第26話 ベストな手順

〈松代真帆はずっと恋人がいないことに悩んでいた……〉

 松代真帆が「あの部屋」に連れていかれた後。

 ゲームマスターは、やはり静かに続けた。

〈長年の悩みだった。愛を知らなかった〉

 だが、と一拍間があった。

〈それは愛の対象として男性を見ていたからだった。いつもの通勤の途中。松代真帆は彼女を見た。洲崎実姫だ〉

 俺はあの部屋の人形を思い出した。頭を刈られ、素っ裸にされた。

〈運命の出会いだった。少なくとも松代真帆はそう思った。それから松代は通勤のバスで洲崎を見守るようになり、やがて生活圏を把握し、偶然を装ってそこへ行き、視界の端に常に洲崎がいるような状況を作り上げた。この時、普段の自分で会うのが恥ずかしかった松代は、自分の身長を活かして男になりすましていた。不思議なもので、いつもの自分と違う恰好をすればどんな大胆なことでもできた〉

 松代真帆のことを考えた。自分を偽ることで出せる自分。そんな自分も、確かにいるのかもな。

〈すれ違った。同じ店に入った。やがて距離を縮め、ある時話しかけてみた。洲崎は素直ないい子で、男装している松代にも屈託なく接してくれた〉

 そして、それから歯止めが利かなくなった。

 ゲームマスターの声が、落ち着いているからだろうか。

 ひたひたと、胸の奥に何かが迫ってきた。

〈いつも自分を見てほしいと思った。自分の傍に、隣に、いてほしいと思うようになった。だが洲崎には仲良くしている男子がいた。松代は嫉妬に狂った。自分のものにしたい。そう思うのは当然だった〉

 大関未菜がじりっと床を踏みにじった。俺は視界の端でそれを見ていた。

〈その頃には洲崎とある程度親しくなっていた松代は、『ある男子が会いたがっていたよ』と洲崎に夜のバス停を提示した。あの町の夜のバス停、と言えば恋人同士が密かに会う場所だ。洲崎実姫は複雑な感情を示した。しかしもし、あの仲のいい男子が来てくれるなら。洲崎実姫はバイトの後適当に時間を潰し、それからバス停に行った〉

 事件簿にあった内容と繋がり始めた。

〈しかしバス停で待っていたのは松代だった。それも、少し離れたところでぼんやり洲崎を見ているといった待ち方だ。松代にはこの期に及んで洲崎に話しかける度胸がなかった。果たして洲崎と松代の攻防が始まった。不審な男性に警戒を見せる洲崎。近づきたくても近づけない松代〉

 不審な男性につけられている……あの通報はそういうことだったのか。

〈男子も来ない。変な奴に付きまとわれている。洲崎は帰ろうとした。しかし松代はそうさせなかった。暗闇の中彼女に近づくと手をかけた。華奢な洲崎は意外にもあっさり死んだらしい。殺した後、松代は迷った〉

 松代の荒い息が聞こえてくるような気がした。

〈殺してしまった。もう洲崎は帰ってこない。ああ、愛しの女性が……松代は、何とか洲崎の痕跡を自分の手元に残そうとした。その思考の果てが髪と衣服だった。松代は洲崎の死体を引きずって川を渡った。あたかも酔い潰れた知人を負ぶって帰っている体を装って反対側の岸へ向かった。川は行政の境目だったので、現場を移すことで捜査の攪乱を狙おうと思ったのだ。そうして運んだ橋の下で、松代は洲崎の衣服と髪を奪った。本当は洲崎の体そのものを持ち帰りたかったが……それが許されないことは、松代の中の僅かな理性がハッキリ告げていた〉

 当時松代が感じた緊張がありありと伝わってくるかのようだった。

〈松代は逃げた。草をかき分け、少し周りを見渡し何か落ち度がないか調べながら帰った。死体が見つかったのは翌日だった……〉

 すると、まるで関心を失くしたかのように、天井のモニターが格納されていった。後に残されたのは俺たち三人だった。大関がため息をついた。



 どっちだ? どっちが団地の犯人だ? 

〈坂西川原女子高生殺人事件〉の告訴の後、俺は必死に知恵を絞った。残る部屋は俺の〈石槫いしぐれ荘密室殺人事件〉と〈忰田団地首吊り事件〉だけだ。大関未菜か貝塚聡か、どちらかが〈忰田団地首吊り事件〉の犯人だ。

 俺は悩んだ。どっちも犯人でありそうだし、どっちも冤罪の人間たり得る。しかし俺には悩んでいる暇なんてなかった。こうしている間にも、大関未菜も貝塚聡も、俺の事件を調べ出すだろうからだ。

 さっき王手まで迫った大関未菜を何とかした方がいい。

 それは自明だった。自明だったが、間違えた告訴をする余裕は俺にはなかった。告訴ミスは一回の発言権喪失を意味する。強制的に沈黙させられた時、大関未菜と貝塚聡の袋叩きにあっては……勝てる見込みがない。

