第10話 束の間

「これよりゲーム開始といたします。ご質問、ご相談、事件の解決に関与しない範囲でしたら受け付けます。いつでもおっしゃってください」

 老執事が丁寧に頭を下げた。整髪料で綺麗に撫でつけられたそれはとても美しく光を反射していた。誰かが訊いた。

「あなたも殺人犯?」

 執事は答えなかった。しかし質問者は手を緩めない。

「誰かを殺したの?」

 やがて俺を含め全員が好奇の目を向けると、執事が噛み潰すようにつぶやいた。

「……娘を」

 唐突に滲み出た感情に、俺は少し当惑してしまった。しかし質問の主は構うことなく訊き続けた。

「他の屋敷の方々も人を殺した人たちなの?」

 老執事は丁寧に答える。

「当クラブは『迷宮入りクラブ』でございます。古今東西、迷宮入りした事件の犯人が集まるクラブにございます。『迷宮入り』が条件ですので、中には人を殺していない者もいます。警察の手を逃れた犯罪者。それらが集まるクラブだとご理解いただければ」

「じゃあ、さっきモニターの人が言っていた冤罪の人、って言うのも、もしかしたら『殺人はしてないけど犯罪者』、例えば窃盗犯だったりするってことか?」

 背の高い男性が訊ねた。執事は答えた。

「無垢なる羊は真っ白な羊でございます」

「犯罪者じゃないということか」

「さようでございます」

「おい、冤罪者。やっぱり名乗り出ろ」

 のっぽがぶっきらぼうにつぶやいた。

「そいつを除けば六つの部屋に対して六人になる。主催者だか何だか知らない、あのモニターの男の思惑通りにはいかなくなる」

 するとすぐさまMA-1ジャケットを着ていた男が手を挙げた。

「俺! 俺無罪! 人なんか殺してない。殺すわけないだろう? ほら、こんなだぜ?」

「そんなこと言ったら私も殺してない」

 あの、華代に似た女の子がつまらなそうに告げた。実際つまらないことが始まりそうだった。華代に似た子が続けた。

「私に殺せると思う?」

「嘘つけ! 嘘つけ!」

 MA-1ジャケットが叫ぶ。すぐに茶髪のミディアムヘアが同調した。

「私もやってない! 人殺しなんてするわけないじゃん! ねぇ、何かの間違いで何人か普通の人が紛れたってことない?」

 老執事が静かに返した。

「あり得ません」

 茶髪女がヒステリックに叫んだ。

「そんなわけないじゃん! 私やってない!」

「俺も! 俺もだよ!」

「無益な言い争いだな」

 のっぽの言葉に俺も同感だった。こんなところに集められた上にあんな部屋まで見せつけられたのだ。この屋敷の体制に抵抗するだけ無駄だ。大事なところは握られている。

 無罪の人間が出ろ、という提案をしたのはのっぽだったので、彼はこの展開に苦い顔をした。それからため息をついた。

「悪かったよ。俺の提案がまずかった。じいさん、あんたの言う通りだ」

 のっぽが老執事に詫びた。執事は「だから言ったのに」とでも言いたげに黙った。

「一人以外みんな殺人犯ってことね」

 黒髪ロングの女が、何故か悲しそうな顔をした。さっき喚いたMA-1ジャケットと茶髪女とは違って落ち着いている。一口に殺人犯と言っても色んな奴がいるようだ。まぁ、当たり前か。同じ職業でもいろんな人がいるように、殺人犯にもいろんな人がいるのだ。中には全く逆の性質を持つ奴だって、いるに違いない。

「一人を除き、全員あの部屋のどれかの犯人」

 貝塚聡とかいう、さっき食堂で俺の隣にいた男がつぶやいた。賢そうな顔をしていた。本能的に、こいつはやばいな、と思わせる何かがあった。目つき、顔立ち、口の利き方、全てが俺の警報を鳴らした。人を見た目で判断するのは失敗の元だが……。彼は続けた。

