第5話 迷宮入りクラブ
車に乗るか迷った。銃で脅して手紙のことや俺のこと、洗いざらい吐かせるという選択肢もあった。ただこの黒い男が俺に手紙を送ってきた当人であるかどうか確認が取れなかった。確実ではないことのために拳銃という確実な手段を用いるわけにはいかなかった。
俺が黙っていると、男は後部座席の方に行ってドアを開けた。さぁ。無言だったが、そう言われた気がした。
覗き込むようにして、車内に目をやる。暗い。だが視認できなくはない。目に付く範囲で脅威がないことを探ると、俺はポケットの中の拳銃に手を這わせたまま乗り込んだ。座席は柔らかく、心地よかった。
男が黙って運転席に乗り込んだ。後部座席との間に特に障壁になるものはなかったので、その気になれば拳銃を突きつけて好きなところに行くこともできたが、全く無駄な考えだとすぐに思った。どうにもさっきから思考に遊びがあり過ぎてよくない。
車は静かに走っていた。多分、ダッシュボードの上に水の入ったコップを置いていても一滴も零れないんじゃないだろうか。山を登る道でカーブも多く、またあまり整備されていない道だったが、しかし運転手の腕は確かだった。誰が手配したのか知らないが、よほど金をかけている。
やがて車は停まった。この頃にはもう、俺は外の景色への興味を失くしていて、ただひたすらに床を眺めて今夜の食事について考えていた。何をさせられるのか、何を言われるのか、何が起こるのか全く分からなかったが、せめて今日の夕食は、美味いといいな。そんなことを考えていた。
「どうぞ」
まず男が外に出て、それから俺のいる後部座席のドアを開けた。俺は出るかどうか少し迷ったが、やはりポケットの中の銃に手を這わせて外に出た。空は薄暗かった。日が暮れかけていた。
目の前には屋敷があった。屋敷、というのにちょうどいい大きさの建物だった。二階建て。高さはそれほどなかった。ただ横に広かった。レンガ造りで、屋根の色は濃紺だった。何て言うんだ、こういうのは……大正浪漫、か。
Cold Case Club。迷宮入りクラブだと、男は確かにそう言っていた。迷宮入りクラブ。迷宮入り。俺の起こした殺人事件は、あれから二年、俺という人間が逮捕されていない以上は、捜査が進展していないのだろう。迷宮入りとも、言えるのかもな。クラブということは何か面白いことでもするのだろうか。殺人犯を呼び出してレクリエーションでも……やはり思考が遊びすぎてよくない。
すると俺の目の前で、屋敷のドアが開いた。運転手よりは豪華そうな、しかしやはり真っ黒な服を着た白髪の男性が姿を現した。よく見ると髭を生やしていて、その髭も真っ白だった。老人だった。老執事、とでも言おうか。
「若槻明宏様」
白い老人は深々と一礼した。
「お待ちしておりました」
どうぞこちらへ。男がドアの向こうを示す。造りに工夫があるのだろう。開け放たれたドアからは中をうかがい知ることは難しかった。少し迷った後、俺はポケットの銃から手を離して前に進んだ。ずっとポケットに突っ込んでいたから、汗をかいたのだろう。久しぶりの外気に触れた手がひんやりと心地よく冷えた。
*
中に入ると男女がいた。
一、二、三、四、五……六人。俺を入れたら、七人。
一人一人眺めるのが面倒だったのでざっと目を走らせた程度だったが、よく似た服装をしたむさくるしい男が――男なんてのはそんなに服にバリエーションはない――三人。まぁ、俺も似たような恰好をしていたので人のことは笑えない。それとは打って変わって個性豊かな格好をした女が三人。髪の長さや着ている服はもちろん履いている靴まで三者三様。まったく女ってのは楽しい人生だろう。
しかしその中の一人、本当に一人、この屋敷の玄関広間――エントランスホールとでも言うのか――の隅で大人しくしていた女性に俺の目は行った。自然と流れてしまった。
黒い、耳元までのショートカット。
白い肌、丸い顔。
オーバーサイズのだぼっとした服装まで含め、華代にとてもよく似た女の子だった。二度見、とでもいうべき視線を俺は送った。
しかし、それにしても。
