第4話 招待状

〈あなたがしたことを知っています〉


 謎の封筒を家に持ち帰る。

 心臓がおかしかった。動いているが止まっていた。胸の奥がひんやりして体全体が、心臓に反比例して熱かった。手が、震えていた。まるで薬物依存症患者の禁断症状みたいに、ぶるぶる、ぶるぶると震えていた。俺は部屋に帰って座卓の上に封筒を置き、立ったまま見つめた。しかし何秒、何分、何時間見つめていても何も変わらないことは明白だった。俺は覚悟を決めた。

 意を決して封筒を破くと、三通の手紙が出てきた。一枚目に書かれていたのが先の文言だ。


〈あなたがしたことを知っています〉


 もう一度読んだ。だが意味はなかった。ただの事実のみが書かれていた。この手紙の送り主が俺の罪を知っている。ただそれだけが書かれていた。紙面の文言が炙り出しのように変わることは一切なく、ただ告発の文字だけがそこにあった。

 震える息を吐く。

 誰だ。誰だこんな手紙を送ってきたのは。頭を働かせる。思考を回転させる。だが思い当たる奴はいない。職場でも俺は息を潜めて誰とも交流しないように生きてきたのだ。俺の秘密を知っている人間なんか、俺のことを知っている人間なんか、俺に興味を持つ人間なんか、いない。いないはずだった。しかし目の前の手紙はそれを否定していた。

 紙が震えていた。それは俺の手が震えていることに起因する現象なのか分からなかった。俺は静かに紙をめくった。二枚目の手紙を見た。


〈決定的な証拠を握っています〉


 果たして。

 俺の命運は尽きた。そう思った。再びため息をつく。呼吸まで震えていた。心臓がバクバクと鳴っている。何だ。どういう覚悟をすればいい。どう腹を括ればいい。その答えが、三枚目に書いてある気がした。俺は紙をめくった。そこにはやや長い文言が書かれていた。


〈この手紙は十二月二十日にあなたの元に届くことになっています。三日後、十二月二十三日に以下の場所に来てください。もしこの手紙の確認が十二月二十三日を過ぎていた場合、再度手紙を送ります。チャンスは二回。つまり次を逃せばあなたは警察につき出されます〉


 そう、書いてあった。今日は十二月二十日だ。間違いない。続く半分にはこう書いてあった。意味のなさそうな、数字の羅列だった。


〈36.6779931,137.1144109,8.19〉


 何のことだか分からなかった。文字化けかと思った。しかしそれが地図上の座標を示すことに気づくのにそう時間はかからなかった。俺はスマホを取り出すと、GoogleMapを開き、その座標を打ち込んだ。長くて無意味な数列だったのでやや苦労して打ち込んだ。果たしてある地点が表示された。

 それは隣接県にある山の麓の駅だった。ストリートビューでさらに確認する。錆びた看板。古い書体だ。壁や柱なんかもペンキが剥げ、錆びている。人の気配はない。駅周辺にも、何もない……というか、下手をすればちょっと立派なバス停程度の小さな駅だ。無人駅……かもしれない。

 ここに来い。三日後に。手紙にはそう書いてあった。俺は迷った。考える必要があった。素直にこれに応じていいか、応じるべきか、悩む必要があった。

 クローゼットの方を見た。もしかすると、あれが全てを解決するかもしれない。ブルドッグが、あの日俺の運命を大きく変えたあの拳銃が、再び俺の人生を切り開いてくれるかもしれない。無人駅、なら。撃っても誰も気にしない、かもしれない。いけるかもしれない。

 俺は再びクローゼットに近づくと、アルミシートをめくった。ビニール袋にはホルスターの他に小さな紙の箱が入れられていた。.38スペシャルの弾薬。拳銃としての威力は中程度だ。だから確実に細江の命を奪うために二発撃ち込んだ。だが護身用には十分使える。これがあれば。これさえあれば。

 もう一度銃を取り出してクロスで拭う。念入りに、拭う。そして考える。ひと拭いする度に精神が穏やかになっていった。もう一度殺人を犯すか。もう一度、人を撃つか。悪くない気はした。どうせ一回殺しているのだ。二回も三回も変わらない。そんな気がした。