「……この際だ。自己紹介でもするか?」

 ほら、こういう冗談が言えるあたり、やっぱり危ない奴だ。

「俺は貝塚聡。お前は?」

 貝塚が背の高い男に話を振る。彼は目線を逸らすとつぶやいた。

「富樫敦也」

「よろしく富樫」

 すると黒い髪を肩まで流した女がつぶやいた。

「私は松代真帆。……ねぇ、この自己紹介意味ある?」

 貝塚は肩をすくめた。

「やりたくなけりゃやらなきゃいい。察するにこのゲームは情報戦だ。名前ひとつとっても手がかりになる」

 貝塚のその言葉で全員黙った。重すぎる空気に圧し掛かられた気がして、俺は息を吐いた。

「……もうゲームは始まっている」

 しかしそんな空気の重みを振り払ったのも貝塚だった。彼は頬の端を歪めながらつぶやいた。

「なぁ、このゲームの最初の脱落者、当てようぜ」

 少なからず、不快な提案だった。

 しかし誰も断らなかった。この貝塚とかいう男は場の空気を支配するのが上手い。そういう職業に就いていたのか? 弁護士とか、そういうの。

「せーの、で指すぞ」

 せーの。

 富樫、とかいうのっぽに貝塚から一票。

 MA-1ジャケットと茶髪ミディアムはお互いに一票ずつ入れていた。

 富樫は松代真帆とかいう黒髪ロングを指していた。

 そして松代真帆と華代にそっくりな子が俺を指していた。

 一方、俺はと言えば……。

 出遅れて、誰にも指をさせなかった。構えただけの人差し指が腹の横で震えていた。そう、俺は、震えていたのだ。

 そして一番票を集めたという事実も俺を困惑させた。どうも俺が最初に消える見込みが高いらしい。二人が何を思ってそう判断したのかは、知らないが。



 細江を殺した時のことを思い出していた。

 屋根から上半身だけを垂れさせて、上下逆さまになった状態であいつの背中を撃った時のことだ。あの時は憎しみしかなかった。ほんの少し怒りもあった。罪への悔恨は皆無だった。ただただあいつを殺したかった。

 今でもあの行動に後悔はない。ああするしかなかったしああすべきだった。その思いは揺るがない。

 だが今、こうしてあの時のことを掘り返されてゲームにされてみると、やはり何だか、胸の奥に来るものがある。縫合したばかりの傷をほじくり返されるような何かがある。

 他の参加者も同じなのだろうか、と見渡してみる。

 誰が最初に脱落するか、の投票の後、俺たちは何から始めればいいか困ったように、しばしの間雑談をしていた。MA-1ジャケットと茶髪ミディアムは相変わらずわーわーと喚いていたが見苦しかった。松代と貝塚は打ち解けたようだった。富樫は興味深そうに室内を見渡していた。華代によく似た女の子は……つまらなそうに、床にじっとりした目線を落としていた。俺は何を見たらいいか分からなくなってしまって、一人ため息をついた。嫌でも上の階に意識が行った。細江の人形が炬燵に突っ伏しているあの現場部屋へ。

 なかなか動き出さない俺たちを見て、老執事が少しじれったそうな顔をした。するとその雰囲気を敏感に感じ取ったのか、貝塚聡がにやっと口の端を歪めると、つぶやいた。それは宣戦布告だった。

「俺には一人、当たりがついている奴がいる」

 するとそれに続くように、華代によく似た子が口を開いた。

「……私も」

「えっ、えっ」

 茶髪が狼狽えた。

「どうして……? もう何か、分かったの?」

「さぁ?」

 貝塚が意地悪く笑う。

「調べてみるんだな。これはそういうゲームだ」

 茶髪女が反感的な顔になる。MA-1ジャケットが縋るような顔になる。

「お、俺じゃないよな。俺は違うんだ。俺は無罪なんだ」

「まだそんなこと言ってる」

 松代真帆が鼻で笑った。

「そういう猿芝居いいから」

「ここで話していても進まない」

 のっぽの富樫が動き出した。

「俺は早速駒を進めさせてもらう」

「じゃあ、俺も」貝塚が続く。

「私も」松代が動き出した。

 そういう感じで全員、それぞれのペースで動き出した。俺は最後まで残ってぼんやりとみんなの背中を見ていた。やっぱりあいつら、人を、殺したんだろうか。

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