第25話 坂西川原女子高生刺殺事件
食堂に着いたのは俺が最初だった。俺のことを警戒しているのか、あるいは何か渋る理由があるのか。俺が一人で告訴台に立ったところで、まず大関未菜が食堂のドアを開け、続いて貝塚と松代が二人でやってきた。こいつらの中で誰か一人が冤罪になるわけだが、彼は、あるいは彼女は、何を思ってこんな災難を受け入れたのだろう。そんな、今この場ではどうでもいいことを俺は考えた。だがそんな雑念はすぐに追い払わなければならなかった。
〈さて、若槻明宏〉
天井が展開して、モニターがにゅっと姿を現した。俺はちょうどその背中が見える位置に立っていたのでゲームマスターの顔は見えなかったが、しかし声はいやにハッキリ聞こえた。きっとスピーカーが別でつけられているのだろう。声は続けた。
〈君は誰をどの事件の犯人として告訴するんだね?〉
俺はすぐに答えた。
「松代真帆を〈坂西川原女子高生殺人事件〉の犯人として告訴したい」
俺の目線の下で、松代真帆が表情を凍らせた。それからハッキリと拒絶の態度を示した。「いや、いやよ」そうつぶやくのが聞こえた。
〈松代真帆。私は女性に暴力的な態度に出るのはあまり好まないんだ〉
〈阪根峠バイク刺殺事件〉の高松優子には強行的な態度に出たくせによく言う。俺はそう思ったが口にはしなかった。やがて、「あの部屋」から男たちが数名出てきた段になって、松代真帆はさらに表情をこわばらせると、おそるおそるといった体で被告席に着いた。柵の中で、彼女は小さく震えている……ように見えた。
〈若槻明宏〉
ゲームマスターが俺に話しかけた。
〈始めたまえ〉
俺は深呼吸をした。それから告訴台を下りた。
「話を始める前に、皆さんにお願いがあります」
俺は手にメモ用紙を一枚持っていた。それは告訴台に置いてあったやつで、三十センチ四方くらいの割と大きな紙だった。それから俺はポケットの中からハサミを取り出した。〈忰田団地首吊り事件〉の現場にあった、キッチンバサミだ。俺はそれらをまず、大関未菜に手渡した。俺は彼女に告げた。
「この紙をこのハサミで切ってください」
大関未菜は俺のお願いにしばしぽかんとしていた。俺はまず紙を手渡した。それから、キッチンバサミを手渡す前にこう告げた。
「ハサミが見えるようにして切ってください。紙とハサミを掲げて」
言われた通りに大関未菜が紙とハサミを掲げて切ろうとする。切った。その場面はゲームマスターにも、他の参加者にも見えていた。彼女は親指と人差し指、中指をハサミの持ち手に引っ掛け紙を切った。次に貝塚聡に告げた。
「同じように。紙を掲げてハサミを入れて」
貝塚も大関と同じようにする。二つの切込みが入れられた紙を持って、俺は松代真帆の元へ向かった。
「同じように紙を切って」
松代真帆が、紙とハサミを掲げ切ろうとする。親指と薬指に持ち手をかけ、ぱさりと……。
しかしハサミが入る直前、俺は松代真帆の手を掴んだ。
「……これです」
俺の発言に場が静かになった。
これ。俺が指したものは、松代真帆のハサミの持ち方だった。親指と、薬指を持ち手の部分に引っ掛けている。独特なハサミの持ち方。彼女だけがしたハサミの持ち方。俺が松代真帆と二人で〈坂西川原女子高生殺人事件〉の部屋にいた時に、彼女が見せた手の動かし方。
と、松代真帆は俺の言いたいことに気が付いたのか、ばっと手を引いて抵抗した。その拍子に、ハサミが床に落ちてがちゃんと音を立てた。
「ゲームマスター。今の場面を覚えておいてください」
スピーカーの向こうの声が答えた。
〈覚えたよ〉
「それでは告訴を始めます」
俺は告訴台に戻って話を始めた。松代真帆も、それから大関未菜も貝塚聡も、黙って俺の話を聞いていた。
*
「事件の経緯を説明する」
俺は資料室の資料を思い浮かべながら話した。
「茨城県の坂西川の川原で、全裸にされた上に頭を丸刈りにされた女子高生の遺体が見つかった。特徴に乏しく身元の特定に苦労したが、事件前数日にわたり捜索願が出されていた女子高生、洲崎実姫と断定。捜査が始まる」
俺はちらりと松代真帆を見た。彼女は虚ろな目で、じっと床を眺めていた。