ここにいる人間は一体どういう目的で集められたのだろう。俺の事件の関係者、ではない。たった一人、あの華代によく似た女の子を除けば、俺の事件を匂わせる要素は何一つとしてない。パッと見た感じ年齢もバラバラ、顔見知りは誰一人いないし、それは奴らの中でも同じようだ。全員居心地悪そうにお互いを見つめ合っている。唯一、華代によく似たあの女の子だけ、諦めたような顔で床を見つめていたが、しかしそれ以外は本当に気味が悪そうにお互いのことを睨み合っていた。険悪な雰囲気、とも言えるかもしれない。
「皆様、お揃いで」
俺を中に導いた白髪の老執事が一歩前に出た。それから大きな玄関扉を静かに閉めると、またも深々と一礼した。俺たち七人の内の何人かもそれに応えるように会釈を返したが、白髪の老人は特に表情を変えることもなく、台本でも読むかのようにこう続けた。
「この度は迷宮入りクラブにようこそおいでくださいました。当家主人より、コートをお預かりするより先にまずお部屋を案内するよう命じられております。皆様、わたくしの後に続いて、どうぞお屋敷の中へ……」
そう、男は歩き出した。俺たち七人は一瞬、行くのか? という顔を見合わせて――この時ばかりは妙な連帯感が生まれていた――口をもごもご動かしたが、あの子が……華代によく似たあの女の子がすっと歩き出し白髪の執事に従ったのを見て、俺たちも渋々、ゆっくり、三々五々、後に続いた。乾いた自然光が弱くなって、屋敷の暖色灯の中を俺たちはくぐっていった。
廊下を進むとまず大きな階段のある部屋に来た。大理石の、俺たち七人が横に広がっても十分に歩けるような大きな階段だ。実際俺たちはそうした。横一列ではないが、空を飛ぶ雁の群れみたいな陣形を勝手に組んで、階段を上っていった。先頭にはあの白髪の老執事がいた。
階段を上り切ると、左右に廊下が続いていた。白髪の執事は迷うことなく右手に曲がった。廊下は緩くカーブしていて、この屋敷が円形をしていることを何となく想像させた。
やがて廊下をまっすぐ進むと、左手の壁に二メートルほどの高さがある窪みが見えた。白髪の執事は真っ直ぐその窪みに歩いていった。果たしてそこにはドアがあった。
金色のドアプレートには何やら文言が書かれていたが、老執事の頭で隠れてよく見えなかった。執事はドアを開けた。それから俺たちを通すように、そっと脇に退くと部屋の中を示した。そして告げた。
「
部屋の奥から、聞こえてきた。
低く唸る、バイクのエンジン音……。
*
部屋の中は真っ暗だった。何だか高校の頃文化祭でやったお化け屋敷を彷彿とさせる暗さだった。薄闇の中、小さな光が何かに邪魔されてその力を十分に発揮できずにいた。
床の質が廊下と違った。踏み鳴らしてみる。何となく、アスファルトの感触に似ていた。そして目を凝らしてみると、部屋の中央には何故かガードレールが右から左へ、傾斜をつけて伸びていて、どうもバイクと思しき細いシルエットの乗り物がぶつかっていた。ぶつかっていたと分かったのには特に明確な根拠はなかったが、しかし先程から視界の真ん中に居座っている威力を発揮できていない光は、どうもこのバイクのヘッドランプのようだった。
そしてその上には人がいた。正確には、人の形をした何か。
靴の先が粘着質な何かに触れた。ぎょっとして足を持ち上げてみると、薄明りの中、どす黒い赤が目に留まった。血だった。血が池を作っている。
「ひっ」
誰か女が悲鳴を上げた。その声に導かれるようにしてバイクの上の人型を見てみると、胸から何か枝のようなものが生えていた。近寄って見てみると刃物の柄だった。果物ナイフか何かの、細いやつ。
傷口がパックリ裂けていた。血はどうもそこから垂れているらしかった。あまりの生々しさに、一瞬人型が本物の人であることを疑ったが、しかし同じことを思い、かつ度胸のある誰かがバイクの上の人に触れてつぶやいた。「人形だ」。どうも死体を模した人形のようだった。
「皆様」
背後の声に誰もがびっくりした。老執事は廊下の明かりの逆光を受けて黒い悪魔のように見えた。
「次の部屋に参ります。わたくしの後に続いてくださいませ」
影が廊下に出ると、老執事はあの白い姿に戻った。
俺たちは続いた。男がドアを閉めると、さっきの金色のドアプレートが目に入った。そこにはこう書いてあった。
〈阪根峠バイク刺殺事件〉
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