 確実にどちらかを落とさねば。そうして残り二人にまで残ったところで、俺の部屋の罪を相手に着せなければ。そう、このゲームの難しいところはそれだった。。このゲームでの生き残りはすなわち身の潔白の証明になる。クロの自分をシロだと言わなければならない。

 このゲームの最難関はそこな気がした。これまではひとつの真実にかすりさえすればよかったのが、急に真実をゆがめる作業に早変わりする。正直、俺は自分の〈石槫荘密室殺人事件〉を大関未菜か貝塚聡に着せる方法の道筋が一切思い浮かばなかった。証拠は何も二人を示していないのだ。でっちあげるか、適当な言い訳をつけてゲームマスターを納得させる他ない。

 どうするか……。

 ベストな手順は、俺の〈石槫荘密室殺人事件〉の罪を誰かに着せた後、じっくりと残った〈忰田団地首吊り事件〉の犯人を追い詰めることだろう。しかし自分の罪を他人に着せるなんて大仕事をやっている内に大関未菜と貝塚聡の二人の内どちらかが俺に辿り着いてしまいそうだ。二人はもう俺に目をつけている。俺が〈石槫荘密室殺人事件〉の犯人だと確信している。

 となると〈忰田団地首吊り事件〉の犯人を炙り出すべきか……。

 いや、この場合真犯人を見つけ出す必要はないのだ。二人の内どちらかを〈忰田団地首吊り事件〉の犯人として脱落させる。それができればいい。それさえできればいい。

 やはり情報だ。とにかく情報がいる。

 俺は食堂から抜け出すと再び階上を目指した。ひたすら歩いていると、いつの間にか〈忰田団地首吊り事件〉のドアの前にいた。安っぽい鉄の扉を、俺はゆっくりと開けて入った。



 キッチンに置かれたテーブル。雑多なものが置いてある。チラシの束――裏紙にでもする予定だったのだろうか――、食べかけのヨーグルト、放り出された箸、傾いたテーブルクロス、中に水の入ったペットボトル。

 椅子がひっくり返っている。日常的にこうだったのかは分からないが散らかっていることこの上ない。 

 居間が質素なのに対しキッチンだけ妙に生活感に溢れていた。俺は死体のぶら下がっている居間へと向かった。

 やはり、普通の団地より個性を出そうとしたのか。

 天井の近くに奇妙な梁があった。死体はそこにロープをかけてぶら下がっていた。遺書か何かないものか、と思って死体の足下やその近辺を探したが何も見つからなかった。あったのは畳を汚した糞尿だけだった。

 窓の外を見る。

 壁紙で再現された窓の外の世界は、何だか妙に長閑のどかだった。何故か小さなため息が出た。薄っぺらい紙で再現されただけの景色に、俺は安堵感を見出していた。

 と、背後で物音がしたので振り返った。

 俺の視線の先。丸い頭が見えた。オーバーサイズの服。俺はハッと息を呑んだ。

 大関未菜……。

 俺の妹と瓜二つの女が、玄関口に立っていた。彼女はまるで、俺なんか見えない、とでも言うかのように黙って部屋の中に入ってくると、色々と物を眺めはじめた。やっぱり俺と同じように、キッチンのいろいろなところを見て、ため息をつき、冷蔵庫や電子レンジ、流しを見て、最後に炊飯器の中をちらりと覗いた後、再びため息をついた。俺はゆっくり彼女に近寄った。

「何から見ていいか分からない」

 俺は素直な感想を口にした。

「〈雑居ビル占い師殺人事件〉の時もそうだった。現場に物が多すぎて何も分からない」

「それはあなたの目が曇っているから」

 ハッキリとダメ出しをされてしまった。

「見るべきものを見ていれば、答えはおのずと見つかるはず」

「そのセンスが俺にはなくてな」

 視線をつい、と薄汚れた壁に移す。染みの模様が何だか人の横顔みたいで、俺の心がぶるりと冷えた。

「君には何か分かったかい」

「分かったとして、あなたに共有するわけがない」

 俺は笑った。

「まぁ、そうだよな」

 しばらくの沈黙の後、大関未菜は「何で私に構うの」と純粋な質問を口にしてきた。俺は素直に答えることにした。君は俺の妹に似ている、と。

「他人だよ。他人の空似」

「分かっているさ」

「大事な妹さんだったの?」

 俺は一瞬、言うべきかどうか迷ったが、どうせそこまでは辿れているんだ、と諦めて口にした。自分の内側を吐露するというのは――しかも罪の告白をするというのは――すごく度胸が要った。

「妹のために人を殺した」

 俺は今度は床を見た。

「妹のために人を撃った」

「それ、言っていいの?」

 いい気がした。だから俺は本心を告げた。

「君に敗れるなら、それはそれでありだ」

 すると、この時初めて大関未菜が笑った。

「変なの」

「ああ、変さ」

 俺は再び視線を泳がせた。今度は天井を見る。雨漏りでもしたのだろうか、やっぱり染みがあった。今度はそれが人の口に見えて、やっぱり俺の肝は冷えた。

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