第12話 阪根峠バイク刺殺事件

 食堂に戻るとあの天上のモニターが展開された後だった。映し出されていたのはやはり砂嵐を背景にした黒い男。彼は淡々と告げた。

〈告訴をしたのは大関未菜だね〉

 俺の背後から、つかつかと大関未菜が歩み出てきた。

〈誰をどの部屋の罪で訴えるのかね〉

 大関未菜はまっすぐ歩くと、柵に囲われた台の向こうの、大きな机に――おそらくは原告席に――立った。それから告げた。

「高松優子を『阪根峠バイク刺殺事件』の犯人として告訴します」

「えっ、ちょっと……」

 俺の左横にいた高松優子――化粧が濃い、茶髪のミディアムヘアで、目のギラギラした女――が声を荒げた。

「何だって言うのよ。何を根拠にそんな……」

 しかし大関未菜はにべもなく告げた。

「それをこれから話すんでしょう」

 静かになった。この場にいる発言権を持つ人間は大関と高松だけになったということが俺たちには理解できた。そして大関が突き放し、高松が返答を保留したということは、この場には沈黙が流れたということだ。

〈被告人、高松優子〉

 モニターの男の言葉を合図に、「奥の部屋」からぞろぞろと黒服の男性が数名姿を現した。高松優子の表情が固まった。

〈被告席へ。その柵に囲われた台の上だよ。出廷命令を拒否しても構わないが、その場合は何らかの強制的手段を以てあそこに立ってもらうことになるね〉

 高松優子が唇を噛みしめた。それから、助けを求めるかのように俺たちに目をやった。だが誰も応えない。しばらくそんな、無意味なメッセージが送られ続けた後、高松優子は観念したように歩き出した。被告台の上に立つ。

〈原告、大関未菜による、『阪根峠バイク刺殺事件』の全貌だ〉

 画面の中の男が楽しそうに告げた。

〈始めたまえ〉


 *


「まず本件を整理します」

 大関未菜が話し始めた。

「大阪と奈良の間にある阪根峠と呼ばれる場所で、ガードレールにぶつかるような形で停車しているバイクが見つかりました。通りがかった車の運転手が声をかけてみると、バイクの運転手である飯塚良純がふらふらと立ち上がり「ウサギ」と言い残して息絶えました。車の運転手が確認すると、飯塚良純の胸には深々と果物ナイフが突き刺さっており、エンジンがかかりっぱなしのバイクの足下には血だまりができていました」

 大関はここで一息ついた。

「以下は〈資料室〉の資料、『事件全貌』に記載されていた内容です。被害者である飯塚良純は、事件発覚の直前……具体的には通りすがりの車の運転手がガードレールにぶつかったバイクを発見する三十分前まで峠の麓にある居酒屋で宴会をしており、食事の最中いきなり、同席していた友人に『おっ、電話や。出てくるわ』と告げ、三回ほど中座しています。そして三回目の電話から帰ってきた後、飯塚氏は友人に『やばめな案件やからちょっと行ってくるわ』と言い残して居酒屋を去りました。宴会に参加していた飯塚氏の友人によれば、電話の相手は同氏が『以前床屋で会った奴』らしく、バイクが趣味という共通項があったことから度々話題に上がることがあったそうです」

 大関はここで一呼吸置いた。

「続いて同じく〈資料室〉にあった『採取された物的証拠』によれば、現場で確認できたのは僅かな車のタイヤ痕、多量の血液、それから靴のタグと思しき布の切れ端一枚のみでした。タイヤ痕は薄く車種やタイヤの型番そのものを特定するには手がかりとして弱く、最低限それが自動車のタイヤであること以外分かりませんでした。靴のタグも市場に流通しているありふれた靴で、やはりこれからも容疑者の特定は難しい様子でした。ただ、飯塚良純の靴ではないことが分かっています。彼は革製のバイクブーツを履いていた。続いて多量の血痕について調べたところ、どうも飯塚良純の血液以外にももう一名、別の誰かの血が流れていることが明らかになった」

 俺を含め、何人かの人間は固唾をのんで成り行きを見守っていた。ラフな格好をした女の子が、検察官よろしく淡々と現場の状況を告げていくその場面は見ごたえがあったし、目を覚まさせるような何かがあった。俺は大関未菜の、眠たそうだが真剣な目を、しっかりと見た。何だか小さい頃、兄妹喧嘩をした時の華代を見ているようで、俺は、そう、涙が出そうになっていた。

