第22話 洗濯機の上

「現場となった石槫いしぐれ荘は、洗濯機を共用廊下に置くタイプのアパートでした。二〇五号室の洗濯機も当然外にあります」

 言われてみればそうだった。華代も廊下に洗濯機があることを嫌がっていた。しかし今、その洗濯機は違う意味を持とうとしている。もしかしたらそれは……俺の考えが正しければ……。

「洗濯機を足場にしたとしたらどうでしょう」

 やはり、俺の思った通りのことを彼女は口にした。

「問題の洗濯機は二〇五号室玄関向かって右手側、ドアの隣にありました。これを足場にしたら、通常はどう考えても背が届かない場所からでも……」

「撃てない」

 俺はハッキリと告げた。頬は……緩んでいた。やっぱりそうだ。洗濯機を足場にすることを考えたんだ、この子は。

 俺は否定を続けた。

「撃てない。何故なら玄関向かって右手側に洗濯機があるということは……」

 何だ、不正解なら意外とあっさり間違いを指摘できるものだな。俺は昔、家庭教師のアルバイトをしていた頃のことを思い出した。さっきまであんなに強敵だと思っていた大関未菜が、まるで出来の悪い女子高生のように思えてきた。かわいいものだ。華代に似ているところも、肝心なところで詰めが甘いところも。

「玄関向かって右側に洗濯機があり、それを足場にして撃つとするならば、必然犯人は左手で銃を撃ったことになる。あんた、前に〈阪根峠バイク刺殺事件〉を告訴した時に言ってたよな? 『人を殺す大事な場面で利き手じゃない方を使う人間は相当限られてくる』。あんたが今言った推理の通りだとしたら犯人は左手で銃を撃ったことになる。犯人が左利きではないのなら、そんな正確性を欠いた射撃で人を仕留められるはずがない。ましてや二発命中させるなんてことは不可能だ。そして、俺は、さっき〈阪根峠バイク刺殺事件〉の裁判であんたが証明してくれた通り……」

 俺は右手を挙げた。

「右利きだ。左利きじゃない」

 大関未菜が黙った。そう、あいつは沈黙したのだ。

〈どうしたんだい大関未菜〉

 ゲームマスターが訊ねる。

〈反論はないのかい〉

 しばしの沈黙の後、大関未菜がつぶやいた。

「……ありません」

 心の中に熱い血が湧いた。やった……これはやったのか? 疑惑が確信に変わるのは一瞬だった。大関未菜が項垂れた。

 やった! 逃げ切れた! しかしあまりに露骨に態度に出すと、いよいよ自分の立場が危うくなるので控えておいた。俺は口をつぐんで大関未菜を見た。見れば見るほど華代に似ていた。

〈それじゃあ、大関未菜。ペナルティだ〉

 ゲームマスターの声が響いた。

〈次に誰かが告訴するまで、君の告訴権は剥奪される。沈黙する他なくなったのだ。もちろん、調査自体は続けてくれていい〉

 分かりました、と大関未菜が頷いた。

「しかし、誰かがこの事件の真相に辿り着くと思います」

〈その通りかもしれないね〉

 ゲームマスターはそんな一言を残して天井へと消えていった。俺は被告席を離れた。



 何とかなった……何とかなった! 

 俺は一息つくと胸の中の熱い血潮を鎮めにかかった。危ういところだった。大関未菜はかなりいいところまで踏み込んでいた。あのまま説得力のある材料さえ用意していれば、きっと俺はおしまいだっただろう。

 しかし……と俺は考えた。大関未菜はさっき〈阪根峠バイク刺殺事件〉の裁判の時に俺が右利きであることに気付いているはずだ。どうしてあんな、初歩的なミスを……。

 分からなかった。全く理解できなかった。忘れていた、では済まされない何かがある気がした。実は罠だったとか? 狙っていた何かがあって、俺はたまたまそれを踏まなかっただけなのか? 彼女の意図を探ろうとした。彼女の考えていたことを、探ろうとした。

