第23話 クレセント

 食堂に入ってみると真っ先に告訴台の上に立った貝塚聡が目に入ってきた。天井のモニターはもう展開しきった後で、ゲームマスターが優しく俺を出迎えた。

〈待っていたよ、若槻明宏〉

 やっぱり、俺だ。俺を告訴したんだ。

〈君は被告席に立つんだ〉

 言われた通りにした。俺は柵の中に立った。



「本件の説明は省く。おおまかには大関が話した内容と変わらない」

 貝塚は静かに、だが厳かに話した。こいつのこの堂々とした態度が妙な説得力を持つことは俺もよく理解していた。

「現場再現の部屋を見てきた。あそこは確かに密室だった。窓には鍵がかけられた上にシャッターが下りており、玄関のドアにも鍵がかかっていた……執事さんが部屋を開ける時、確かに鍵を開けたからな。玄関に鍵がかかっていたことは俺たちも確認済みってわけだ」

 俺は被告台の上で静かに笑った。何故笑ったのかは分からなかったが、頬が軽く緩んだのだ。もしかしたら絶望的な状況に対する皮肉だったのかもしれないし、もしかしたら改めて不可解状況を説明されたことによる満足感だったのかもしれない。

「物理的密室だった。実は鍵は開いていて閉まっているように見えただけでしたとか、犯人は中に隠れていて事件発覚と一緒に現場に駆け付けたように見せかけただけでした、なんて小賢しいものじゃない。物理的に閉ざされている空間での犯行だった。これは間違いない」

 やっぱり堂々と物を言う。こいつのこういうところに惹かれる女も、いるんだろうな。よく見たらなかなかの好青年じゃないか。きっとモテるんだろうなぁ。そんな、告訴を受けた人間が考えるにしては呑気すぎることを頭に浮かべた。妙な余裕だなぁと自分でも思った。

「大関が言った通風孔のカバーは確かに気になる」

 貝塚は傍聴側にいる大関の方をチラッと見た。

「だがあれはもしかしたら犯人が『ここは密室だった』、つまり『物理的に第三者が侵入できる場所じゃなかった』、ひいては『他の誰もがそうであるように、自分も犯行に及ぶことは不可能だった』ということを示すためだけの小道具かもしれない。犯人はどうしても密室という箱を作りたかった。通風孔のカバーはもしかしたら箱の蓋なのかもな」

 俺は小さく息を吐いた。貝塚がこれからどんな論理を展開するのか、先が全く読めなかった。が、読めないなりに楽しめた。俺はそう、この場を楽しんでいた。

「蓋を作れば、当然そっちに意識がいく。出入口の痕跡があれば、当然そこを調べたくなる」

 貝塚は続けた。

「でもそれがハッタリか、フェイクだったとしたら? 通風孔に捜査側の意識を持っていって、本当は別の場所から出入りしたのだとしたら?」

 ほお、そうか。

 なかなか面白そうな理論を組み立てるんだな、と俺は内心感心していた。

「俺は通風孔が犯人の出入り口だったとは考えない。三十センチ四方の穴を人が出入りできるとは思えない。穴を通じて銃を撃ったという考え方にも同意しかねる。さっき大関の告訴が棄却されたのと同じように、どうあっても体勢に無理があるし、そもそも素人にそんな正確な射撃ができるとは思えない」

 素人に……素人に! 

 そうさ。素人には通風孔を通じて人を撃つなんて芸当は確かに出来ないかもしれない。けど射撃部にいた俺の実力なら……貝塚の理論は既に破綻し始めている。

「犯人は部屋の中に入って細江を射殺した。それから部屋を出て、外から密室条件を作った。俺はそういう論理で話しを進める」

 は、はは。

 俺は笑いを堪えるのに必死だった。もう間違えてる……もう失敗している! この時点で俺がやるべきことは明確だった。既に大外れしているこの論理の穴を、的確に指摘してゲームマスターに出鱈目を信じ込ませないようにする。ただそれだけのことだった。

「俺が注目したのは窓だ。現場になった石槫いしぐれ荘の窓。そのクレセント。かなり古いタイプだった。シンプルに鉤を輪っかの中にはめ込むだけというような、そんな造りだ」

 ほう、ほう。

 その窓からどんな推理を打ち立てるんだ? 

