第8話 あいさつ

 リラックスルームの隣は映画館だった。その隣は図書室。さらに隣は、学校の美術室のようなアトリエ。そのもうひとつ隣は、プール。

 そんな具合に、ぐるり一周、一通り娯楽ができそうな部屋が続いていた。俺以外にも何人かこのフロアには来ていた。きっと誰かしら何かしら楽しんだのだろう。

 カイロプラティックとやらで体が温まった俺は、図書室へ向かうと本を手に取った。何となくミステリーが読みたかったので、昔よく読んでいた法月綸太郎を手に取ってみた。

『法月綸太郎の冒険』

 短編集だ。俺はこの作品の中でも、『死刑囚パズル』という短編が好きだった。死刑執行当日に殺害された死刑囚。放っておいても死ぬのに何故殺した? 一週間前でも一か月前でもなく何故死刑執行日当日? というミステリー。

 答えは控えておくが、しかしなかなか含蓄のある作品だ。人が忌避する罪とは何か。何が罪悪で何が正義か。考えさせられる。もちろん、ミステリーとしての完成度も高い。俺は頭が悪い。だが頭が悪いなりに頭を捻ることが好きだ。考えるのが好き、とでもいうのだろうか。だからミステリーはよく読む。

 しばらく歩いていると、今度は『ケチャップ・シンドローム』が本棚にあった。これも懐かしい本だった。夏休みの読書感想文に困っていた華代に貸してやったっけ。

 イギリスの女子高生がアメリカにいる死刑囚に手紙で罪を告白する、という筋書きの小説なのだが、女の残酷さは高校時代から既に芽生えているのだな、と思った作品だった。でもきっと、華代なら違う感じ方をしてくれる。そう思って貸したら、やっぱり華代は主人公の女子高生、ゾーイに同情的な感想を書いていた――添削を頼まれたので読んだ――。まるで男性が森鴎外『舞姫』の主人公に同情的な態度をとるかのように、華代はゾーイに心を寄せた。多分華代が『舞姫』を読んだら、信じられない! って怒るんだろうな。高校の授業で扱ったのではないだろうか。その時はどんな気分だったのだろうか。

 しかし、もう。

 こうやって読んだ本の感想について考えることはできても、語り合うことはできない。好きな本について、面白かった本について、語れない。しゃべれない。それが何だか寂しい気がした。だが、自分で選んだ道だ。そう、俺は俺自身を律した。揺らいではいけない。揺らいではいけない。

 と、いうよりそもそも、あの不気味な部屋に自分が起こした事件の現場が再現されている時点で、俺に明るい未来などないのだ。俺の犯行はバレていて、俺と事件とが結びついている。そうじゃないとあんなことをやった上に俺をここに招待するなんて芸当はできない。チェックメイトだ。他の奴らはどうなのだろう。他の部屋も同じく事件現場のようだった。あいつらも俺と同じように詰んでいるのだろうか。

 ただ、気になるのは人数と部屋の数だった。七人に対して六つの部屋しかない。一人余るのだ。どういう意図だろう。どういう意味があるのだろう。考えたが、分からなかった。やっぱり俺は頭が悪い。

 そんな物思いにふけっていると、不意に天井から声がした。少しボリュームの大きい声で――といっても元の発声が大きいわけではなく、おそらくスピーカーの音量設定によるもの――俺はびっくりしたが、しかし声は構わず続けた。

〈お集まりの皆様〉

 おそらく、さっきまで俺たちの面倒を見てくれていた老執事の声だった。

 どこかにスピーカーが隠されているのだろうが、どこを見ても全く見当たらない。よくできている。俺がきょろきょろ探している内にも執事の声は話を続けた。だいたい次のようなことを言った。