 しかしいくら考えても答えは出なかった。いや、もしかしたらそれは考える必要のないことだった。終わったことなのだ。俺は無事に告訴をすり抜け、こうしてゲームを続けられる身になったのだから。

 それより俺には、考えるべきことがあった。こっちの方が差し迫った問題だった。

 奴らは――大関未菜と、貝塚聡と、松代真帆の三人は――明確に俺を狙っている! 資料にあった華代の名前もしっかりとバレている。貝塚と松代がこの事実に気づいていたかはさておき、今の告訴でしっかりと内容は伝わってしまった。あいつらは集中的に〈石槫荘密室殺人事件〉を調べるはずだ。俺も、俺も何か、手を打たねば……。

 調査の続きをしよう。

 俺は再び上の階に上がると廊下を歩き〈坂西川原女子高生殺人事件〉の部屋へ行った。流れる川。薄暗い高架下。横たわる死体。

 情報を思い出す。

 洲崎実姫は私服姿でアルバイトに出かけ、その後バイト先のベンチで少しの間過ごし、そのままバス停へ行った。バス停近くの自販機の前に行き、しばらくそこで座り込み、そして不審な男につきまとわれているという通報を警察にした。通報は全部で四回。いずれも「男につきまとわれている」。となるとその謎の男が犯人か? 男が洲崎実姫を殺したのか? しかし俺たち参加者の中に、男はもう貝塚しかいなかった。やはり貝塚が犯人なのか? 必死に頭を働かせる。男が怪しいから貝塚が犯人。そんな浅すぎる答えじゃ済まされない何かが背景にある気がした。

 資料の内容を思い出す……。しかし駄目だった。先程の大関未菜の告訴を退けるという強烈な経験の後ではせっかく仕入れた情報がかすんでしまう。また資料室に行くべきか……俺は再び下の階へ下りる。

 資料室。『事件全貌』と『採取された物的証拠』と見たので次は『捜査官の所感』について参照してみることにした。分厚い本を手に取る。そのままその場で――机で広げてもいいのだが、俺のことを調べている連中の圧を感じながら読むのはしんどい気がした――資料を読んだ。目次に目を通そうかと思ったが、ぱっと開いた先にあった次のような文章に目が持っていかれた。いわく。


 いや、僕、実際に犯人の動きってやつをトレースしてみたんですよ。想定される範囲の条件と情報を全部揃えて、模擬的にね。しかしやってみると思った以上に障害が多い。まず暗い中で殺したい相手を捕捉するのが難しい。必然、暗闇の中でハサミを使って髪を刈るのも難しい。服を脱がせるなんて余計に大変だろうね。ほら、女の子の服って構造が複雑じゃない。犯人は何度か施行を繰り返したのか、それともハサミで服をずたずたにして持ち帰ったのかは分からない。でも体に無理に動かしたような乱れがないんだ。ホトケさんは本当に綺麗な有様だったよ。そう、髪の毛以外はね。


 何かに気づけていない気がした。何かを見落としている気がした。重要な何か。大切な何か。しかしその何かが分からなかった。歯がゆい思いをした。立ち止まっている場合じゃないのだ。こんなところで迷っている場合では……あいつらに時間を与えている場合ではないのだ。しかし刻々と時間は流れていった。俺がこうして唇を噛んでいる間にも時は過ぎていた。

 そして、そう、そんな残酷さを示すかのように。

 天井のスピーカーから声が響いてきた。ゲームマスターの、低くて不気味な声だ。

〈告訴を受け付けた〉

 またか……俺は内心舌打ちをした。どうせ俺を狙っての告訴に決まっている。

〈諸君、食堂へ〉

 くそ、次も知恵を絞って反論しないといけないのか。

 拳を握りながら資料室を出た。

 何故だろう、今度はあっさりと食堂に向かうことができた。

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