「死亡推定時刻近辺で、坂西川原近辺の監視カメラの映像に、洲崎実姫の姿が残っていた。洲崎はバイト先のコンビニのベンチでしばし横になっていた後、客の男性にそれを見咎められてその場を離れた。次にバイト先から一キロ離れたバス停で見つかり、その三十分後、バス停から五十メートル離れた自販機の前に姿を現した。奇怪なのはここから。彼女はその後四回にわたり警察に連絡していた。いわく、『謎の男につけ回されている』」
貝塚が一瞬眉をゆがめたような、気がした。
「その後の洲崎の足取りは分からず、翌朝、彼女は遺体になって発見された。先述の通り、衣服も髪の毛もはぎ取られた形で」
ぐすっと、大関未菜が鼻を鳴らした。
「『謎の男性』。これが怪しいと考えることはできる。だが待ってほしい。洲崎実姫は何を以てその怪しい人物を男性としたのか?」
〈ほう〉
ゲームマスターが息を吐いた。
「不可解な点はまだある。何故服を剥いだ? 何故髪を切った?」
俺は一息継いだ。
「持ち帰りたかったんじゃないか? 俺はそう仮説を立てた」
静かになった。俺は続けた。
「洲崎実姫は特徴的な髪型をしていた。胸までのロングにピンクのメッシュ。それから事件当日、彼女はワンピースを着ていた。Honeysというブランドの秋の新作で、背中にホックがついていて、スカート部分にはドレープがついている、柔らかい印象のワンピース。腰にはベルトがついていたが、あいにくそれはどのブランドのものかは分からなかった。まぁ、学生なので、UNIQLOとかGUとかのものだろうと判断された」
もっとも、ベルトについては仮説の域を出ない。だがまぁ、そんなことはどうでもよかった。俺はさらに、話を続けた。
「資料室資料、『捜査官の所感』によると、『現場は夜だと真っ暗で、この状況下で衣服を奪ったり髪を刈ったりするのは至難の業』との旨記載されていた。俺は『衣服を剥ぐ』点に着目した」
捜査官はおそらく男性だ。俺はこの意見を強調する必要があった。
「記載主は『僕』と言っている。男性と見ていい。そして男性だと、確かに女性の衣服を脱がすのに苦労はする。特に真っ暗闇の中だと余計に。しかし女性なら? 女性ならある程度服の構造を理解していればすんなり脱がせられるんじゃないか?」
ここに来て最初の「謎の男性」に話が戻る。
「『謎の男性』も実は女性が変装していただけなんじゃないか? 監視カメラの映像に映った謎の人物も、『身長百六十センチ後半台』とある。女性でも十分あり得る」
お前は……と、俺は松代真帆を示した。
「洲崎実姫に何らかの感情を抱いていたな? それが友情なのか愛情なのかはさておき、お前は洲崎実姫に並々ならぬ感情を寄せていた。お前の身長は百六十後半くらいありそうだもんな。監視カメラの映像の条件ともぴったり一致する。加えて、女性だ。女性の服を脱がすこともできる。さらに……」
俺はちょきちょき、と指でハサミを使う動作を示した。
「お前は美容師だな? 先程の『捜査官の所感』では『暗闇の中で髪を切るのも至難の業』とあった。だが美容師ならそういう芸当ができてもおかしくない。まぁ、暗闇の中だから普通のカットとまではいかなかったんだろう。だが切ることはできた。つまり洲崎実姫には『美容師が髪を適当に切ったんじゃないか』という痕跡が残っているんだ。そして俺たち参加者の中で、美容師はお前だけだ、松代」
〈いいかね〉
ゲームマスターが訊ねてきた。
〈松代真帆が美容師だとした理由は何かね〉
「ハサミの持ち方だ」
俺は端的に告げた。
「大関未菜と貝塚聡は、『ハサミで紙を切れ』という指令に対し、親指と人差し指、中指を使って遂行した。だが松代真帆は親指と薬指を使って切った。シザーの握り方だ」
松代真帆が目を見開いて震えていた。俺は構わず話を続けた。
「『現場に美容師の影があり』、なおかつ『参加者の中に美容師は一人だけ』。以上が俺の告訴だ」
〈素晴らしい〉
ゲームマスターが俺を称えた。
〈実に素晴らしい推理だったよ。ブラボー〉
拍手、が聞こえた気がした。それを合図にしたかのように「あの部屋」から男たちが姿を現した。
「そっか、もう、駄目だね」
松代真帆が項垂れた。それから彼女は男たちに両脇を固められて連れていかれた。後には静寂だけが残っていた。
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