 危険な思想だとは分かっていた。だが我が身を守らなければ、華代の人生まで狂わせてしまうと思った。それだけは、その結果だけは、どうしても避けなければ。

 だがしかし、脅迫状の――もとい、招待状の――送り主を殺すかどうかは最後まで迷った。

 悩みに悩んだからか、その晩は眠れなかった。翌日は仕事だったが四時頃まで布団の中で悶えていた。寝返りを何度も打った。半分寝ていたが半分起きていた。片足を突っ込んだ夢の中で、俺は部屋の中にいる細江啓二をもう一度撃っていた。いや、二度、三度、四度、撃っていた。それから部屋の中に入って、細江が死んでいるか、背中を蹴って確認した。細江は力なく倒れた。そして気付いた。

 この部屋、俺の……。



「大丈夫かい」

 マネージャーの幸田さんが俺の顔を見て心配した。俺は目線を伏せた。

「ひどい顔だよ」

「頭痛がして眠れなくて」

 まぁ、頭は痛かった。理由はさておき。だから嘘はついていない。

「あの、十二月二十三日のシフトなんですけど」

 俺は意を決して幸田さんに告げた。あの招待に応じるために仕事を休まなければ。昨晩あんなに悩んだ命題に、何故かあっさり答えが出た。決まると口が止まらなかった。

「お休みをいただいてもいいですか。このところずっと続いている頭痛なんです。病院に行きたくて」

「いいけど、そんなに辛いんだったら今日休んでもいいよ」

 俺は知恵を働かせた。今日休むんじゃ意味がない。

「今日はかかりつけの病院が休みで。明日と明後日は、仕事の後にプライベートな用事があるので」

 幸田さんはちょっと首をすくめた。

「分かった。十二月二十三日にお休みね。でも、無理はしないでね。しんどかったら早退して」

「ありがとうございます」

 俺は頭を下げた。腹の中ではこいつがあの脅迫犯だったらどうしてやろうかと考えていた。眉間を銃で、撃ち抜くかもな。弾丸をぶち込まれたら脳みそはおろか顔面が無事じゃ済まない。

 体調不良に見舞われながら働いたその日の仕事は、意外にもあっさり終わった。体を動かしていると心配事を忘れられた。むしろ同僚に褒められた。今日はいつもより、てきぱきしてるね。いい感じだよ。いつも明るい高間さんがそうサムズアップしてきた。俺は曖昧に微笑んでやり過ごした。

 晩御飯として職場から持ち帰った料理は、カレイの煮つけだった。俺の好物だった。甘くて美味しい。栄養も取れる。

 決断したからか、夜はよく眠れた。

 疲れていたからか泥のように眠った。また夢を見た。

 泣いている、華代だった。その手にはブルドッグがあった。

「お兄ちゃん、どうしよう、お兄ちゃん」

 華代の手は濡れていた。赤い血で。

「どうしよう、どうしよう……」

 違う。華代はそんなことしない。

 やったのは……。

 目が覚めると朝の五時だった。俺は昨日の煮つけの残りを食べた。早い時間の朝食だったからだろう。午前十時には腹が減って、俺の胃がぐうと鳴った。



 指定された日に指定された駅に行った。

 ポケットには銃を入れていた。全長二十センチにも満たない銃だ。コートのポケットに入れても目立たない。ちょっとだけ、重たいが。

 電車を乗り継いで駅に向かった。無人駅を目指すローカル線に乗って、車窓の外の景色を見た時、俺は何故か、安堵していた。窓の外を流れる景色が穏やかだったからかもしれない。滑らかに流れていく景色が心を洗ってくれたかもしれない。曇り空の下にうっそうと茂る蔦や葉っぱが俺の心を癒していた。ポケットの銃なんか捨てたい気持ちにさえなった。

 駅に着いた。運賃は前以て払っていたから改札も何もない。俺はゆっくりと駅を出た。点字ブロックさえボロボロの駅だった。

 駅の前には細い車道があった。そしてそこに、車があった。

 黒塗りの、豪華なやつ。

 運転席の外に一人の男性が立っていた。黒づくめの男だった。

「若槻明宏様ですね」

 俺の姿を見るなり男が頭を下げた。

「ご案内します」

「案内?」

 俺はなるべく顔色を変えずに続けた。ポケットの銃に意識をやった。そして訊ねた。

「どこへ?」

 男が答えた。

「Cold Case Club……迷宮入りクラブへ」

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