員数名が彼の部屋を訪れましたが、呼びかけにも答えなかったので、部員たちは持ち寄ったお菓子やお酒を玄関の前に置いて撤収。その日はそれだけでした。翌日、再び部員たちが細江の部屋を訪れると、昨日のお見舞いが手つかずの状態で放置されていることに気づきました。不審に思った一人がアパートの管理人に連絡。マスターキーを使って中に入ったところ……背中を撃たれた細江啓二の死体が見つかりました」

 へえ、あの事件ってそういう見つかり方をしたのか。上の空、他人事、そんな風に聞く俺の事件は何だか新鮮だった。俺の目からは見えなかったものが示されている気がした。

 大関未菜は続けた。

「現場は完全密室。部屋の二面にあった窓には鍵がかかっていた上にシャッターも閉められており、玄関ドアには鍵。犯人は跡形もなく消えています。分かっている事実は細江啓二が銃で殺されたという一点のみ。室内に残された手がかりから繋がる容疑者も少なく、事件は発覚当初から難航します」

 しかし……と大関未菜は冷たい眼差しを俺に向けた。

「被害者である細江啓二のパソコンから複数の女性の裸体を撮影した画像を確認。いずれも彼の通う立宗大学の女子学生で、その撮影状況から彼が強姦の常習犯であったことが発覚。以上より、彼に性的暴行を加えられた女性、及びその関係者の復讐によるものではないかという線が浮上します」

 そして、彼女はここで決定的なことを告げた。

「細江啓二によって犯された被害者の中に、今そこにいる若槻明宏の関係者と思しき女性がいます」

 若槻華代。彼女は俺の妹の名前を口にした。

「細江のお気に入りだったのか、彼女の画像はかなりの枚数確認されており、いずれも彼女の人権を踏みにじる凄惨なものでした。警察はまず若槻華代を調べましたが、死亡推定時刻に友人数名と二日間にわたる旅行に出かけていたことが明らかになり、鉄壁のアリバイが立証されます。そもそも凶器となった銃をどのように入手したのか、その経路も謎であり、本事件は若槻華代という有力な容疑者がいながらも未解決という憂き目に遭います」

 俺は黙って聞いていた。そして沈黙を守っている内に、だんだん頭がハッキリしてくるのを感じた。まだ、まだ何とかなるんじゃないか。状況は絶望的なのに、何故かそんな僅かな勇気の萌芽を、心の底で感じ取った。全く根拠のない自信だった。

「『採取された物的証拠』から抜粋します。『玄関上部の通風孔にはめられたカバーはこのアパートの標準装備のものであったが、製品番号他の条件から比較的新しいものだと判明。管理人に問い合わせても設備を新しくしたという情報はなく、被害者の細江啓二の周辺を探っても通風孔カバーを購入したような履歴はない。これは犯人が現場に残していたものだと推測される』とのことです。さらに現場となったアパートの管理人の証言では『二〇五号室は玄関上部の通風孔カバーが壊れたので撤去していた。新しく取り替えたりもしていないので、事件当初通風孔は大きく開いていたことが考えられる』とのことでした」

 なるほど、カバーまでは辿られている。事件の核心に迫るところまで追いかけられているのに、俺は何故か冷静だった。

「私は現場再現部屋にて通風孔の周辺を調べました。僅かに、ですが埃が拭われたような跡がありました」

 すごいな。この館はそんなところまで再現しているのか。

「犯人はこの通風孔近辺に触れたものだと思われます。警視庁のデータベースに指紋がなかったので照合できなかったようですが、私はこの『埃が拭われた形跡』を元に推理を組み立てました」

 大関未菜は俺のことを見下ろした。

「犯人はおそらくこの通風孔から銃撃して細江啓二を殺害した。元々開いていた通風孔からなら部屋の中を狙える。そうして殺害した後に、前以て用意しておいた石槫荘の標準設備のものと同じ通風孔カバーを外側からはめることで密室を作った。本件の言わばトリックとでも言うべきものはそういうことだと推察されます」

 ほぼ正解だ。素晴らしい。俺は心の中で拍手を送りそうになった。追い詰められているのに、この感情は不思議だった。

 しかし不思議なことはさらに起こった。

 俺は挙手をしたのだ。

〈若槻明宏〉

 ゲームマスターが指名してくれた。

〈何か意見があるのかね〉

「通風孔は高い位置にある」

 口をついて、そんな言葉が出てきた。

「普通の人間はそんなところから撃てない。かろうじて背の高い人間なら腕を伸ばして撃つことは可能かもしれないが、それは正確な射撃を犠牲にする。背中を狙って二発も撃ち込むなんてことはできない」

〈その通りだね〉

 ゲームマスターの、その反応が。

 俺の神経を昂らせた。なるほど。そうか。この裁判は。告訴側、探偵側の発言に対してきちんとした反論ができれば、最後の審判を下すゲームマスターを言いくるめることができるのだ。

「銃撃の方法について、理論が不十分だと思います」

 俺が静かに告げると、大関未菜は少しばかり表情をひきつらせた。彼女としても想定外の反撃だったのだろう。当たり前だ。今までの被告側は誰一人としてに反論しなかったのだから。

「銃撃の方法。その理論についてこれから述べたいと思います」

 しかし大関未菜はそう言ってのけた。俺は内心、静かに微笑むと彼女の出方を窺った。

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