第35話 クラブの目的
〈『同意』しよう〉
ゲームマスターが、そう発した瞬間。
俺は膝から崩れ落ちそうになった。喜びだろうか、安堵だろうか、罪悪感だろうか、絶望だろうか。
どれとも分からない感情で俺は何もかもを放棄した。告訴台に手を突き、体を支え、からからに渇いた口の中を舐めた。前歯に舌がくっついた。唇がねちゃりと音を立てた。
〈若槻明宏〉
ゲームマスターが、ハッキリした声で告げた。
〈君はゲームに勝った。勝ち抜いた。おめでとう。賛辞を贈るよ〉
俺は目線を上げて大関未菜を見た。彼女は項垂れて、被告台の上でじっとしていた。彼女の目が何を見ていたのか分からないが、俺はこうして、無事、自分の罪を彼女に着せた。俺自身の偽の潔白を、証明してみせた。
ついに我慢の限界が来て、俺はその場に座り込んだ。胸の奥から深いため息をついた。何度もついた。何度もついた。
〈さて、君には特別なプレゼントを与えなければならないね〉
俺の頭上でゲームマスターがつぶやいた。
〈今から三十分後にまたここへおいで。素晴らしいものを贈ろう〉
素晴らしいもの……?
俺は空っぽになった頭でゲームマスターの言うことを考えた。何だ? 素晴らしいもの? このゲームを生き残ったことに送られる賛辞? この屋敷からの解放じゃないのか?
そう考えたところで、色々な疑問が――このゲームをやっている時に感じた色々な疑問が――一気に頭の中を駆け巡った。俺は呼吸を浅くした。
――迷宮入り事件の犯人ばかりを集めて謎解きゲームをさせる理由は?
――参加者の中に一名、殺人事件とは一切関わりのない一般市民を巻き込む理由は?
――事件の解決として正しいか、ではなく、あくまでゲームマスターが納得できるか、に焦点を絞った理由は?
――大関未菜がした致命的なミス。〈阪根峠バイク刺殺事件〉で分かっていたはずのことを何で〈
いや、それだけじゃない。他にもおかしいところはいくつかあった。
――お互い蹴落とし合うはずの参加者が簡単な理由で結束した。あれは、何故……?
――大関未菜は俺が資料を見せろと言ったら躊躇いもなく見せてきた。自分の存在を危うくする存在に、何であんなに素直に……?
分からないことだらけだった。俺は息を止めると一生懸命頭を働かせた。だが無駄だった。今ある少ない手がかりからだけじゃ何かをハッキリさせるなんてことは不可能だった。
〈若槻明宏〉
ゲームマスターが、労わるような声を出した。
〈疲れただろう。二階の娯楽施設でくつろぎたまえ〉
と、「あの部屋」から男たちが数名、現れた。
被告台の上にいる大関に近寄ると、そのまま両脇を固めて歩き出した。
告訴台にいる俺と、すれ違う時。
大関未菜は、何故か微笑んでいた。俺にはその笑顔が、何だか堪らなく不気味なものに、見えてしまった。
*
ビリヤードをする気も、映画を見る気も、水泳をする気も起きなかったので、俺は再びリラックスルームへと向かった。一日に何度もカイロプラティックとやらを受けて効果はあるのか、果たして謎だったが全身の筋肉が凝り固まっている気がした。
部屋を訪れた俺を、さっきの女性が出迎えてくれた。子供を虐待で殺したとかいう女性。子供を惨殺したとかいう女性。
「ゲームはどうでしたか」
裸になり、背中をほぐされながら。
女性の質問に、どう答えていいか分からなくなる。楽しかったわけもなく、ただただ苦しい遊戯だったのだが、しかし妙な達成感もあり、一概に悪い経験だったとも言えない、何かがあった。その何か、は名状しがたかった。だから俺は黙っていた。
「勝ちましたか」
「勝ったからここにいるんです」
俺がそう返すと、背中を押していた女性の手が一瞬、弱くなった気がした。女性は続けた。
「それは、おめでとうございます」
「いや、正直、その……」
俺は素直な疑問を口にした。
「このゲーム、勝ったらどうなるんですか? それについての説明が一切なくて、ただ『自分の罪を隠せ、他人の罪を暴け』とだけ……」
「それ以上のことはございませんよ」
女性は俺の腰の辺りをほぐしながら続けた。
「あなたは勝ったのです。それだけを誇りに思ってください」
それから数十分に及ぶ施術を、俺は黙って過ごした。そうやってほぐれた体を動かしながら、俺は廊下に出て漠然とスマホの時計を見た。ゲームマスターの言っていた三十分まで、後少し時間があった。俺は図書室に向かった。
*
アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』は名作だ。
俺が置かれた状況によく似たこの作品を手に取って、俺は思った。この島に集められた人たちは、どんな恐怖に苛まれながら過ごしたのだろう。一人、また一人と消えていく状況を、どう思いながら過ごしたのだろう。
そんな空想にふけりながら手にしたこの本は、いやに邪悪なものに思えた。俺は心臓が震えるのを感じ『そして誰もいなくなった』を書架に戻した。時計を見ると、三十分が迫っていた。俺は食堂へ向かった。
*
中に入ると、温かい料理があった。
立派なステーキ。鉄板の上で音を立てている。最初に食べたのもステーキだったが、あっちは少し小ぶりの品のいいやつだった。今目の前にあるのは違う。これがアメリカンとでも言うような、でかくて迫力のある肉だ。