 大関は続けた。

「また、事件発覚時飯塚良純氏が告げた『ウサギ』という言葉についてですが、警察の聞き込みと、飯塚氏の電話の通話記録を見るにどうも『宇佐木正臣』という男性のことを指しているのではないかという線が浮上しました。警察は事情を聴くべく彼の元を訪れますが、問題の宇佐木も事件の日を境に行方不明になっていることが分かりました。ただ宇佐木のバイクが阪根峠の現場から数十メートル離れた道端で発見。バイク発見地点からは緩やかな崖が続き、そのまま川へと続いていたため、警察は宇佐木が飯塚を殺害し逃亡したと判断。彼を指名手配しますが、その後有力な情報はなく、ここで捜査の糸は切れます。本件は果たして『迷宮入り』となりました」

 被告席の高松優子はひどく居心地が悪そうに尻を動かしていた。男の劣情をくすぐるようないい形の尻だったが、柵の中だとどうも間抜けに見えるのが難点だった。

「本件の真相を明らかにするために、資料『捜査官の所感』にある『飯塚良純の検死報告書』を参照します」

 大関は淡々と続けた。

「検死報告書によると、飯塚良純氏は『右下腹部を深く突き刺された上に傷口を抉られたことにより大量出血。失血死』とあります」

 大関は目線を上げてちらりと高松のことを見つめた。

「傷口の詳細について。『鋭利な刃物で刺突されたのちに反時計回りのひねりを加えられたことで動脈が切断されたものと思われる』……反時計回り。この言葉に注目してください」

 大関はいつの間に持っていたのだろう、黒光りする立派なペンを取り出して、それを宙に向かって突き出すと、ぐいっ、と捻ってみせた。

 それから彼女は決定的なことを口にした。

「犯人は左利きです」

 何故なら。大関は続けた。

「右利きの人間が突き刺したナイフをひねると、よほど不自然な手首の使い方をしない限り時計回りに刃が抉られるはずです。ところが飯塚氏の死体の傷は反時計回りに傷が抉られていた。これは、犯人が左手で飯塚氏を刺したことを示しています。そして、人を殺すという重大な行為を実行するに当たって、利き手でない方の手を使う人間は相当限られてくるでしょう。刃のひねり方から犯人は左利きであったと考えることは妥当だと思われます」

 俺たちの目線が高松優子に後頭部に、背中に、尻に、集まった。待てよ、待てよ。そうだ、さっきの食事で。


 ――俺の隣の隣。つまり貝塚聡の隣にいた女が何やらナイフとフォークを扱いにくそうにしていた。慣れない食器だから仕方がない。俺だって箸の方がいい。

 ――〈小室竜弥、富樫敦也、高松優子、貝塚聡、若槻明宏、大関未菜、松代真帆〉……食事の際の席の並び順。


 俺の隣の隣。貝塚聡の隣。高松優子がナイフとフォークを扱いにくそうにしていた。俺の中に雫が一滴垂れた。そうして心が静かになった。

 ああ。

 何だ、そういうことか。

「高松優子さん。あなたは先程の食事の席で、ナイフとフォークを扱いにくそうにしていました。左利きの可能性があります。他の皆さんは食器を扱うのに苦労はしていなさそうだった。つまり右利きである可能性がありますね。しかしもちろん、これだけでは根拠薄弱です」

 それから大関未菜は、きゅっとペンのキャップを外して見せた。それからモニターの中の男に向かって告げる。

「ご主人、被告人ほか本ゲームの参加者に右手で名前を書かせる許可をください」

 モニターの男は快諾した。

〈構わんよ〉

「それでは、まずあなたから」

 大関未菜の目が、俺の目を突き刺した。

 俺か。俺に書けと言っているのか。

 しかし何ということはない。俺は大関未菜が用意していたらしいメモ帳とペンを使って紙面に堂々と「若槻明宏」と書いた。悪筆だったが、まぁそれらしきものは書けた。それを見て大関未菜は納得したように頷いた。

「続いてあなた……次にはあなた……」

 そうやって順々に、ゲームの参加者に右手で名前を書かせた後、大関未菜は被告席の高松優子に向き直った。それから告げた。

「最後です。どうぞ右手でお名前を書いてください」

 高松優子はしばらく黙っていた。いや、しばらくなんて言葉じゃちょっと足らないくらいの長い間、沈黙を守っていた。が、やがて観念したように右手を出すとペンを握った。震える手で、名前を書く。大関が成果物を取り上げ、掲げた。

「字の美醜を別にしても……」

 大関未菜が紙面の名前を示した。

「少々不細工が過ぎるかと」

 そこにはやたらめったらに線が伸びた「高松優子」の名前があった。明らかに利き手じゃない方で書いた、角ばって、線が伸びて、読みにくい、みっともない……。

「ご主人。ゲームマスターと呼んだ方がよろしいですか?」

 大関の言葉に、画面の男は答えた。

〈好きに呼んでくれ〉

「ではゲームマスター。私の発言は以上です。審判を」

 しばしの沈黙が――と言ってもこっちは息を継ぐ間のほんの一瞬だったが――流れた後、ゲームマスターは告げた。

〈私は……大関未菜の告訴に同意する〉

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