第11話 糾弾

 自分の罪を隠せ、他人の罪を暴け……。

 言葉の通りだ。俺は俺の犯罪を隠し通し、他人の犯罪を暴かねばならない。

 ただ、この言葉が実際どれだけの強制力を持つかが謎だった。「告訴」されて「同意」となった犯人はあの部屋の向こう……何だか裁判所みたいな、大きな台と小さな被告台に分かれたあの空間の向こうに連れていかれるようだが、別室に連れていかれる程度じゃ大したペナルティではない。あのドアの向こうに何かが待っているのか。あのドアは地獄の口で、その中には凄惨な何かが待っているのか……。

 ここは資料室。事件についての、警察の捜査資料がまとめてあると言った。そんな情報、一体どこから入手したんだ? 警察関係者がこの屋敷にいるのか? そうだとしたら何で俺を……俺たちを泳がせているんだ? この屋敷の目的は? 疑問符ばかりが頭を駆け巡ったが、しかし思い悩んでいても誰も答えてくれそうになかった。

 いや、むしろ、それどころか。

 動き出す奴がいる。富樫、それに貝塚聡――食堂で俺の隣に座っていた奴だった――そして松代真帆。その後に何人か続いた。場に残っていたのは俺だけだった。

 貝塚聡は巨大な書架にすっと手を伸ばすと、これまた大きなファイルを、いくつか手に取った。

 それらを抱えてあの、大きな机の前に行く。

 俺はあいつがどの事件を調べ始めたのか気になった。あいつは書架の中のそれぞれ違う場所から資料を持っていった。俺は何とはなしに見てみた。書架の、空いている場所を。


〈石槫荘密室殺人事件〉

〈雑居ビル占い師殺人事件〉


 どうも資料には『事件全貌』『採取された物的証拠』『捜査官の所感』という分類があるようだが、貝塚聡が持っていったのは俺の事件と誰かの〈雑居ビル占い師殺人事件〉の『事件全貌』だった。まず大まかなところを把握しようとしている。ざっくり何が起きたか調べようとしているのだ。あいつがどんな基準で俺の事件と〈雑居ビル占い師殺人事件〉を選んだのかは分からない。分からないが脅威だった。いや、脱落後に連れていかれる部屋が何らかの恐ろしい部屋だとしたら、だが。早めに脱落すれば意外にも、楽な方に転べるかもしれない。

 しかし黙ったままでいる必要はない。

 俺は踵を返すと〈資料室〉を出た。そのまま左に折れて、あの質素な階段を上っていく。事件現場の再現部屋。その中からひとつを選んで調べることを決意する。

 廊下をぐるぐる回った。カーブした廊下は、やはり一周することができる造りになっていて、一番最初に見た〈阪根峠バイク刺殺事件〉から順に回っていって俺の事件、そしてその隣に地下へと通じる階段があり、さらにその隣には一周回って〈阪根峠バイク刺殺事件〉があるという、円環状の構造になっていた。俺は適当に廊下を歩くと、二番目の部屋……〈田間マンホール死体遺棄事件〉の部屋に入った。

 簡素な現場だった。そして、暑い。

 アスファルトの床。うっそうと茂った植え込みがいくつかある。ツツジか? 葉っぱの形に見覚えがある。背が高い木は百日紅だ。紅色の花をふさふさと咲かせている。ちょっと大きな植え込みで、その分ゴミなどの投棄物も多かった。びっくりしたのはマネキンの頭だ。多分美容師が練習に使うようなやつ。いや、しかし、植え込みなんか見ている場合ではない。

 外された鉄の円盤はカタリと穴の縁に傾けられていた。俺は穴の中を覗いた。

 丸い何かがぽかんと浮かんでいた。死体、らしい。まぁ、死体遺棄事件とあるのだからそうだろう。梯子があるので、穴から降りて死体を引っ張り上げることは可能だった。しかし臭かった。異様な臭いだ。鼻がひん曲がるというか、鼻腔より先に空気を通すことを体が拒否するというか。正直、これ以上この穴の傍にいるのは不快だった。俺は穴の傍を離れた。

 風が吹いている。じりじりと暑い。蝉の声。夏の現場なのだ。着ている上着を脱ぎ棄てたくなる。だが俺は素早く部屋から退散すると廊下で息を整えた。呼吸をする。吸って、吐く。

 死体――それが例えイミテーションとはいえ――を見たのと、急な気温の変化に息を止めていたのかもしれない。いや、シンプルに腐敗臭を嗅がないよう呼吸を制限していたのか。何にせよ、この部屋をこれ以上調べるのは健康上の害が出そうだ。