天井からはモニターが展開されていた。必然、ゲームマスターが映っている。
〈若槻明宏〉
食べたまえ。と、示してくる。
俺は席に着くか迷った。すると俺の胸の内を察したかのように、ゲームマスターが笑った。
〈大丈夫。ただの食事だよ。怪しいものは混ぜちゃいない〉
何ならそこの執事に食べさせるといい。
ゲームマスターがそうつぶやくと、「あの部屋」から老執事が姿を現した。娘を殺したとかいう、あの白髪頭の執事だ。
――そこまで言うなら。
俺は静かに席に着いた。それからナイフとフォークを手に取り、柔らかい肉にずっと、刃を突き立てた。ぎしぎしと肉を割くとフォークで突き刺し口に運ぶ。肉汁の爆弾が口の中で爆ぜた。何度も噛む。食い応えのある肉だった。
〈勝利の味だ〉
ゲームマスターが告げた。
〈楽しみたまえ〉
やがて俺が、食事を終えた頃。
執事が皿を下げ、食後のコーヒーでも、と言われ一服している時に、ゲームマスターが話しかけてきた。それは今さら過ぎる話だった。
〈ところで君は、このクラブの目的が何か、ゲーム中に気になったりはしなかったかね〉
「なった」
俺はコーヒーを啜りながら答えた。
「犯罪者を集めて、一般人を混ぜて、謎解き大会をさせて、一体何がしたいんだ」
するとゲームマスターが一瞬黙った。それから告げた。
〈テストだよ〉
「テスト?」
〈ああ、テストだ〉
するとその言葉を合図にしたかのように。
「あの部屋」のドアが開いた。そこからぞろぞろと、あいつらが姿を現した。
小室竜弥、富樫敦也、高松優子、松代真帆、貝塚聡、そして……。
大関未菜。
ぽかんとする俺を前に、大関未菜が近づいてきた。それから俺に、手を差し伸べてきた。
「おめでとう。あなたもクラブの一員だよ」
「クラブの一員……」
何を言っているのか分からなかった。しかし大関未菜が続けた。
「ここは迷宮入りクラブ。さまざまな迷宮入り事件の犯人が集まるクラブ」
「入会テストってやつさ」
小室竜弥が笑った。
「君は自分の罪を隠し、他人の罪を暴き、そして、自分の罪を他人に着せた」
富樫敦也がふんと鼻を鳴らした。
「機転、発想、論理的思考力。全て高いとみなされた」
高松優子がしゃべった。何だか彼女の見た目にふさわしくない理知的なしゃべり方だった。
「状況の判断も的確だった。窮地に立たされても諦めなかった」
松代真帆が温かな目線を送ってきた。
「そして何より、同じ犯罪者に対して敬意も払っていた。合格だ。若槻明宏」
最後に告げたのは貝塚聡だった。そこでようやく俺は悟った。
――迷宮入り事件の犯人ばかりを集めて謎解きゲームをさせる理由は?
謎解きを迫られていたのは俺だけだったんだ。
――参加者の中に一名、殺人事件とは一切関わりのない一般市民を巻き込む理由は?
クラブに関係ない人物は俺だけだったんだ。
――事件の解決として正しいか、ではなく、あくまでゲームマスターが納得できるか、に焦点を絞った理由は?
詭弁を使えるか試されていたんだ。
――大関未菜がした致命的なミス。〈阪根峠バイク刺殺事件〉で分かっていたはずのことを何で〈
敢えて隙を見せたんだ。そこを的確に突けるかどうか試すために。
――お互い蹴落とし合うはずの参加者が簡単な理由で結束した。あれは、何故……?
俺に対する危機的状況を作ったり、あるいは俺が共犯関係を築けるかテストしていたんだ。
――大関未菜は俺が資料を見せろと言ったら躊躇いもなく見せてきた。自分の存在を危うくする存在に、何であんなに素直に……?
あの段階に辿り着いたところで、俺の合格はほぼ確定していたんだ。
全てに納得がいった。あまりのことに俺は口をパクパクさせた。さっき食べたステーキを吐きそうだった。すると大関未菜が笑った。
「最初は驚くよね」
「だけど安心していい」
貝塚聡も笑っていた。
「これで君はクラブの一員となった。以降、君はクラブの保護下に置かれる。クラブの人間は警察内部にも及んでいるため、よほどのへまをしない限り逮捕される心配はない。そして今まで……クラブの会員で、逮捕されてしまった人間はいない」
〈君は特別な人間になれたのだよ〉
ゲームマスターも笑っていた。
〈私たちの目的は……〉
ゲームマスターがつぶやいた。
〈私たちの世界をよりよくすることだ。この私たち、は、我々殺人犯のことだ〉
大関未菜が笑った。それからハッキリと告げた。
「さぁ、持っていって。自由を!」
*
老執事の案内で、俺は屋敷の外、車止めのポーチに立っていた。やがて黒塗りの車がやってきた。俺は執事に戸を開けてもらいながら中に入った。
「ゲームはいかがでしたか?」
運転手が訊いてくる。俺は答える。
「スリリングだったよ」
「私も最初は、そうでした」
「あんたもあのゲームに?」
「生きた心地がしませんでしたよ」
「そうか」
俺が小さく笑うと、車は静かに動き出した。斜面を滑るようなその運転に、俺は改めてクラブの大きさと力、その偉大さを思い知らされた。
そしてこの時になって、俺は気づいた。
コートのポケットに、ブルドッグを入れていたことに。
了
迷宮入りクラブ 飯田太朗 @taroIda
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