第24話 どちらか

 切り抜けた……どうにか切り抜けた! 

 二度の危機を乗り切ったことで俺の頭はいよいよ興奮の絶頂だった。調子がいい。調子がいいぞ。後はこの冴えた頭を事件の解決にも使えればいいところなのだが……しかし俺には、気になることがもうひとつあった。

 ゲームマスター。その余裕。そして完璧なまでの――埃の跡ひとつとっても――再現。

 このクラブの目的は何なんだ? 殺人犯を、それも迷宮入り事件の犯人ばかりを集めて何がしたい? 殺し合い? 潰し合い? だがそんなものを見て何になる? 遺族か? 遺族が復讐をしたくてこんなことをしているのか? 

 ……無理がある気がした。そもそもあそこまで細かく分かっているならとっくのとうに警察に突き出しているだろう。そうすれば国家権力の元、確実に裁きを与えることができる。しかし裁判による制裁以外では納得できない遺族がいるとしたら……犯人を、愛しい存在を殺した犯人を、じわじわじわじわと、嬲り殺しにしたい欲求があるとしたら? 

 しかしそれでもやはりあの再限度の高さが気になる。あそこまで調べられたのはどうしてだ? 警察の情報まであるぞ。どうやってそんな高度な情報を? 事件関係者だから得られたというのは無理があるし、やはりあそこまでの情報を集められる理由がないのだ。

 分からん。分からない……。ゲームの目的は何だ? クラブの目的は何だ? 何がしたいんだ? 何をさせたいんだ? 

 思いばかりがぐるぐる回った。が、すぐに考え直した。こんなことを考えている暇があったらさっさと他人の事件を解決させた方がいい。クラブの目的は全員潰してからでも何とかなる。それに俺にはもうひと仕事、重大なミッションが待っているのだ。


 ――俺の事件の罪を誰かに着せなければならない――


 そう、六つの部屋に対して七人の参加者とはすなわちそういうことを指していた。一人冤罪がいる。冤罪者のゲームの目的は自分の潔白を示しこのゲームを逃げ切ること。誰が冤罪だ? 誰がかわいそうな人間だ? しかし、このことを考えるとやはり次の問題に行き当たった。


 ――冤罪が一人いるということは、ただの一般人が紛れ込んでいることになる――


 この館で扱われている情報はいずれもトップクラスの重要度を誇るものばかりだ。そんな情報に一般人がアクセスできたとなっては、様々な問題が発生し得る。仮に、もし例えば、冤罪の人間が逃げ切ったとしよう。冤罪者がこのゲームに勝ったとしよう。その後この館のゲームから解放されたとして、そいつはゲームのこと、またそこで扱われた事件の全貌について生涯黙っていられるのだろうか? いや、もしかしたらクラブのオーナーが……ゲームマスターが何らかの口止めをするのかもしれない。だがそんな約束簡単に破れないか? 命がけでこのクラブを告発したら、クラブはどうするつもりなんだ? 

 謎しかない。謎しかなかった。だから今は目の前のトラブルに集中せざるを得なかった。誰かを蹴落とす。それが冤罪の人間だろうと、本物の殺人犯だろうと関係なくそいつを蹴落とす。そうしなければならない。そうしなければ生き残れない。

 頭を働かせた。必死になって考えた。

 だが〈坂西川原女子高生殺人事件〉からはこれ以上情報を得られない気がした。あれだけ見て回って、何も思いつかなかったんだ。きっとこれ以上考えても何かが分かる見込みは低い。苦渋の決断だが……〈坂西川原女子高生殺人事件〉を手放そう。

 となると、残るはあれか……。


〈忰田団地首吊り事件〉


 最初の巡回の時にあの部屋を見てから少し時間が経っている。もう一度見直さないといけない。

 俺は食堂を出ると真っ直ぐに上階を目指した。廊下を歩いて、〈忰田団地首吊り事件〉の部屋へ行く。鉄の扉。団地なんかによくある、薄い鉄板のドア。

 開けるとがちゃりと音がした。ゆっくり隙間を広げていく。死体はすぐに目に入った。窓からの光で、影がくっきり映っていたからだ。

 てるてる坊主みたいな首吊り死体。靴を脱いで中に入ると――何だか滑稽な習慣だったが――畳の床を踏みしめながら死体の傍へと向かった。回り込んで、顔を見る。紫色。何で出来ているのだろう。シリコンか? とても精巧で、不気味さも残酷さも、ありありと感じられた。不意に胸やけがした気がして、俺は死体から目を背けた。ぎし、とロープが軋んだ音がした気がした。

 改めて部屋の中を見渡した。

 キッチンの乱雑さに比べて、他の部屋に家具は少ない。大きなテーブルがひとつ、どかんと置いてあるだけで、他に棚やテレビの類は一切置いていなかった。まぁ、一昔前と違って今時テレビを持たない人間なんてざらにいる。ネットの情報の方がリアルで手軽だからだ。報道という眼鏡を通さない分、自分好みの形式で情報を得られる。この部屋の主が何歳なのか知らないが、まぁそれなりに時流に染まった人間であることは想像できた。きっと団地に部屋を借りているのも、経済的に楽をするためだろう。こういう集合住宅の類はエレベーターも奇数階とか偶数階とかにしか止まらず、自分の部屋の近くの階で止まってから階段を利用するなりして出入りするのだろうな。そんなどうでもいいことを考えながら、俺は居間からそのまま繋がっている襖の向こうの部屋を見た。押入れがあり、布団があった。ベッドで寝るタイプの人間ではないらしい。この部屋もやはり家具がほとんどなく、だだっ広い空間だけがあった。いや、もしかしたら、この被害者は本当に死ぬつもりで身辺整理をしたのかもしれない。あるいは自殺を装うために犯人が片づけをしたか。そうだとしたら相当用意周到で、かつ大掛かりなことをする犯人だ。

 いくらか気持ちが落ち着いてきたので、俺はもう一度死体人形を見た。

 かわいそうだった。

 何故かそんな、憐憫の気持ちが湧いてきた。何故だろう、と思ったが、理由は分からなかった。俺は死体人形を下ろしてやりたい気持ちに襲われた。

 何かで縄を切るか。

 そう思って部屋を見渡すと、台所の流しの近くにキッチンバサミが置かれているのが目に留まった。刃の大きさは十分だろう。あれで縄を切ってやれば……そう考えてあることに気がついた。

 そうだ……そうだ……あの時見えていたじゃないか。何で気づかなかった……何で分からなかった! 俺は奥歯を噛みしめた。そうして自分の中で浮かんだ論理について、必死に検討し直した。特に、特に矛盾はない。強いて言うなら、を目にしたのが俺だけだという一点が苦しかったが、しかし〈阪根峠バイク刺殺事件〉の時もそうだった。いや、あの時は実際に利き手を確かめたのか。となると俺も何か確認しないと駄目か? 色々考える。そうして、あるハッタリを思いつく。

 俺はキッチンバサミを手に取った。それから、空いている手で挙手をした。

〈若槻明宏〉

 天井から声が聞こえた。俺はそれに向かって告げた。

「告訴したい」

 スピーカーの向こうで、ゲームマスターが笑った気がした。

〈受け付けるよ〉

 それじゃあ食堂へおいで。彼の――彼女かもしれないが――言葉を受けて俺は歩き出した。ポケットにキッチンバサミを入れる。かちゃりと何かの音がしたが、俺は気にかけず鼻をすすった。

 きっと、冬場の再現なのだろう。

 空調の風が頬を首筋を撫でていった。俺が鼻をすすったのは、きっとその風のせいだ。

 この部屋は、寒すぎる。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る