〈当屋敷の主人の準備が整いました。つきましては、先程食事をした食堂に集まっていただけますと幸いです〉

 そうか、と俺は素直に図書室を出て、階段の方に向かい食堂へと下りていった。絨毯は相変わらず柔らかくて、俺の一歩を慎重に、吸い込んでいった。



 俺が一番乗りだった。俺が食堂に入った時、そこにはあの老執事を除き、他には誰もいなかった。

 先程食事をした席に着く。ぼんやりと部屋の中を眺めた。あらためて見てみると変わった部屋だった。

 俺が座っているテーブルの向こうには、足場がひとつ、周りの床よりも一段高く作られていた。その周囲を柵が囲っている。手すり、とも取れなくない。何だか裁判所みたいだなと思った。実際、その足場の向こうには大きな、大学なんかである教卓みたいな机が置いてあり、やはりそれも周りの床からは一段――ないしは二段くらい――高い場所にあった。まるで裁判官が着く席のように……見えなくもなかった。

 扉が開く音がして、三々五々、他の人たちもこの部屋に集まってきた。みんな何事かと辺りを見渡している。俺はちらりとあの子を見た。俺の妹によく似ている女。華代そっくりの女。

 他の人間がきょろきょろしているのに対し、彼女はすっと姿勢を正して前だけを見つめていた。その目つきが何だか眩しくて、俺も前を向いた。しばらく静かだった。何も聞こえなかった。

 と、変化はその時起こった。

 天井が僅かな音を立てて展開し、中からモニターが現れた。明かりがふっと息を吐きかけたように暗くなる。部屋の中に不気味な重低音が響いている気がしたが、静かだった。やがて重低音の正体がモニターの動く音だと気づいた。しかしこれが不気味さの正体とは思えなかった。

 やがてモニターは俺たちの前、囲いに覆われた台の真上に辿り着くと、パッと光り輝いた。砂嵐の中、ぼんやりと人影が浮かび上がった。逆光で、顔の辺りがすっかり隠れた、推定男だった。

〈こんばんは〉

 男が挨拶をした。

〈食事は気に入ってくれたかね〉

 誰も答えない。

〈この屋敷はどうかな〉

 沈黙。

〈……嬉しいよ〉

 ちぐはぐな受け答えに違和感を覚える。録画か何かか? しかし確信は持てなかった。

〈さてさて、時候の挨拶はいいかな。そんなのは必要ないだろうね。君たちはちょっと……特殊な人たちだからだ〉

 男は息を吸った。何故分かったかと言うと、聞こえたからだ。すう、という音が。

〈殺人犯諸君〉

 男は確かに、そう言った。

〈迷宮入りクラブへようこそ〉

 迷宮入りクラブ……、と、誰かがつぶやいた。モニターの男が頷いた。

〈日本各地から迷宮入り事件の殺人犯だけを集めたクラブだよ。つまりそう、そういうことさ〉

 全員固まった。どうやら俺以外の人間にも身に覚えがあるようだ。

〈さて、さっきの質問を繰り返すが、どうだろう。この屋敷は気に入ってもらえたかな。二階のフロアにはそれなりに娯楽を揃えておいたんだが……〉

 と、ぶつぶつつぶやいてから画面の男は続ける。

〈諸君になるべくストレスをかけないようにしたいんだ。私はフォアグラの類が苦手でね。ベジタリアンではないんだが、動物に苦痛を与える趣味はない。もちろん君たちにも苦痛を与えたくはない。出来る限りね〉

 静かに語る男には妙な圧があった。まるで、俺の言うことは絶対だ、とでもいうかのような。

〈『人間はその存在のすべての部分において、必ず罪を犯さざるをえない。というのは、人間はその人格の中心において、神から疎外されているからである』〉

 男がそらんじた。何かの引用だと分かった。案の定、男は続けた。

〈パウル・ティリヒというドイツの神学者の言葉だよ。なかなか皮肉が利いていて私は好きでね。人間は大なり小なり罪を犯して生きている。君たちとて、例外ではない……違うかい?〉

 俺は答えなかった。他の誰も答えなかった。

 画面の男は満足そうに続けた。

〈さてさて、本題に入ろうかな。時間は有限だからね。今、こうしている間にも、地球は回っている。回り続けている〉

 それから男は語り出した。全員が聞いていた。執事の靴の音が聞こえた気がした。

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