 他の部屋も回るべきか。少しの間考える。だが、手広くあれこれやるよりも、一つの事件に絞って考える方がいい気がした。その点、貝塚聡とかいう奴はあまりいい手をとっていない気がした。あいつはふたつも調べている。

 階段を下りて、資料室に戻った。室内には貝塚を含め三人しかいなかった。書架を見る。ファイルがなくなっている、つまり閲覧中のものがある棚は俺の〈石槫荘密室殺人事件〉と〈雑居ビル占い師殺人事件〉〈坂西川原女子高生殺人事件〉〈阪根峠バイク刺殺事件〉だった。それぞれ『事件全貌』と『採取された物的証拠』がない。俺の事件もそうだった。必然警戒心が高まる。

 多分、あいつだ。俺は貝塚聡を見た。あいつが俺の事件を調べている。じゃあ、俺もあいつの……と考えようとして失笑してしまう。あいつがどの部屋か分かったら告訴すればいい。逆も同様。あいつはあの資料が誰の部屋か分からないまま調べている。決定的なことが分かるまで逃げ続ければいい。逆に言うと、変なアクションは起こさない方がいい。

 俺は書架を見つめた。俺も〈田間マンホール死体遺棄事件〉について調べよう。そう思ってファイルの背表紙に目を走らせていると、妙な一冊を見つけた。それは書架の左端、どの事件にも属さない箇所にぽつんと置かれていた。俺はそれを手に取った。

『参加者名簿』

 そうあった。俺は開いた。


〈小室竜弥、富樫敦也、高松優子、貝塚聡、若槻明宏、大関未菜、松代真帆〉


 どうもこのゲームの参加者のようだ。それも、貝塚聡と大関未菜が俺の両隣にいることから、あの食堂での並びということになる。俺は記憶の糸を手繰り寄せた。それぞれ名前と顔を一致させる。さっきの、言い争いの場面とも。

 童顔の、何だか少年みたいな見た目の男が小室竜弥だ。MA-1ジャケットを着ている。中肉中背、と言うべきか、あどけないと言うべきか。あまりパッとしない奴。すぐに自分が冤罪だと叫んだ小心者。この期に及んで逃げようとしている。

 目つきに危険そうな輝きがある化粧の濃い女が高松優子。茶髪のミディアムヘア。この見た目をした人がみんなそうとは言わないが、なるほど殺人でもしそうな女である。ギラギラした目。きつそうな顔。こいつもさっき逃げようとした。言っていることも滅茶苦茶だった。

 背がすらっと高いモデル体型の中年が富樫敦也だった。顔も飄々とした表情というか、こんなゲームに巻き込まれても我が道を行きそうな気配のある男。実際あいつ、俺たち参加者に「冤罪者は名乗り出ろ」と提案するような奴だった。どうもあの画面の男に自分のペースを乱されるのが嫌らしい。

 貝塚聡。今俺の資料を読んでいる男。賢そう。年齢も若い――と思われる――。肩幅が広くてがっしりしている。男性らしい男性だ。短く切られた髪が整髪料でぴんと立っていた。逃亡生活においてもお洒落に気をつかうタイプなのか。

 何だか絵本に出てくる人魚みたいに長くてウェーブした黒髪なのが松代真帆。落ち着いているが目の奥に宿っている光がやばそうだった。炎のような、というよりは、魚の腹みたいな、鋭利な輝きのある女だった。白くてほっそりした指が妙な恐怖心をあおってくる。

 そして、大関未菜。

 俺の妹に似ている女。記憶の中で色々な角度からあの女を見てみた。やっぱり、よく似ている。胸の中がざわめき立つくらいには似ている。何がそんなに? 目か? 口か? 

 そんな風に俺が頭の中で参加者の特徴をまとめていた時だった。

 ぱたん、とファイルを閉じる音が聞こえて、椅子が引かれる音がした。誰かが立ち上がった。と思ったら女の声が聞こえた。

「……見てるんですよね」

 俺は振り返った。でかい机の傍。ちょこんと立っていたのはあの女だった。

 大関未菜。俺の妹に似ている女。

〈……見ている〉

 天井から声がした。それはあの、モニターの中の男だった。主人、とかいう。

「告訴します」

 大関未菜が静かに告げた。俺はびっくりして彼女を見た。

〈ほう、ほう〉

 主人が嬉しそうな声を上げた。それから続ける。

〈では全員、食堂に来てもらおうかね〉

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