「続いて窓の外を覆っていたシャッター。石槫荘に限らず一般的なアパートでも一階二階部分にはあるような設備だな。これも調べた。多分、ロックか何かが馬鹿になっているんだろうな。二つある内の一か所のシャッターは外からでも開閉できることが分かった。玄関入ってすぐ正面の窓のシャッターだ」

 細江の部屋に、限らない。

 あのアパートはどこもかしこも古くなっていた。窓につけられたシャッターが壊れていたなんてことはよくあることだった。俺はそれをよく分かっていた。華代の部屋もそうだったからだ。細江が戸締りをした華代の部屋にベランダ伝いに侵入できたのはシャッターが馬鹿になっていたからだし、多分これから貝塚が指摘するような特徴が窓にあったからだ。

「シャッターは簡単に開けられた。では窓は? 窓はどうやって開けられた?」

 貝塚が余計なためを作った。下らん演出はいいからさっさと話せと俺は思った。

「さっきも言った通り、窓のクレセントは古い型だった。当然、窓枠自体も古い。窓と窓枠の間に微妙な隙間があることを俺は確認した。ついでに、窓と窓枠に糸がこすれたような跡がないか俺は調べた。結果から話そう。なかった。犯人は窓を使って部屋を出た後、テグスの類で外から鍵をかけ、シャッターを下ろしたわけではない。そういうことは分かった」

 そんな手の込んだことができるなら、もっと別の方法であいつを殺している。俺は馬鹿なのだ。馬鹿だから馬鹿らしい方法でしかあいつを殺せなかった。テグスなんて猪口才ちょこざいな真似はしない。

「だが窓と窓枠の間にあった隙間。これは利用できた。俺は試しに窓を揺すってみた。窓の振動はクレセントにも影響を与えた。つまり、窓を揺すれば外からクレセントを多少操作することができた」

 下らん。下らん話だ。俺はため息をついた。何だ、貝塚聡はこの程度の男だったのか。

「クレセントを、鉤穴の上に少し乗るような形で固定する。その後窓から外に出て、クレセントがついている方の窓を外からガタガタ揺する。振動によってクレセントが鉤の穴の中に落ちる……もちろん、確実に落ちるわけではないが、クレセントは穴に落ちるか穴に落ちないかの二択。確率五十パーセントを何回も繰り返せば、その内……」

「確率五十パーセントを繰り返したら、二分の一、四分の一、八分の一……とどんどん狙った結果が出る可能性が低くなる」

 俺は貝塚の言葉を遮った。

「『クレセントが落ちるか落ちないかを繰り返す』のはから独立試行になる。例えば袋の中に赤白二色のボールが二個しか入っていない時、一個取り出した後にまた一個を取り出すとして、赤が一回でも出る確率は『一回取り出した後にボールを戻してまた二回目を取り出すのか』それとも『一回出したボールは袋の中には戻さず残った一個しか取り出せるものはなくなるか』によって変化する。クレセントを穴の上に置いて落ちるか落ちないかの二択を迫るということは、赤白ボールの例でいうところの前者に該当する。落ちる落ちないは施行の度にリセットされる。一回目落ちなければ二回目は確実に落ちるなんていう状況じゃない」

 俺はちらりとモニターの方を見た。真っ黒い影の男が、静かに微笑んでいるかのように見えた。

「手間がかかりすぎる。しかも窓枠を揺さぶるなんてそれなりに音が出る行為だ。近隣住民は何て言ってるんだ? 銃声の他にガタガタ揺する音が聞こえたとでも言っているのか?」

 俺の反撃に貝塚は黙り込んだ。俺はさらに追撃した。

「まぁ、窓を揺すれるくらいだから力のある男が犯人で、そして今ゲームに残っている参加者の内、男性は自分を覗いて俺だけだから俺が犯人だ、という理屈なのかもな。どうだ? 違うか?」

 貝塚は黙ったままだった。俺はとどめをさした。

「少々無理がある。確率の意味でも、容疑者の絞り込み方の意味でも」

〈……若槻明宏の言う通りだね〉

 ゲームマスターが静かに頷くのが見えた。

〈貝塚聡。ペナルティだ。一回分告訴権を剥奪する。そして大関未菜〉

 ゲームマスターの言葉に大関未菜が顔を上げた。

〈おめでとう。一人の告訴が終わったから君は告訴権を取り戻したよ。励んでくれたまえ〉

 モニターは天井に収納されていった。

 俺は被告台を下りた。

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